
もう会う事は出来ない。そう考えていたけど、やっぱり我慢できなかった。
私はまた、あのカフェに向かっていた。
季節は晩夏‥‥確実に秋へと向かっていた。
「やあ」
その声が聞こえた瞬間、心臓が跳ねた。
海風が吹き抜けるカフェのテラス、夕陽が水平線を焦がしていた。
目の前には、白いシャツに薄いグレーのカーディガンを羽織った叶さんが立っていた。
私に気づいて、笑ってる。いつもと同じ、あのやさしい笑みで。
「また来てくれたんだね、美緒」
その呼びかけに、胸の奥がきゅっとなる。
彼は知ってる。全部、知ってる。
私があの『美緒』ではないことも、それでもここにいる理由も。
私はうなずくことしかできなかった。
声に出したら、何かが壊れてしまいそうで。
叶さんが、私の隣に座る。
「あなたの小説、読んだの」
ようやく、かすれた声が出た。
彼は少しだけ驚いた顔をしたけど、すぐに頷いた。
「やっぱり‥‥そうか」
「まさか自分が出てくるなんて思わなかった。でも、すぐに分かったの。これは、私のことだって」
葉擦れの音、波のさざめき、遠くで遊ぶ子どもの声。
まるで世界が一度、音をひそめて、ふたりの空間だけが浮かび上がったようだった。
「俺は物書きなんだ。今までいろんな本を書いてきて‥‥。真柴美緒との恋愛は今年から書きはじめたんだけど、
途中でスランプで書けなくなって‥‥移動の途中で、作中の彼が彼女に書いた手紙の文面が思い浮かんで、
それをメモしたんだけど、それも何処かになくしちゃったみたいでね。あの日は散々だったよ」
「‥‥‥‥」
「気分を変えて、モデルにしたカフェで書いてたけど‥‥その時に‥‥真柴美緒っていう作中と同じ名前の女性に会ったんだ」
彼は出会った時の温かな瞳で私を見つめる。
「最初は戸惑った。だって自分の書いた登場人物が、目の前に現れたんだ。最初はどう接していいかわからなかったけど‥‥
君と話しているうちに、だんだんと考えが変わってきたんだ」
途中で大きな深呼吸をした。



