「捨てられ王妃」と呼ばれていますが私に何かご用でしょうか? ~強欲で身勝手な義母の元には戻りません~

 それでもどうにか大司教の祈りが終わり、会場は静かになった。
 誰も何も言わない。
 しばらくたって、あたりをきょろきょろ見回しながらノーイックが立ち上がった。

「葡萄酒を」

 司祭がノーイックを促した。
 小さなテーブルに用意されていた葡萄酒を、ノーイックが慌てて手に取る。
 そして、その場で勢いよく飲み干した。

 あっと、会場中の人々が一斉に息をのむ。

「その葡萄酒は、祭壇に捧げるためのものです」

 怒りに震えるマクニールの声が会場内に響く。
 一瞬、場が凍り付いた。

 次の瞬間には忍び笑いが漏れ始め、徐々に笑いが大きくなり、最後には遠慮のない大爆笑となってノーイックに降りかかった。
 ノーイックはその場に立ったまま青くなり、やがて、今度は真っ赤になって、手に持っていたグラスを投げ捨てた。

 ガシャン、と音を立ててグラスが割れる。
 近くにいた人たちの中から悲鳴が上がる。

「なんという、罰当たりなことを……っ」

 マクニール大司教が怒りに顔を紅潮させた。

 大広間は笑いと悲鳴で騒然となったままだ。聖殿の職員が新しい葡萄酒を用意するまでの間、アイリスはディアドラの動きを目で追っていた。

 腰に下げたレティキュールを何度か撫で、小声で何か呟いている。

 葡萄酒が運ばれてくる。
 広間の中の騒ぎが落ち着くと、マクニール大司教は何事もなかったかのように新しい葡萄酒をノーイックに差し出した。
 ノーイックはそれを祭壇に捧げた。
 あれほどの大恥をかいた直後だというのに、そんなことは全部忘れたかのようにすましている。

 実際、忘れたのだろう。
 ディアドラの持つ石の力によって。

 その後もおかしなことがいろいろあったが、なんとか一連の儀式を終えて散会となった。

 大広間を後にするときにディアドラの声が聞こえた。
 振り向くと、ひどく険しい顔でノーイックを責めている。

 死んだ魚のような目をしてそれを聞いているノーイックと、隣でへらへらと笑っているヒルダを見ていると、心がぎゅっと締め付けられた。

 彼らが、この国と王と王妃になる。

 地位や身分を得たいとは思わないが、国や民のことを思うと、なんだか申し訳ないような、やりきれないような気持ちになった。
 民を見捨てたような罪悪感が心の底にこびりついていた。




「やっぱり、やってるわ」

 広間を出ると、リリーが小声で言った。
 ノーイックが葡萄酒を飲み干し、グラスを割った後、あれほどの怒りを見せていた大司教が何事もなかったように祭祀を続けた。
 ノーイック自身も全部忘れたように、平気な顔で臨んでいた。

「ディアドラが腰のレティキュールを擦った直後に、態度を変えたわ」

 アイリスも小声で返した。

「みんな、へんだと思ったはずよ。例の石の影響がどこまであるのかわからないけど、あれだけの人数を、一度にごまかすのは無理だと思うもの。アイリスの話では、遠くから見ていた人たちは、ディアドラが賞賛されるのを見てへんだと思ってたみたいだし……」
「小瓶を持って参列した人もいたんでしょう?」
「そのはずよ。そのうち、今日のことは噂になると思うわ」

 グレアム卿が振り向いて尋ねる。

「二人で、何をこそこそ話しているんだい?」

 リリーはいつもの声に戻って、グレアム卿に話しかける。

「それにしても、すごかったわね」
「ああ。席順も段取りもめちゃくちゃだったな。どこから突っ込んでいいかわからなくなったよ」

「仕事ができないとか、そういうレベルではありませんでしたね」

 レイモンドも呆れている。

「ネルソン夫人はどうしてしまったんだ?」

 父が首をかしげている。
 あれが実力だ、と思った。

 それにしてもひどかった。

「誰かに丸投げしたんじゃないかしら」

 自分にできないこと、わからないことがあると、ディアドラは他人に丸投げする。
 自分は命じるだけで何もせず、やった者が失敗すれば叱責し、うまくいけば自分の手柄にするのだ。

「丸投げするにしたって、確認はすべきだろう。そもそも、あそこまでひどいやり方をするのは、相当な人間だぞ」
「いったい誰に頼んだのかな」

 レイモンドが首を傾げる。
 アイリスは迷わず答えた。

「ヒルダだと思うわ」
「ヒルダというと、おまえの代わりに王妃に選ばれたとかいう女か」

 グレアム卿が嫌そうに言う。

「あれで、どこが、優秀だというんだ」

 あの王に加えて、王妃も無能ときたら、我が国はどうなってしまうのかと、父と兄が嘆く。

「なんとも、やりきれんな」

 グレアム卿とレイモンドが同時に大きなため息を吐いた。