田中イチゴ。
 マンガの主人公でもなくラノベの登場人物でもなく、これがわたしの名前だなんて。

 なんでこんな名前つけちゃうんだろ。メンヘラなのはママなのに。
 イチゴを食べてたら共食いだってからかわれるし、イチゴの絵柄が入ったグッズを持つのだって恥ずかしい。
 わたしの好みじゃないんだよ。
 けれどもママはイチゴのグッズが大好き。文房具にバッグ、髪飾りやワンピースも。ランドセルにはイチゴのワッペンを買ってきてボンドでくっつけた。
 悲しいかな、イチゴのグッズは世の中にあふれてるんだよね。

 ママの夢だったんだって。
 正子って名前をおじいちゃんにつけられて、自分の子供にはカワイイ名前をつけたかったっていうんだけど、わたしからすれば腹いせにしか思えない。
 前年度に生まれた女の子で一番多かった名前でもつけておけば、それでも無難にかわいかったのに。なんでよりにもよってイチゴなの。

 クラスに3人田中さんがいるけど、わたしだけ名字で呼んでくれてもいいのに、みんなからかい交じりにイチゴちゃんって呼ぶの。担任の近郷先生までね。
 イチゴちゃんって呼ぶのは絶妙だよね。親しみ込めてそう呼んでるっていわれたら、こちらが否定するとすっごいイヤな感じになっちゃう。
 でもわかるの。みんな本当はバカにしてるって。


 わたしはイチゴのグッズにまみれた机に教科書を広げて授業を聞いていた。
 消しゴムから香るイチゴのにおいをかいで、なにも書いてないノートのはしっこをこする。すでに緑色のヘタの部分は削れてなくなっていた。イチゴのつぶつぶ感も消えつつあるが、香りは図太く残っている。
 これがなにかといったら、やっぱりイチゴだった。

 イチゴがこの世からなくなればいいのにな。
 消しゴムが消えてもえんぴつがあるし、ノートもあるし、下敷きも、ペンケースも。
 夢の中でさえもイチゴにおそわれることがある。
 イチゴイチゴイチゴイチゴイチゴ……

 ぼーっとしている間に、先生は黒板の前から離れて自分の席に座っていた。
 髪を全部上に引っ張り上げておだんごにしているが、後れ毛を指先でいじり、ふんぞり返っている。
 どうやら先生が黒板に書いた文章をひたすらノートに書き写す時間らしい。

 静かで、退屈で、眠くなってくる。
 カリカリとえんぴつを動かしていたら、自分で書いた文字がじわじわとぼやけてきて――頭がカクンと落ちて机につきそうになり、ハッとして目を覚ました。

 見られていたかなと、先生を見れば、先生も目をつむってうつらうつらとしていた。
 わたしは後ろを振り向いて、こっそり綾葉ちゃんに教えてあげる。
 たぶん、綾葉ちゃんだって退屈しているだろうし。クスって笑って欲しかったから。

「先生、寝てる」
 綾葉ちゃんはちらりと先生の方を見たけど、瞬時に目を伏せてモーレツな勢いでえんぴつを動かした。
 なんだ、つまらない。
 前に向き直ると先生が目をぱっちり開けてこちらを見ていた。
 聞こえてしまったのかな。目がつり上がっていて、オニババアみたいになってる。
 本当のことなのに。先生のことはだれが注意するの?
 だけど、本当のことをいって損することってあるんだよね。


 授業が終わって先生が出て行ったとたん、綾葉ちゃんは後ろからわたしを小突いた。それも、けっこう強めに。
 いっしゅん息がつまって身じろぎできずにいたら、肩をぐいっとつかんで後ろを振り向かせた。
 綾葉ちゃんは先生よりも恐ろしい形相でにらんでいた。

「無視すんなよ」
「してないよ……」
 綾葉ちゃんは聞く耳を持たずにどんどんわたしを追い詰めていく。
「巻き込むなんてサイテー」
「そんなつもりは……」
「実際ヤバかったじゃん」

 綾葉ちゃんも先生と目が合ってしまったのだろう。
 先生に気づかれるなんて思ってもみなかったのに、綾葉ちゃんはわかってくれない。

「反省してる?」
 いきなりそう聞かれても、なにを反省すればいいのかわからなかった。
 でもそれを聞き返せる雰囲気にはない。
 うなずいたら綾葉ちゃんの機嫌を取り戻せそうだった。
 素直にコクリとうなずく。

「じゃあさ、ウサギ小屋のそうじをしてくれない? また飼育係の当番が回ってきたんだけど、くさいし、きたないし、わたしがやることじゃないと思うんだよね。反省してるっていうなら、それくらい、態度で示せるよね?」

 わたしはいつの間にか綾葉ちゃんの取り巻きにかこまれていて、そうするのが絶対だといわんばかりの視線をあびていた。
 わたしはもう綾葉ちゃんに忠誠を誓うしかなかったのだった。