放課後、わたしはウサギ小屋に向かった。
 そうじ用具ならすぐわきの倉庫に運動用具と一緒に置いてある。
 前にも飼育係の仕事を押しつけられたことがあったから知っている。
 そのときはもうひとりの飼育係、石崎くんが「ずるいずるい」いいながら、全然手伝ってくれなかったから、結局わたしひとりでやったのだった。

 来る途中、振り返ると綾葉ちゃんたちが遠くからわたしを監視していた。ちゃんとウサギ小屋まで行くのか見ているらしい。
 校舎の裏手に回って倉庫からほうきとちりとりを取り出す。周囲を見わたすが、ここまでは綾葉ちゃんたちもついて来なかったようだった。
 でもここで帰るわけにはいかない。
 仕方なくウサギ小屋の前に立った。

 ウサギ小屋といっても、大人が入っても頭がつっかえないほど天井が高い大きな檻だった。360度、どこからでも中が見える。
 はじめはウサギ小屋ではなかったのかもしれない。上部に止まり木があるから大きなオウムとか、リスとか、別の動物を飼うためにつくられたのかも。

 いまではウサギが一匹いるだけ。
 茶色くて、いっしゅんどこにいるかわからないくらい目立たないウサギ。
 たった一匹のウサギはどうして学校で飼われることになったのか。それとも何匹かは死んでしまったのかな。

 わたしは綾葉ちゃんから預かった鍵で扉を開けて中へ入った。
 頑丈な檻の中は、それだけで怖い。
 閉じ込められてしまいそうな恐怖があったが、扉を開けっぱなしにしておくわけにもいかない。
 さっきまで姿が見えていたウサギは、檻のすみにしつらえてある小さな木の箱に逃げ込んでいた。だからといって隙を見て逃げられてもこまる。

 かがんで、箱の入り口から中の様子を見ると、奥の方でちぢこまっていた。
 暗くてよく見えないが、ウサギのさらに奥、壁際になにかがある。
 ウサギがなにかを隠し持っている、そんなふうにも見えて気になった。

「ウサギさん、出てきてよ。そうじしてあげるから」
 ウサギに言葉は通じない。
 箱をポンポンとたたいてみたら、いとも簡単に箱が動いた。とても軽い箱のようだ。
 どうやらコンクリ張りの床に、木で出来た箱が置いてあるだけで固定されていないようだった。

 箱を持ち上げてみる。その箱は底もなくて、簡単に覆いを外せた。
 身ぐるみはがされたウサギがうずくまっている。
 プルプルと怯えていたウサギだったけど、脇にまた箱を置いてやると急いでその中へと隠れた。

 ウサギの奥にあった物だけが残された。
 それは手のひらくらいの大きさのカードだった。モザイクのようにキラキラとしている。
 拾ってひっくり返すと、反対の面は絵柄になっていた。
 水色のワンピースに白いエプロンを着けた女の子。その足下に大きな時計を持ったウサギ。
 そして、右上の角には丸でかこまれたひらがなの『ふ』が記してある。

 なんだろうか。だれかが落とした物をウサギが気に入って自分の物にしちゃったのかな。
 あとで落とし物として届けておこう。上着のポケットに入れてそうじをはじめた。
 そうじといってもフンをはき出すことぐらいしかない。

 それにしても。こんなところでひっそりとひとりきりでかわいそうに。
 夜になったら真っ暗で怖いよね。でも、これだけ頑丈な檻だからおそわれる心配はないか。

『ほら、ぼやぼやしていたら、塾におくれちゃうよ』
 突然声をかけてきたのはウサちゃんだった。
 檻の中にいたウサギじゃなくて、わたしの友達のウサちゃん。小さいころからずっといっしょにいるの。

 最初にやってきたときは、真っ白で、もふもふしてた。
 ウサちゃんのことが大好きで、いつも連れてたら、あるとき、近所の男の子に無理矢理うばわれた。引きちぎられそうになったから、手を離さざるをえなかったんだよね。
 そうしたら砂場に埋められて、ミルクティーみたいな色になってしまった。

 次に会ったときは「きたないんだからもうすてろよ」って、川に投げ入れられた。
 もう二度と会えないんだなって泣いてたら、
『泣かないで』
 って、わたしの前に現れたの。
 右耳がヘナヘナで、左足は取れかかって綿が見えていて、とってもかわいそうだったけど、大丈夫なんだって。

『これからはあなたにしか見えないから、誰にもうばわれることはないよ』
 ふしぎだけど、本当だった。
 ウサちゃんは頼もしくて、ちょっぴりやんちゃ。つらいときにはいつもはげましてくれるし、わたしが大事にいているものを連れ戻してくれることもあった。

 ウサちゃんは檻の中に入ってきて、箱の中のウサギをのぞいていた。
『またウサギ小屋のそうじを頼まれるのも面倒だし、逃がしちゃえば?』
「そんなこと、できないよ」
『ウサギもそのほうがいいっていってる。ずっとこんなところにいたくないって』
「そうだよね……」
『ここにいたければ、また戻ってくるよ。ウサギだって自分がいたい場所は自分で決めるよ、そうでしょ?』

 ズタボロだけど、ウサちゃんの、赤い目だけは澄んでいた。
 ウサちゃんはいつだって正しい。
 やりとげたら、ちょっとだけほこらしい自分になれる気がするのだった。

 わたしは檻の扉を開け、木の箱を持ち上げた。ウサギは戸惑うようにぴょんと飛び跳ね、ちらりとわたしを見た。
「行きたければ行ってもいいよ」
 ウサギはゆっくりと出口に向かい、檻からひょんと飛び出すと、一目散に走り抜けた。
 学校を囲むフェンス際の茂みに飛び込み、あとはもうどこへ行ったのかもわからなくなった。

「檻の中からあそこへ行ってみたいって、ずっと思ってたのかな」
『そうかもね。あの辺り、フェンスが破れてたんじゃない?』
「そうだ! 草が生えてかくれちゃってるけど。あそこから外の世界に行くことを夢見ていたのかも」
 その手助けができてうれしくなった。

「追いかけてみようかな」
『やめておきなよ。せっかく監視の目から逃れたんだから』
「そうだね」
『それより、塾におくれちゃう』
「やばっ!」

 塾の先生もまた厳しい人だった。答えを間違えるのはいいけど、やる気のない人はイライラするのって、口に出すような先生だ。遅刻なんてとんでもない。
 わたしはさっさともぬけのからとなった檻に鍵をかけて帰宅した。

 ウサギさんがすてきな人と出会えるといいな。
『自由にはリスクがともなうけれどもね』
 後悔させるようなことをウサちゃんがいった。
 自由とはいっても――
 そのあとは、どうすればいいのだろう。