「リズさん、何してるんですか?」

「ソロモン様、おはようございます」

「おはようございます。昨日も言いましたが、使用人同士なので様付けは必要ないですよ」

「申し訳ありません。では、ソロモンさんで宜しいでしょうか?」

「勿論、構いませんよーーではなく! こんな朝っぱらから、一体何を」

「お掃除ですが」

 いつも通り日が昇る前に目覚めたエヴェリーナは、身なりを整えると早速掃除に取り掛かった。
 実は昨日、侍女長のミラーーと言っても二人しかいないが、そのミラから取り敢えず掃除係にと抜擢された。

『男性ばかりだと、細かな場所まで気が回らなくてね。それに見て分かるかも知れないけれど、華やかさの欠片もないでしょう? でも中々手が回らなくて困っていたのよ』

 穏やかで優しい口調のミラは、少し困り顔でそんな事を言っていた。
 先ずは屋敷の重要箇所であるロビーから綺麗にする事にしたのだが、ソロモンの様子を見て何か問題だったのかと戸惑った。

「掃除って、え? まだ明け方ですよ⁉︎」

「はい、そうですが」

 エヴェリーナは窓から差し込む朝日を見る。確かに掃除に夢中になっている間に日が昇っていた。だがそれがどうしたというのだろうか。まさかーー

「申し訳ありません。もっと優先すべき仕事がありましたか? もしかして仕込みですか? 部屋の空気の入れ替えですか? それともお洗濯とか、後はーー」

「リズさん! 落ち着いて下さい。この屋敷には執事が何人もいますし勿論シェフもいます。私が言っているのは、こんなに朝早くから何故仕事をしているかという事です」

「そうしないと仕事が終わらないので」

 延々と終わらない仕事に追われる生活で、夜明け前に起床して日を跨いでから就寝するのが当たり前だった。それでも仕事は毎日山のようにあり、疲労だけが蓄積していった。

「リズさん、使用人達の就業時間は決められています。勿論、変則的な事もありますが、基本は朝八時から十八時までです。立場によって勤務形態は違いますが、リズさんは今言った時間で働いて貰います」

 契約書にもミラからも聞かされてはいたが、建前だと思っていた。
 セレーナ宮殿では、エヴェリーナ程ではないにしろ使用人達ももっと長い時間働いていた。

「勤勉なのは良い事ですが、確りと身体を休ませないとダメなんですよ」

 にっこりと笑い諭され、エヴェリーナは困惑しつつも頷いた。



「完璧過ぎて教える事がないわ。真面目で仕事も丁寧だし。敢えて言うなら、働き過ぎな所が心配なくらいかしらね」

 ミラからの指摘に、エヴェリーナは困り顔になる。
 ソロモンから言われた通り、就業時間は守るように心掛けているが、一心不乱に仕事に没頭してしまい気付けば時間が過ぎている事が度々あった。
 
「申し訳ありません、気を付けます」

「謝らないで、別に怒っている訳じゃないのよ。それにしても、ふふ、本当に良い子が入ってくれたわ」

 朝七時に朝食を食べ、八時から勤務が始まり、十二時には昼食兼休憩、十三時から再び勤務が始まり十八時には終業する。それから夕食を食べ就寝までは各々好きに過ごす。それに午後は、手が空いた時には三十分程お茶をする時もある。
 ミラやソロモン、他の使用人達も穏やかで優しく、よく働きよく笑う。
 ふとセレーナ宮殿にいた時を思い出す。
 あんなに華やかな宮殿の裏側は、こことは真逆だった。皆、ジュリアスの我儘に振り回されて疲弊し、表情は硬く常に緊迫感が漂っていた。

(こんなに、だらけていていいんでしょうか)

 ゆっくりと摂る食事や十分な睡眠。お茶会以外でお茶の時間をとれるのも十数年ぶりだ。勿論、読書する時間もたっぷりあるし庭を散歩する時間もある。
 山のような仕事に追われる事も、社交界で悪意を向けられる事も、ジュリアスからの無理難題を突きつけられる事もない。
 毎日が平和過ぎて夢でも見ているようだった。

 屋敷で働き始め一ヶ月近くが経ち、まもなくセドリックから提示された試用期間が終わろうとしている。自分なりに懸命に働いた。ただ引き続き雇って貰えるかはセドリック次第だ。出来ればこのままこの屋敷で働きたい。
 彼とはあれ以降顔を合わせていないので、どう評価されるか予想だに出来ない。
 
 そして一ヶ月目の朝、エヴェリーナはセドリックの執務室へと呼ばれた。