「君は、俺の書いた“美緒”とは違ってた。でも‥‥それが、よかったんだ」
 
 叶さんの声は静かだったけど、確かに熱を帯びていた。

 「物語の中の『美緒』は、どこか遠くに行ってしまった。俺が理想や後悔で作り上げた姿だった。だけど、君はちゃんとここにいた。

 笑って、怒って、気を使ってくれて、俺の想像なんかよりずっと、生きてる人間だった」

 「‥‥‥‥」

 私は何も言えなかった。胸の奥がじわりと熱くなって、言葉が喉の手前で溶けていった。

 「最初は、あの『美緒』の代わりかもしれないって思ったよ。でも、今は違う。俺が会いたかったのは、

 ずっと君だったんじゃないかって、そう思ってる」

 彼が、ほんの少し照れたように目を逸らす。

 「俺は作家だから、言葉では嘘もつける。今まで書いてきた『美緒』との事は現実にはない架空の話で、

 彼女と話している彼も実在はしない。でも、目の前にいる君と、こうして話している僕は本物なんだ」

 そう言って、彼はまた私をまっすぐに見つめた。

 夕陽が傾き、海がオレンジ色に染まっていく。

 まるで、ずっと前からこうなる運命だったかのように、

 彼の言葉が、私の心に、深く、静かに染み込んでいった。

 私は、そっと目を伏せた。

 けれど、頬が熱を帯びていくのを止められなかった。

 「私、最初はね、あの紙を見て、誰かの代わりでもいいと思ったの」

 声がかすれてしまわないように、ゆっくり言葉を選ぶ。

 「誰かに待たれてるって、それだけで嬉しくて。でも……あなたに会って、話して、笑って……そのたびに苦しくなっていった」

 私は彼の目を見つめ返す。

 「だって私は、『本物』じゃないって、自分でずっと思ってたから」

 彼は小さく首を振った。