毒舌男子の愛は甘い。



閉店作業を終えて、カフェの灯りが落ちる。


「お疲れさまでした。」


他のバイトスタッフにそう言って、私はエプロンをゆっくりたたみながら、まだロッカー前を離れられずにいた。

 

バッグのファスナーを上げる音が聞こえて、横目で見る。



凪が、無言で鞄を肩にかけている。



(……今、聞かなかったら、もうきっと──)


ちゃんと確かめたかった。


「……水野くん」


思い切って、名前を呼ぶ。


「……なに?」


「……バイト…辞めるの?」



ほんの少し、凪の肩がぴくりと揺れた。


「ごめん…さっき、女の子と話してるのたまたま聞こえちゃって…」


「…うん。……再来週いっぱいで辞める」


「そっか……」



それ以上、何を言えばいいかわからなかった。


“どうして言ってくれなかったの?”とか、


“やめないでほしい”と口にするほどの資格も、私にはなくて。



「大学の実習、始まるから……?」



やっと絞り出せたのは、そんな当たり障りのない言葉だった。


凪は、ゆっくりうなずいた。


「……うん。見学とかレポートとか、しばらく詰まってて。バイトと両立、たぶん無理だと思ったから」


「そっか……」


言葉はそれだけなのに、胸がぎゅっと締めつけられる。


「ごめん、藤宮さんには、ちゃんと言おうと思ってたんだけど…」



ぽつりと凪が言った。



私に、言おうとしてくれてた。



そのことが、嬉しいのに、
私はまた言葉に詰まってしまった。


「うん…」


静かな空気が流れる。



スタッフの誰もいなくなったロッカールームの中。
蛍光灯の明かりが、少しだけまぶしかった。


「……今日は、駅…?」


いつものように凪が聞いてくれる。


でも、


「ううん、今日は、友だちとこれから会う予定なんだ…」


嘘を、ついてしまった。


なぜか、今日はどんな顔して隣を歩けばいいのかわからなくて。



「そっか…。お疲れ様」



そう言って、凪はいつものトーンでドアを開けた。



背中がドアの向こうへ消えるその瞬間、


私は自分の中にあった“さびしさ”と、"焦り"を、はじめてちゃんと認めた気がした。