ブラックウッド王国の最初の王は、王になった時、聖殿の中庭に一本の木を植えた。
 木はあっという間に大木となり、根元に現れた黒曜石に王の名が刻まれたという。

 その時、王は神の信託を受けた。
 次の王は、最初に生まれた子とせよ。その次の王も、その次も。

 この時の石が「オラクルストーン」、植えられた木が神木ブラックウッドだ。
 国の名の基になった木である。

 この信託は、争いのない王位継承のためのものだと言われている。

 それから数百年、ブラックウッドの木は枯れたことがない。
 玉座をめぐる争いが起こることもなく、ブラックウッド王国はゆるやかな繁栄を続けてきた。

「だけど、今さらアイリスを追い出して、ノーイックはどうするつもりだろう」

 ギルバートが首を傾げた。

「どうするって?」
「お妃が必要だろう? 王になるんだし……。そうじゃなくても、結婚式の予定は決まっていたじゃないか」
「あー……」

 今年、ノーイックは二十歳に、アイリスは十八歳になった。そこで、春になったら、結婚式を挙げることが決まっていたのだ。
 第一子が次の王と定められているため、第一王子の結婚は国の重要事項だ。結婚し、世継ぎを設けることは国中の願いである。

 国王の崩御は突然で、想定外のことだった。
 他国であれば、国王が崩御した直後に王族が結婚式を挙げることなどないだろう。

 だが、ブラックウッド王国では、むしろ逆だ。
 新たな王は、すみやかに妃を迎えなければならない。なんなら、予定より前倒しで式を挙げてもいいくらいである。

「お妃は、もう決めてるみたいよ」
「え……っ」
「ディアドラ様が連れてきたの。ノーイックは、彼女のことをすごく気に入っているみたい」

 婚約を破棄したのも彼女のためだろう。

「リグリー男爵の令嬢だって紹介されたわ。そんな人、どこにもいないんだけど」

 ギルバートは眉根を寄せた。

「その人が、王妃になるわけ?」
「そうなるわね」
「大丈夫なのか?」

 大丈夫ではないだろうが、ノーイックがそのつもりなら仕方がない。

「母上はさっき、ネルソン夫人に王妃の仕事は務まらないって言ってたけど、どういう意味だろう」
「そのままの意味よ。ちなみに、ネルソン夫人とお呼びすると、ディアドラ様はキレるわよ」
「そうなの? なんで?」
「さあ」

「でも、ネルソン夫人……、ディアドラ様は仕事ができる人なんだろう? どうして務まらないと思うんだい?」

 レイモンドだけでなく、ギルバートもそういう認識なのかと思うと、眩暈がする。
 みんな、どれだけ騙されやすいのだろう。レイモンドもギルバートもディアドラの嘘を見抜けない人ではないはずなのに。

「ディアドラ様は、そんなに仕事がお出来になる方ではないわ」
「そうなの? 評判はいいのに?」
「そうね」

 評判はいい。なぜか、いい。実際には驚くほど無能なのに。

 だが、あまり人のことを悪く言うと自分の品位を落とす。
 言動には気を付けよう。

 とりあえず、「今月の終わりに第一の祭祀があるから、そこで、ある程度、様子がわかるんじゃないかしら」とだけ言っておいた。

 国王が崩御してから次の王が即位するまでの百日間、王宮では繰り返し、祭祀が行われる。
 百日という長い期間とともに、それらの祭祀はブラックウッド王国の王位継承に欠かせないものだ。

 祭祀が行われるのは、国王崩御から三十日目、六十日目、九十日目、九十九日目、そして百日目の五回だ。

 それらの一つ一つにどういう意味があるのかはよくわかっていないが、過去には祭祀が行われる中で王の若い日の放蕩によるご落胤(らくいん)が見つかることもあったとか……。
 その場合でも、第一子であるご落胤が王位に即いたというから、何があろうと第一子が王位を継ぐという定めは絶対らしい。

 葬儀が済んだ今、亡き王を偲ぶための祭壇が第一宮殿内の大広間に設置されている。
 祭祀は大司教が見守る中、次の王となる者が供物を捧げる形式で行われる。

 ちなみに王が不在の百日間、ブラックウッド王国の元首は大司教が務めることになっている。天の加護がない状態だからということらしい。
 実際の政務は宰相が行うわけだが……。

 第一の祭祀は王族関係者と主だった貴族のみが参列して行う。

 祭祀の規模は後半に行くほど大きくなる。
 第二の祭祀は王都に住む貴族のほとんどが参列し、第三、第四の祭祀になると祭壇は王宮前広場に設えた仮神殿に移され、諸外国からの来賓となども参列する。
 広場で行う祭祀には一般国民も見物に訪れる。

 第五の祭祀のみ王族と大司教と宰相のみが参列し、第二宮殿の奥にある聖殿で行われる。

(ディアドラ様、本当に大丈夫かしら)

 祭祀に限らず、物事を行うためには事前の勉強が欠かせない。用意すべきものや手順の確認など、細かい準備が必要だ。参列者への案内にも気を配らなければいけない。

 そういった根気のいる仕事がディアドラは苦手だ。
 手を抜くことも多いし、それ以前に、内容を理解していないことが多い。

 生半可な知識でさまざまな仕事に関わるため、あちこちに綻びが生じておかしなことになる。
 そのせいで周りに迷惑をかけることは多かった。

 アイリスとハリエットはディアドラのすることに常に気を配り、ディアドラがした仕事の内容を再確認しなければならなかった。

 即位に向けた五回もの祭祀という大仕事をディアドラが一人でできるとは思えなかった。