「あぁ拾う必要はねぇな」

 しかし、いつまでも痛みはなかった。目を開ける。

「悪りー悪りー待たせすぎちまったな」

 私の前には燃えるような赤髪の荒くれ者の背中があった。鞭を持った貴族の手を前から掴んで止めている。

「あ……あ…。ヴィシャス!」
 彼の頼りになる背中に体から力が抜けてしまう。

「拾え、アンタが落としたもんだろ?」
「き、貴様」

貴族に向き直るとヴィシャスが地面を指さす。

「この、私を誰だと!?」
「知らん」

 激怒する相手に臆することなく真っすぐに見据えている。突然の闖入者に場は騒然となっていた。

「金を払わん、立場だけで威張りくさるのは悪いことだ。……ってオレは教わって育ったぜ」

 貴族の行為を咎める。

「落としたものは自分で拾うべきだ」

 有無を言わさぬ口調でヴィシャスは命じる。

「ぐ、ぐぐっ」
 公衆の面前で辱められ、プライドを傷つけられたのだろう。貴族は顔を真っ赤にしている。

「誰が拾うかっ!どいつもこいつも……待てよその赤毛、貴様亜人だな!どうりでそいつの肩を持つはずだ!この下等民め」

 貴族が赤毛を見て自身の優越性を誇る。

「どおやら拾う気はなさそうだな」

「当たり前だ!」

「なら拾いやすくしてやる」

 ヴィシャスが腕を回し、握り拳をつくっていた。

「ん?」

「ちょっと、ヴィ…」

 ゴシャッ!!

 ヴィシャスが貴族の顔面に拳を炸裂させる。

「オラァ!」

 そして肥え太った身体を地面に向けて叩きつけていた。衝撃で石畳が砕けてるんだけど……。
 これ、死んでないでしょうね……?

「うが…ぁ…」

 呻き声を漏らす様子から死んではいないみたいだ。

「これで拾いやすくなったろ」

 カハハハッ、とヴィシャスが哄笑。こんな状態じゃ拾えないでしょうに。

「おい、アンタぁ」

 私に言ったかと思ったら呆気にとられている獣人の方に言ったらしい。彼に近づいてしゃがむと財布から金貨を何枚か差し出した。

「こいつで旨い飯でも喰えよ」
「い、いいんですかい!?あ、ありがてぇ…ありがてぇ…」

 セイウチ型獣人は涙を流して喜ぶ。

「おっと、人が集まってきてな。そろそろお暇するとするか」

 地面を砕いて轟音を立てたのだ、先程の比ではない人数がここに集まり始めている。巡回兵も遠からず駆けつけるはずだ。

「ヴェルゼ退散だ!」
「うわ、わわば」

 私はヴィシャスの肩に荷物のように担がれ、帝都を高速で逃げ出すことになった。

「……んふ、ふふ……ふ」
 運ばれている間、何故か楽しい気分だった。
 前を向き風を切って走るヴィシャスには気づかれなかったと思う。