※
祈りを捧げている相手が悪魔だということに一抹の不安を覚える。
意識が戻らないというのなら、それでいいのではないか。
しかし、医師も意識が戻らない理由がわからないという。
ふいに意識が戻ってヘタなことを告げ口されるくらいなら――
――あ。
田中イチゴのまぶたが開いた。
3ヶ月ぶりの出来事で、私は思わずベッドに横たわっているイチゴの顔をのぞき込んだ。
「イチゴちゃん?」
うつろに見回していたが、ちゃんと意識が覚醒したのか、私の顔を見ると「先生?」と、しっかり応答した。
「そうよ。イチゴちゃんの担任の近郷です。わかりますか」
「……はい。でもなんで先生が? あれ……ここは、どこ?」
イチゴは覚えのない場所にいることを不思議に思ったようだった。
「病院だよ。なにがあったか覚えてない?」
「ええと……」
イチゴは眉間にしわを寄せて必死に思い出そうとしていた。
「無理しないで。イチゴちゃんは3ヶ月も眠っていたの」
「そんなに?」
「長く眠りすぎて、すぐに思い出せないことがあるかもね。それに、ずっと、うなされてたわ。たぶん、悪い夢を見ていたのね」
「夢……?」
「そう。だから忘れてしまってもかまわないの。心配することはないわ。お母さんは今、私のために飲み物を買いに行ってるところなの。呼んでくるからそのままでね」
病室を出て後ろ手でドアを閉める。
うまく、いったのだろうか。
川に飛び込んで流されていく田中イチゴを見たときはさすがに肝が冷えた。死んだらどんなに責められるだろう。
すぐに追いかけたが、川の流れも速いし、どうにもならなかった。
幸いにも川下の方で釣りをしている人がいて、助け出されたがずっと意識が戻らなかったのだった。
田中イチゴの上着のポケットにはあのカードが入っていた。綾葉が飼育係を押しつけるだろうことはわかっていたので、イチゴが手にしただろうとは思っていた。
イチゴは本当に手のかかる子だった。悪魔にでも何でも呪われてしまえばいいのだ。
これならなんとかなるかも。
ふしぎと私はこのカードをどう扱えばいいのかわかっていた。
『ふしぎの国のアリスは夢から目覚めました』
田中イチゴはイマジナリーフレンドというものを自分の中に生み出し、他人には見えないなにかと会話していることがあった。
それらもふくめて全部夢でした。
ふしぎなことが起こりましたがなにもかもが夢。
どこから始まったのかもわからない夢。
あなたは夢を見ていたのです。
担任の私にはなんの責任もない。
イチゴがいなくなって必死に探し、土手を滑り落ちてケガまでして受け持ちの子を助けようとした、それが私なの。その図式を崩されてなるものか。
私は用済みのカードをゴミ箱に捨てた。
前方からはイチゴの母親が私を見つけて駆け寄ってきている。
「どうされましたか」
「イチゴちゃんが目を覚ましました」
「本当ですか!」
「私はお医者さんを呼んできますので、早くイチゴちゃんのところへ」
「は、はい」
母親は飛んで病室に戻った。
すべてが終わった、そう思っていた――
卒業式までの2ヶ月間、田中イチゴがクラスに戻ることはなかった。
3ヶ月も寝たきりでめっきり体力が落ちていたというのもあるし、やはり、イマジナリーフレンドというものがいなくなって、ひとりでは学校に来ることが出来なくなったようであった。
それが、唐突に、卒業式の朝、イチゴは姿を見せた。
肩までつく髪をハーフアップにして黒いリボンで結び、ちょっとおしゃれな水色のワンピースを着て、めかしこんだと卒業生といったかんじで、その場にそぐう格好をしていた。
「イチゴちゃん、だいじょうぶなの?」
「先生にお伝えしたいことがあって」
イチゴはかしこまって私を見つめた。
卒業のあいさつでもしにきたのか。たしかに、あなたは大変な面倒をかけたから。
「病院でこれを拾ったんです」
見せてきたのはあのカードだった。モザイクのようにきらびやかなカード。
ゴミ箱をあさったのか。どこまでもクズだ。
「ふしぎの国のアリスに続編があるのを知ってますか」
「なんのはなしをしているの。いつまでも夢のような話しをしないで。あなたはもうじき中学生になるんだから」
意に介さずイチゴはカードを表に返した。
『ふしぎの国のアリスは鏡の国へ行きました』
「アリスは鏡の国に行って女王になるの」
「バカバカしい」
口ではそういいながら、文字が書き換えられているカードに恐怖した。
なぜ変わっているのだろう。本当に続きがあるっていうの?
「先生のことは、ぜったい、ぜったい、ゆるさないの。鏡の国へ行って女王になって、首をはねてやるんだから」
イチゴは普段とあまり変わった様子はなかった。
しあさっての方を見ると、なにものかに「そうだよね?」と話しかけているのだった。
その相手がイマジナリーフレンドなのか、悪魔なのかは、わかりかねた。
祈りを捧げている相手が悪魔だということに一抹の不安を覚える。
意識が戻らないというのなら、それでいいのではないか。
しかし、医師も意識が戻らない理由がわからないという。
ふいに意識が戻ってヘタなことを告げ口されるくらいなら――
――あ。
田中イチゴのまぶたが開いた。
3ヶ月ぶりの出来事で、私は思わずベッドに横たわっているイチゴの顔をのぞき込んだ。
「イチゴちゃん?」
うつろに見回していたが、ちゃんと意識が覚醒したのか、私の顔を見ると「先生?」と、しっかり応答した。
「そうよ。イチゴちゃんの担任の近郷です。わかりますか」
「……はい。でもなんで先生が? あれ……ここは、どこ?」
イチゴは覚えのない場所にいることを不思議に思ったようだった。
「病院だよ。なにがあったか覚えてない?」
「ええと……」
イチゴは眉間にしわを寄せて必死に思い出そうとしていた。
「無理しないで。イチゴちゃんは3ヶ月も眠っていたの」
「そんなに?」
「長く眠りすぎて、すぐに思い出せないことがあるかもね。それに、ずっと、うなされてたわ。たぶん、悪い夢を見ていたのね」
「夢……?」
「そう。だから忘れてしまってもかまわないの。心配することはないわ。お母さんは今、私のために飲み物を買いに行ってるところなの。呼んでくるからそのままでね」
病室を出て後ろ手でドアを閉める。
うまく、いったのだろうか。
川に飛び込んで流されていく田中イチゴを見たときはさすがに肝が冷えた。死んだらどんなに責められるだろう。
すぐに追いかけたが、川の流れも速いし、どうにもならなかった。
幸いにも川下の方で釣りをしている人がいて、助け出されたがずっと意識が戻らなかったのだった。
田中イチゴの上着のポケットにはあのカードが入っていた。綾葉が飼育係を押しつけるだろうことはわかっていたので、イチゴが手にしただろうとは思っていた。
イチゴは本当に手のかかる子だった。悪魔にでも何でも呪われてしまえばいいのだ。
これならなんとかなるかも。
ふしぎと私はこのカードをどう扱えばいいのかわかっていた。
『ふしぎの国のアリスは夢から目覚めました』
田中イチゴはイマジナリーフレンドというものを自分の中に生み出し、他人には見えないなにかと会話していることがあった。
それらもふくめて全部夢でした。
ふしぎなことが起こりましたがなにもかもが夢。
どこから始まったのかもわからない夢。
あなたは夢を見ていたのです。
担任の私にはなんの責任もない。
イチゴがいなくなって必死に探し、土手を滑り落ちてケガまでして受け持ちの子を助けようとした、それが私なの。その図式を崩されてなるものか。
私は用済みのカードをゴミ箱に捨てた。
前方からはイチゴの母親が私を見つけて駆け寄ってきている。
「どうされましたか」
「イチゴちゃんが目を覚ましました」
「本当ですか!」
「私はお医者さんを呼んできますので、早くイチゴちゃんのところへ」
「は、はい」
母親は飛んで病室に戻った。
すべてが終わった、そう思っていた――
卒業式までの2ヶ月間、田中イチゴがクラスに戻ることはなかった。
3ヶ月も寝たきりでめっきり体力が落ちていたというのもあるし、やはり、イマジナリーフレンドというものがいなくなって、ひとりでは学校に来ることが出来なくなったようであった。
それが、唐突に、卒業式の朝、イチゴは姿を見せた。
肩までつく髪をハーフアップにして黒いリボンで結び、ちょっとおしゃれな水色のワンピースを着て、めかしこんだと卒業生といったかんじで、その場にそぐう格好をしていた。
「イチゴちゃん、だいじょうぶなの?」
「先生にお伝えしたいことがあって」
イチゴはかしこまって私を見つめた。
卒業のあいさつでもしにきたのか。たしかに、あなたは大変な面倒をかけたから。
「病院でこれを拾ったんです」
見せてきたのはあのカードだった。モザイクのようにきらびやかなカード。
ゴミ箱をあさったのか。どこまでもクズだ。
「ふしぎの国のアリスに続編があるのを知ってますか」
「なんのはなしをしているの。いつまでも夢のような話しをしないで。あなたはもうじき中学生になるんだから」
意に介さずイチゴはカードを表に返した。
『ふしぎの国のアリスは鏡の国へ行きました』
「アリスは鏡の国に行って女王になるの」
「バカバカしい」
口ではそういいながら、文字が書き換えられているカードに恐怖した。
なぜ変わっているのだろう。本当に続きがあるっていうの?
「先生のことは、ぜったい、ぜったい、ゆるさないの。鏡の国へ行って女王になって、首をはねてやるんだから」
イチゴは普段とあまり変わった様子はなかった。
しあさっての方を見ると、なにものかに「そうだよね?」と話しかけているのだった。
その相手がイマジナリーフレンドなのか、悪魔なのかは、わかりかねた。



