何日か学校を休んでいたある日の午後。

 玄関のチャイムが鳴った。

 「千紗さんのお宅ですか?」

 ドアを開けると、そこに立っていたのは担任の先生だった。

 思わず背筋が伸びる。怒られるのかと緊張したけれど、先生の表情は思ったより柔らかかった。

 「真帆から話は聞いたよ」

 「……」

 私は俯いたまま黙っていた。

 だけど先生は、穏やかな声で続けた。

 「安心していい。先日、スーツ姿の不審者が駅で捕まったんだ」

 「え……?」

 「女子生徒をつけ回していたそうだ。何人も狙われていて、ストーカーだったらしい」

 耳に入った瞬間、全身の力が抜けた。

 ……やっぱり、あれは人だったんだ。

 私だけがおかしかったんじゃない。幻を見たわけじゃない。

 私は震える程の大きなため息をついた。

 「もう大丈夫だよ。警察に引き渡されたから」

 先生の声に、胸の奥を締めつけていた黒い靄が、ようやく晴れていくようだった。

 「……はい。じゃあ、明日から学校に行きます!」

 そう言った自分の声は、久しぶりに少しだけ明るく聞こえた。

 先生は安心したように頷いて帰っていった。

 玄関のドアを閉めると、私は深く息を吐いた。




 私は安心していた。
 
 もう、あの人はいない。そう信じて、数日ぶりに制服に袖を通した。

 けれど……その油断が、すべてを壊した。

 駅に着いて、ホームに降り立った瞬間。

 「……!」

 目が釘づけになった。

 降り口のすぐそばのベンチ。

 そこに……いた。

 スーツ姿の男性。

 昨日まで遠くにしかいなかったのに、今日はすぐ目の前。私の正面に。

 喉が凍りついたみたいで声が出ない。足も動かない。

 目だけが彼を捉えて、離せなかった。

 やがて、男はゆっくりと立ち上がった。

 まっすぐに、私の前へ。

 「……っ」

 私の世界から音が消えたみたいに静かになった――そのはずなのに。

 彼の唇が動いた。

 何かを言った。

 その瞬間、ホームに電車が入ってきた。

 轟音がすべてをかき消して、他の人には届かなかった。

 だけど――私には、はっきりと聞こえた。

 低く、耳の奥に焼き付くような声。

 ……次の駅で……

 その言葉が意味するものは、分からない。


 ただ一つだけ分かることは……逃げられないということだった。