●駅前の商業施設の休憩スペース・正午過ぎ
六月も中旬となった日曜日。部活が休みだった桐は用事で街に出ていた。
新しいリストバンドを購入して、商業施設の休憩スペースでフルーツドリンクを飲む。

桐(は〜、癒される〜)

休日とあって、施設内は大勢の家族づれやカップルで賑わっていた。
目の前の通路を行き交う人々を眺めながら、桐はつい先日の公園の出来事を思い出す。

桐モノ『零の突然の宣言後、私は信じないの一点張りで、零は本気の一点張りだった』
『話は平行線のまま次のバスの時間になって、零を威嚇しながら退散』
『今までの女性遍歴も目に余るし、年上の本命彼女の噂まで浮上しているというのに……』
『そもそもクズで有名な零となんて、たとえあの言葉が本気だったとしても恋愛は無理だよ!』

思い出すだけでむかむかしてきた桐は、勢いよくフルーツドリンクを飲み干した。

桐(……この土日で、零が頭を冷やしてくれるといいんだけど)
零『長い夢を見ていたようだ……全部忘れて』※という桐の妄想。

冷静になった零が、これ以上自分に付き纏わないようにと願う。
桐は買い物袋を持って席を立ち、空になった透明のカップをゴミ箱に入れる。
振り向いた目線の先に、見覚えのある男子がいた。
おしゃれな私服姿の零と、ロングヘアを靡かせた綺麗な女性が人混みの中を並んで歩いていたのだ。

桐「……は?」

唖然とする桐は、何やら会話を交わしてる風の二人から目が離せなかった。
零は女性人気が高いショップの紙袋を何個か持っていて、女性の買い物の付き添いだというのが窺えた。

一軍女子『年上の本命彼女いるって噂もあるし』
桐(あの噂、やっぱり本当だった……!)

他クラスの一軍女子に聞いた噂が、頭の中でリピートされる。
あの公園で、少しでも励ましてくれた零だったから、正直に恋愛の辛さを吐露した桐。
しかし実際は、失恋で苦しんでいる自分を惨めに思っていただけなのだと推測したた。

桐(あんな美人な彼女がいるのに、私のこと振り回して……)
(励ましの言葉も、『桐となら恋愛したい』って言葉も、本気じゃないじゃん……)

分かってはいたのに、傷ついている自分に気づいた桐は零と女性から目を背けた。
その時、スーツ姿のふくよかな中年男性が背後から突然ぶつかってきた。

桐「痛っ⁉︎」

その反動で壁にもたれかかった桐。ふと顔を上げると中年男性がものすごい形相で睨んでくる。

男性「こんなところでボーッと突っ立てんなクソガキ!邪魔なんだよ!」
桐「っ……」

桐はビクリと体を強張らせた。平和な憩いの場に突然響き渡った怒号。周囲のざわめきが嫌な静まり方をした。
壁際に追いやられた桐と怒り心頭の男性が注目を浴びることになり、息苦しさを覚えた。

桐(……これ、やばいやつだ。早く謝って、立ち去らないと……)

これ以上、おじさんの怒鳴り声を耳に入れたくない。
自己防衛の意識はあるのに、恐怖で手は震え足にも力が入らず、気持ちだけが焦る。
すると、男性の怒鳴り声がさらに降ってきた。

男性「おい謝罪もなしか!最近の若いやつは年上を敬うことを知らないんだな!」

関係のないことまで取り上げて男性が喚く。
その時、桐と男性の間に颯爽と割って入ってきたのは、手ぶらの零だった。

零「あーいおっさん、日頃のストレスを可愛い女の子にぶつけんのよくねぇよ」
桐「っ⁉︎」(零……⁉︎)

その声に桐が顔を上げると、零の背中が盾のように見え、男性から自分を守ってくれているのがわかった。
恐怖心が、徐々に安心感へと変わっていく。
男性よりもスラリと背が高い零は、余裕の笑みでじっと見下ろす。

男性「な、なんだよおまえ、俺は被害者――」
零「俺見てたんだよ。おっさんがこの子目掛けて体当たりしたところ」
男性「⁉︎」
零「最近多いじゃん。女の子ばかり狙ってわざとぶつかってくる迷惑行為、いや……故意だから立派な暴行罪だよな?」

余裕の表情で問いかける零だが、その心は怒りに満ちていた。
漂う威圧感と殺気に、すっかり萎縮した男性は逃げるようにその場を立ち去った。

零「あ、待て逃げんな……!」

追いかけようとした零の服が、ぐんと後ろに引っ張られる。
振り向くと、ようやく体が動いた桐が零の服の裾をつまんでいた。

桐「……もういい。関わりたくない……」

震えた声でそう呟いた桐に、零は不謹慎にも可愛いと思ってしまった。
すぐにハッと我に返り、怪我の有無を確認する。

零「痛いところは?」
桐「……大丈夫」
零「そっか。ついてないな、ターゲットにされたんだよ」

零の優しい声と表情が、桐の心に沁み渡った。

桐「……ありがとう。本当に、助かった……」

素直に感謝の気持ちを口にした桐が、安堵した表情とほんのり潤んだ目を向ける。
零はドキリとしながらも、いつもの調子で腕を組み得意げに微笑んだ。

零「今ので、間違いなく惚れただろ」
桐「っ⁉︎」

こんな時にも冗談を言えるなんて、と桐が一気に冷静になる。
しかし、きっと零が嫌な記憶を上書きしてようとしてくれている気がして反論はしなかった。
零にはその間が、まるで桐が惚れたことを肯定したように思えて言葉を失う。
二人の間に沈黙が流れた、その時。
たくさんの紙袋を両手に持った零の年上彼女が、鬼の形相でこちらに迫ってくる。

千花「れえええいいいいい!」
零「うわ、千花……」

両手が荷物で塞がっている千花は、零を足蹴にした。

千花「あんた!いきなり私に荷物押し付けてどうしたのかと思えば、ナンパか!このクズ!」
零「ちが……桐の幻でも見てんのかと思ってたら、体当たりおっさんに絡まれてたから助けたんだよ!」

痴話喧嘩を見せられた桐は、なかなかのパワフルな彼女だという印象を抱く。
そしてナンパと誤解されている零を不憫に思い、慌てて止めに入った。

桐「ち、違うんです。本当に助けてもらっただけなんです!」
零「ほらな?」
桐「決してナンパじゃありません。デート中なのにお邪魔して本当にすみませんでした」
零「……は?」

桐が頭を下げるなか、零は納得していない顔をした。そして千花も面倒そうな顔でため息をつく。

千花「私、零の従姉妹なんだけど」
桐「…………え?」

桐が頭を上げると、二人は睨み合いながら不満を口にする。

千花「こんな自己中でナルシストなやつ彼氏にするとか、絶っっ対いや」
零「その言葉そのままバットで空高く打ち返すわ」
千花「私は彼氏いますー。クズすぎて彼女できない零と一緒にしないでくださいー」

零に年上の本命彼女がいるという噂は誤解だった。
それを知って、なぜかホッとしている自分に気づいた桐は、心の中で首を傾げる。
すると、零が馴れ馴れしく桐の肩を組み、初対面の千花に紹介をはじめた。

零「桐はクラスメイトなんだよ。んでもって俺の……――な?」
桐「なにが、な?なの⁉︎ただのクラスメイトですが⁉︎」

誤解を招くようなことを言うな!という目で零を睨み、肩に乗った腕を振り払う。
すると千花は桐をまじまじと見たあと、にこりと笑みを浮かべた。

千花「初めまして。三住千花、大学二年です」
桐「う、梅原桐です」

年上の千花に対して、丁重に挨拶する。そんな桐に好印象を抱いた千花は今の状況を説明した。

千花「本当は今日、彼氏とデートだったんだけどリスケになっちゃって。だから零を荷物持ちに連れ出したんだ」
桐「そ、そうだったんですね……」
千花「桐ちゃんは?」
桐「私は一人で買い物に……。でももう帰るところです」

零と千花にいつまでも足止めさせては悪いと思い、桐はそろそろ立ち去ろうと考えていた。
すると、千花がニヤニヤしながら零に指示を出す。

千花「私タクシーで帰るから、零は桐ちゃん送ってあげて」
桐「え?大丈夫ですよ、一人で帰れ――」
零「そのつもりだし」
桐「えっ⁉︎」
零「だって休日に会えるなんて運命じゃん、俺ら」

そう言って、桐の返事を待たずに手を繋いで歩き出した零。

桐(えーー⁉︎)

千花は両腕に荷物を掛け、ニヤニヤと微笑みながら遠ざかる二人の背中に手を振った。


●幹線道路沿いの歩道・夕方
二人は手を繋いだ状態で歩道を歩く。

桐「も、もう手を離してもらっても……」
零「嫌だね、家の前まで離さない」
桐「っ⁉︎」

零の手の温かさが、桐の心臓をドキドキさせてきて落ち着かない。
ふと桐が持っていた買い物袋を目にした零が、何気なく質問する。

零「何買ったの?それ」
桐「……リストバンド。中学の頃から使ってたのがボロボロになってきたから」

買い物袋を見ながら、桐が説明する。

零「へぇ、言ってくれたら買い物付き合ったのに」
桐「何言ってんの。だいたい連絡先知らないし」
零「知ってたら誘ってくれたんだ?」
桐「え!違うよ、そういうことじゃ――」

すると突然立ち止まった零は桐と手を離し、サッとスマホを取り出した。
手際よく画面操作して連絡先QRコードを表示する。

零「さっきみたいに助けが欲しいときとか、一人で寂しい夜とか。すぐに呼んでいいよ」
桐「っそんな……都合がいい時だけ連絡なんて、できない」

桐は零から視線を逸らし、連絡先交換を断る。
その真面目すぎる理由を聞いた零は、桐のショルダーバッグに手を突っ込んだ。

桐「ぎゃ!何すんの!」
零「俺がいいって言ってんだよ!桐のこともっと知りたいし、俺のことも知って欲しいんだから早く交換しやがれ」
桐「え、偉そうにっ……!」

抵抗していた桐だったが、零の言葉には少しドキリと胸を鳴らした。
すると零が物欲しげな目で訴えてくる。

零「桐の情報も時間も心も余すことなく欲しいんだよ。こんな気持ち、初めてだし」
桐「っ……!」
(……好きな人のことをもっと知りたいって気持ちは、よくわかる……)
(じゃあ、零は本気で私のことだけを……?)
(亮真を諦めきれていない私だとわかっていて、それでも零は……)

葛藤の末、零の熱意に根負けした桐はスマホを取り出す。

零「っ!」
桐「……クラスメイトとして交換するだけだからね?」

連絡先を交換し、自分のスマホに桐の名前が表示されて、零はご満悦の様子。

零「さんきゅ。めちゃくちゃ嬉しい。一生大事にする」
桐「っ……」(一生て、大袈裟な……)

素直で無邪気な笑顔を見せてくれた零に、桐も悪い気はしなかった。