第三、第四、第五の祭祀は続けて行われ、その後すぐに戴冠式が行われて王が即位するため、各国の王侯たちは、この間ずっと、ブラックウッド王国国内に滞在することになっていた。

 本来ならば、彼らの接遇はノーイックやヒルダ、ディアドラの役目だ。
 だが、ここで大恥を晒して国益を損ねてはまずい。
 とても得策とは言えない。

 そう判断したヘーゼルダインは第二王子であるギルバート、その婚約者であるアイリス、前王妃であるハリエットに各国王族のもてなしを頼みたいと言ってきた。
 もとよりそのつもりである。
 あの三人になど、恐ろしくて任せられない。

 アイリスたちは二つ返事で引き受けた。

 それでも、王宮での晩餐会にはさすがに参加させないわけにはいかず、三人には、立ち位置だけは間違えないでほしいと、床に印をつけた上で立たせておいた。

 だが、終始、ノーイックはぼうっと突っ立っているだけで、ろくに挨拶もしないし、言葉が理解できないディアドラは、おかしなところで頷いては、相手に怪訝な顔をさせていた。
 意外にもヒルダが一番マシだった。
 ただへらへら笑っているだけなので害が少ないのだ。
 それでも、何を言ってもへらへらしているだけなので、薄気味悪そうに眉を顰める客人も少なくなかった。

 結局、参加させたことを後悔することとなったが、これは仕方がない。
 アイリスは諦めたのだが、ハリエットは額に青筋を立てていた。

「役に立たないのでしたら、せめて邪魔をしないでいただきたいものですね」

 キツイ一言を炸裂させて、なんとか気持ちを治めていたようだ。

 害があるだけでなんの役に立たなかったにもかかわらず、三人は終始、なぜか上機嫌だった。
 晩餐の席では大きな口で肉にかぶりつき、葡萄酒をばんばん飲み、パンをちぎりもせずにかみちぎり、ありとあらゆるものを口いっぱいに詰め込んでいた。

 食事に集中するあまり、周囲とは全く会話をしない。
 何のためにそこにいるのか、まるで意味を理解していないようだ。
 理解していても同じだったかもしれないが、あまりに品のない姿を見ているうちに、なんだかゾワッと背中に鳥肌が立った。

(ちょっと、怖いわ)

 特にディアドラは、何かの悪霊にでも取りつかれているかのようだった。

 そうして九日が過ぎた。

 四月に入り、国王崩御から九十九日を迎えて、第四の祭祀が執り行われることとなった。
 ここでも、ヘーゼルダインの事前準備、裏でのハリエットとアイリスの協力があり、祭祀は滞りなく進んだ。

 第三の祭祀に続いて順調な流れで進んでいくため、ノーイックはすっかり得意になっていた。
 顎を上げ、貧弱な体躯が反り返るほど胸を張り、肩をいからせて壇上に登る。
 まるですでに王として即位したかのように、薄いグレーの瞳で人々を見下ろし、口の端を上げていた。

 ディアドラも同様だった。
 派手なドレスで意気揚々と壇上に登り、ぐいっと胸を張って正面の席に座っている。
 厚化粧の上からでも、頬が紅潮しているのがわかった。
 ノーイックが即位する喜びで全身がはち切れそうだ。

 順調に祭祀が進み、この日も最後にマクニール大司教が壇上に立った。
 王国軍自慢の巨大拡声器が大司教の前に置かれる。

『これまで、四度にわたって祭祀を行ってまいりました。その間、祭壇に供物を捧げたのは王の第一子、次の王となるべき人物であると私は認識しています』

 一度言葉を切って会場内を見渡す。

『ですが、真に王となるのは、明日の祭祀でブラックウッドの御許に置かれた石が示すお方であることを、ここにお伝えしておきます』

 にわかに会場内がざわつき始めた。

「どういう意味だ?」
「石にはとっくに王の名が彫られているんじゃないのか?」

 あちこちでひそめた声が聞こえる。
 諸外国に通訳が王侯たちの耳もとでこしょこしょ囁く声も聞こえる。

 ざわざわと揺れる会場を眺め、大司教は念を押すように言った。

『王位を継承できるのは、石が示したお方だけです。オラクルストーンに名前を刻まれた方が真の王です』

 ざわめきは収まらない。大司教は続ける。

『王の名は、まだ刻まれていません』

 ざわめきが大きくなる。

「なんで、まだ刻まれていないんだ」
「石に名前を彫るのなんて、一日や二日でできるもんじゃないだろう」
「怠慢じゃないのか」

 それまで黙って座っていたディアドラがいきなり立ち上がった。

「すぐにノーイックの名を刻みなさい! なぜ、今まで何もしなかったのです!」

『その方が王であるという確信が得られていないからでしょう』

 人々の声はどんどん大きくなる。
 何がどうなているのだとあちこちで話し合っている。
 その声に負けないくらい大きな声でディアドラが叫ぶ。

「不敬な! ノーイックの即位に反対なのですか! 大司教、あなたはクビです! 今すぐ、ここから出ていきなさい!」

『お忘れですか? ネルソン夫人。暫定的とはいえ、現在、この国の元首は私です。一介のご婦人に私のクビを切ることなどできません』

「うるさい! 出ていけ!」

 ディアドラがキレた。
 大司教は拡声器に向かって厳かに言った。

『繰り返します。石に名が刻まれないのは、まだ王が確定していないからです』

 ディアドラが椅子から立ち上がり、大司教に向かって歩き出す。
 その姿を横目に見ながら、大司教は続ける。

『もっと、言えば不正の疑いがあるからです。そもそも、百日間にわたる五回もの祭祀にどんな意味があるのか、なぜこんなに複雑な祭祀が必要なのか、皆さんは考えたことがありますか?』
『黙れ! このじじい!』

 唐突に、ディアドラの声が会場内に響いた。
 巨大拡声器が、彼女の声を拾ったのだ。

『いい加減なことを言うな! どこに証拠があるっていうんだ! 記録は全部、ノーイックが第一王子だと示しているはずだよ! 証人だって、全員、ノーイックが先に生まれたことを認めてるはずだ!』

 乱暴な物言いに貴族たちが眉を顰める。
 大司教がディアドラに向き直った。

『記録に証人ですか。いったい、どのような手をお使いになったのですか?』
『どんな手を使ったかだって? カネで買収したとでも言いたいのか? そんなことするもんか。言いがかりをつけるなら、証拠を出しな!』

 ざわめきは消え、会場内は徐々に静かになってゆく。

『証拠など、必要ありません』
『証拠もなしに、人を嘘つき呼ばわりするのか!』

 シーンと静まり返った会場に、ディアドラの声が響き渡る。

『だいたい、こんな七面倒くさい祭祀なんかいらないだろう! こんなのは、おまえたちが富を得るための方便じゃないか! 王が死んだら、さっさと次の王に交代すればいいんだよ!』

 大司教は心底軽蔑しきったようにディアドラを見た。

『百日にわたる五度の祭祀は、建国の際に神と交わした誓約の一部です。これを守る限り、ブラックウッド王国は天によって加護されます』

 ディアドラが睨みつけるが、マクニール大司教は構わず続ける。

『誓約の石に王の名が刻まれるのは、五度の祭祀のうちのどこかのタイミングだと言われています。第一の祭祀で刻まれることは稀ですが、多くの場合、第三の祭祀までには刻まれます』

 大司教の話が続く。

『第五の祭祀まで王の名が刻まれなかったのは、過去に二回だけです。一度は、市井の民の中に王の第一子が紛れていた時、残りの一度は、前王ヴィンセント陛下が即位なさった時です』

 会場内の人々が彼の話に引き込まれてゆく。
 全ての耳が巨大拡声器から流れ出る大司教の言葉を拾おうとしていた。

『石は、過ちを犯すわけにはいきません。正しい王を私たちに与えることも誓約の一部なのですから。石は天が与えた王の気を自ら探し出し、正しくその名を刻むために時間を必要としているのです』

 一度、言葉を切りマクニール大司教は続ける。

『それだけではありません。石は、五度の祭祀の間に、我々自らが過ちを正すことを待っておられるのです』

 過去に一度、出生の順序を入れ替えようとした王がいた。大司教はそう話す。

『第一子が王女、第二子が王子で、優しいだけの姉に対して弟は利発で身体も丈夫でした。王はこの弟を次の王にしたいと望んだのです』

 けれど、二度の祭祀を行ううちに王の過ちに気づいた当時の大司教が、王女の即位を強く勧めた。
 王子は潔く姉に玉座を返したため、第三の祭祀からは供物を捧げる役目を王女が引き継いだ。
 すると、たちどころに石には王女の名が記されたという。

 王女は王子の助けを借り、歴史に名を遺す賢王となった。

『石の意思は絶対です。石だけに』

 大司教の言葉に、一瞬、会場内に緊張が走る。

 これは、笑うところなのか? 
 しかし、ここで、笑い、要るか? 

 コホン。

 ひとつ咳ばらいをし、マクニール大司教は話を続ける。

『もし、誰かが出生順序を偽っているのなら、五度の祭祀のどこかで正されるべきでした。それができていないから、石は王の名を刻むことができないのです』
『そんな、バカな話、誰が信じるっていうの』

 ディアドラが足を踏み鳴らす。

『信じるわけないだろう! このイカサマ野郎!』
『どちらがイカサマかは、明日になればわかります』

 大司教は静かに言って、巨大拡声器の前を離れた。