カウンターの奥から、梓の声が聞こえる。
相手は──見覚えのない男。
妙に距離の近い話し方をする。
笑い声。軽い調子の会話。
視線が勝手にそっちを追うけれど、目が合いそうになって逸らした。
……きっと、顔に出る。
その様子を何食わぬ顔で、横目で見ながら、拭き終えたグラスを棚に戻す。
「梓、今彼氏いんの?」
「……いない」
「じゃあ、また付き合わない?」
(……また?)
耳に入った言葉に、胸の奥がざわつく。
付き合ってた? 元カレか。
「取られるよ」という三浦さんの言葉が、嫌でも鮮明に蘇る。
やがて聞こえてきた梓のはっきりした声。
「ちゃんと好きな人いるから、無理」
──え?
反射的に顔を上げる。
その言葉が、胸の奥にまっすぐ突き刺さった。
嬉しかった。
前に俺が言った「選ばれるんじゃなくて、自分で選ぶ恋をしたら?」って言葉──
梓はちゃんとやってくれている。
あの頃、誰に対しても優しくて、断ることなんてできなかった梓が、自分の意思をこんなにまっすぐ言えるなんて。
……正直、誇らしかった。
けど、その“好きな人”が俺じゃなかったら?
誰かも分からない男の横で笑ってる梓を想像した瞬間、胸の中がぎゅっと締めつけられた。
それでも、もし梓が自分で選んだ相手なら──幸せになってほしいとも思う。
矛盾してるのは分かってる。
けれど、その両方が本心だった。
だから、あえて軽く、何でもないように言った。
「……好きな人、いたんだ。よかったじゃん。うまくいくといいね」
そう言った自分の声が、他人みたいに遠く感じた。

