「全然わかんねぇ!」



 放課後の静かな教室に、佐山の声が響く。頭を抱えている彼と私の他に生徒はいない。


 今日返された英語の小テストの点が散々だった私たちは、もうすぐ試験だからと渡された補習プリントを必死に解いていた。



「ねぇ佐山。最後の問題以外は解いたし、もう提出して帰らない?」


「うーん……あと十分待って。それでも解けなかったら出すわ」



 最後の問題がどうしても解けず、気づけば結構遅い時間になっていた。


 すっかり解く気をなくした私は筆記用具を片付けて、隣で集中している佐山に声をかける。



「ねぇねぇ佐山さん」


「……俺、集中してるんだけど。なんですか片桐さん」


「後夜祭で古賀さんに告白するの?」



 バッ!と彼は顔を上げて私の方を向いた。問題を解く手が止まり、わかりやすく動揺している。



「ままま待て。落ち着け、落ち着け!!」


「佐山がね」


「え、は、なんで!?」


「だって先週、『やっぱ女子って後夜祭で告白されたら嬉しい?”』って聞いてきたから」



 この高校には、学園祭の最終日に行われる後夜祭で告白すると成就するという噂がある。



「でも好きな人って、」


「古賀さんが好きなのはバレバレだったよ」



 佐山の言葉を遮って伝えると、彼は両手で顔を覆い「しぬ……」と小さく声を漏らした。


 隣のクラスの古賀さんは美人で、性格が良くて、ついでに頭まで良い完璧な人だ。私が彼女よりも優れているところなんか一つもない。



「そ、そういう片桐はどうなんだよ。誰か好きな人は……」


「いない」



 最後まで聞かずに答えると、「だよな」と彼は笑った。誰かに好きな人はいないのかと聞かれても毎回“いない”と断言していたから、答えがわかっていたんだろう。



「まぁ、もし好きな人ができたら教えろよ。めっちゃ協力するから」



 任せろ!と満面の笑みを浮かべる彼に、鋭く胸が痛んだ。けれど感謝の言葉を返して無理やり口角を上げる。


 ……好きな人がいないなんて嘘だ。鈍感な彼は私の気持ちに全く気づいていないけど、本当は前から佐山のことが好きだった。


 陸上部にいた彼は高校一年生の時から「部活に集中したいし恋愛は興味がない」と話していて、それは卒業するまで変わらないと思っていたのに……


 高校三年生になり部活を引退した今、突然彼に好きな人ができてしまった。



 ……諦めよう。



 もともと彼を好きになったきっかけなんて些細なことだ。どうせ報われないのなら、友達として彼の恋を応援しよう。



 ──私には勝算がないと感じたら、すぐに諦める癖がある。


 原因は中学受験に失敗したことだ。仲の良かった友達二人と同じ学校に通いたくて、勉強が苦手な自分なりに頑張ったが、結局私だけが落ちてしまった。


 その失敗を未だに引きずっていて、あとで深く傷つくくらいなら最初から戦わなければいいと、勝算がないことには挑戦しなくなった。



「佐山って新しいことに挑戦するの好きだよね。今回の告白もだけど、失敗した時が怖くないの?」


「いや普通に怖いけど」



 てっきり“怖くない”と言い切られると思っていたから予想外の返答で驚いた。


 彼は手に持ったシャーペンをくるくると器用に回し、少し考え込んでから口を開く。



「高一の時、部活で全くタイムが伸びない時期があったんだけどさ。今後も伸びないかもって思うと足が固まるから、先のことは考えないで必死に何周も走ってたんだ。そしたら、いつの間にか記録を更新してた」



 その時期のことは私も知っている。一昨年の冬、委員会の仕事で遅くまで学校に残っていた日、グラウンドで目に涙をためて喜ぶ彼を見たことがあった。



「諦めない限り先のことはわかんねぇだろ。だから怖いけど、失敗した時のことは考えないようにしてる」



 それまで佐山はただの赤点友達だったのに、その時の彼の笑顔をみて私は────



「あ、待ってそうか。解けた!」


「え?」


「補習プリントの最後の問題! ほら、やっぱ諦めるまでわかんねぇな!」



 ようやく最後の問題が解けたらしい。佐山は空欄のないプリントを私に見せつけながら、歯を見せて心底嬉しそうに笑った。


 眩しくて仕方がない、私が好きになった笑顔だ。



「じゃ、ちょうど十分経ったし出しに行くか」


「──佐山!」



 反射的に、彼の名前を叫んでいた。


 職員室に行こうと席を立った彼が「びっくりした、なんだよー」とこちらに顔を向ける。


 その澄んだ瞳と視線が交わった瞬間、私は思わず俯いてしまった。バクバクと心臓の鼓動が急激に速くなる。



“失敗した時のことは考えないようにしてる”



 佐山の言葉が、頭の中で響いた。


 一度深く息を吸い、私には眩しすぎる笑顔を思い浮かべる。先のことは考えるな。そう自分に言い聞かせて再び顔を上げた。



「……ご、めん。ほんとは好きな人がいないって、嘘」



 情けなく声が震え、ほんの少し目頭が熱い。


 いつもならこの気持ちに蓋をして、友達として彼の恋を応援していたはず────だけど。




「後夜祭で、私も伝えたいことがある」




 この想いだけは、諦められそうにない。