閉店時間を過ぎて、最後の片付けを終えた店内。



時計の針は、もうすぐ22時を指していた。



「お疲れさまでしたー!」



梓がエプロンを外して会釈すると、店長が笑顔で返してくれる。



その横で、凪もいつもの無表情のまま黙々とエプロンを畳んでいた。



(ふう……初日、なんとか終わった……)



緊張の連続だったけど、凪が意外とちゃんと教えてくれたおかげで、無事に乗り切れた気がする。



タイミングを見計らって声をかけた。


「水野くんも、お疲れさま」


「……ああ。お疲れ」



彼は荷物を肩にかけ、出入口に目を向けた。


「……帰り、同じ方向?」


「たぶん……そうかも」


「じゃあ、一緒に帰ろ」


意外な言葉に、思わずきょとんとする。


「え、いいの?」


「……別にダメな理由ないし」


口調はそっけないけど、どこか優しい。



その一言がなんだか嬉しくて、頬が緩んだ。


***


カフェを出て並んで歩く夜道。



街灯の光が、静かにふたりの影を伸ばしていく。


「今日、大変だった?」


「うん……ちょっと緊張したけど、でも思ってたよりは大丈夫だったかも」


「ふーん。まあ、ミスも少なかったし、接客向いてるんじゃない?」


「え、ほんと?珍しく褒めてくれるの?」


「珍しくってなに。ちゃんと見てるし、評価もするよ」


「……ありがとうございます。先輩のご指導のたまものです。」 


「そうだな。ちゃんと、敬っとけよ。」



軽口を交わす会話が、自然と笑いに変わる。



(こういうの、久しぶりかも)


沈黙が苦じゃない相手。



言葉を探さなくてもいい、気楽な空気。



しばらく歩いたあと、梓がふと思い出したように口を開く。


「そういえばさ……」


「ん?」


「水野くんが“人と話すの疲れる”って言ってたじゃん? でも、今日いろいろ教えてくれて、ありがとね。やりにくくなかった?」


凪は少しだけ考えてから、ぽつりと答えた。


「まあ、疲れるは疲れるけど……」


「けど?」


「藤宮さんみたいに、素直に受け止めてくれる人は珍しいから、案外大丈夫だった」


「……えっ」


不意に、心の奥をくすぐられるような言葉だった。



「俺、言い方きついってよく言われるし、正直めんどくさい奴だって思われること多いから」


「そんなことないよ。私は、水野くんみたいにハッキリ言ってくれる人、周りにいなかったから。知り合えて、よかったって思ってる」


「……そっか」 


ほんの一瞬だけ、凪が目をそらして、小さく笑った気がした。



やわらかい沈黙が、ふたりの間に流れる。


やがて、駅前の交差点が見えてくる。



「じゃ、俺こっちだから」


「うん。……今日はありがとう、いろいろ」

「……じゃ、また。よろしく」


そう言って凪は手をあげ、夜の人波に紛れて歩き出した。


彼の背中を見送りながら、梓はふわりと息を吐いた。



(……また、バイト行くのが楽しみ、かも)



夜風は冷たかったけど、心の中にはぽつりと、小さな灯が灯っていた。