違法薬物の一件も収束し平穏だ。朝まではそう思っていた。
 
「セドリックお兄様〜! ご機嫌よう〜!」

 昼食を済ませ、さて午後の業務に取り掛かろうかと思った矢先、執務室の扉が勢いよく開け放たれた。

 聞き覚えのある甲高い声と銀色の長い髪が視界に現れ、顔が引き攣る。

「シャーロット、部屋に入る時はノックをするようにと教わらなかった?」

「あら、ノックなら致しましたわ」

 ノックしたとほぼ同時に扉を開けたと話すシャーロットの言い分に早速頭痛がしてくる気がした。

「ノックをした後は、普通は応答があるまで待つものだよ」

「申し訳ありません、お兄様。でも一刻も早くお会いしたくて仕方がありませんでしたの!」

 興奮した様子のシャーロットに、嫌な予感しかしない。
 一見すると兄に会いたくて仕方がない甘えたな妹の構図だが、絶対に違う。セドリック達兄弟姉妹はそんな間柄ではない。
 では一体誰に? と思うかも知れないが聞くまでもないだろう。
 彼女に会いに来たに決まっている。

「ああ、そうでしたわ! さあラフェエル、セドリックお兄様にご挨拶なさい」

「…………お邪魔します」

 妹の後ろから音もなく姿を現したのは、相変わらず無表情で無口な弟のラフェエルだった。
 
「二人共、ソファーに掛けて。今お茶を持ってこさせるから」

 招待した覚えも来訪する旨の連絡もなかったが、来てしまったものは仕方がないと諦めたセドリックは自ら席を立つと扉を開ける。すると扉の前で警護していた困惑した様子のブライスと目が合い苦笑した。
 ブライスは昔からシャーロットを知っているが、彼もまた妹が苦手みたいだ。寧ろ得意な人間がいるのだろうか疑問だ……。
 妹はまだ婚約者はいないが、こんな状態でやっていけるのかと顔を合わせる度に心配になる。弟は弟で感情の起伏がなさ過ぎて心配だ。
 まあ普段兄らしい事をしていない自分が心配した所で二人には大きなお世話だろうが。

 扉を開け程なくすると慌てながら廊下を走ってくる人影が見えた。

「遅い」

 息を切らすソロモンに一言そう告げると、彼は項垂れる。

「も、申し訳ありません……。ご案内しようとしましたら、目にも止まらぬ速さで行ってしまわれて……」

「仮にも元騎士なのに情けないな」

「面目次第もありません……」

 大きくため息を吐いて見せると、更に身体を小さくした。

「まあいい。お茶を持ってきてくれる? 後、適当にお菓子も……」

 ソロモンに指示を出していると、丁度お茶を手にしたリズがやってきた。
 タイミングが良いのか悪いのかが分からない。

「お客様ですか?」

「あー、うん、まあ」

 正直、リズをシャーロットに会わせたくない。
 絶対にろくな事にならないのは目に見えている。

「ああ、そうだった。応接間のカーペットを新調しようと思っていたんだ。リズ、悪いけどこれから直ぐに手配してくれないかな」

 普段屋敷の管理を任せっきりにしているセドリックが突然そんな事を言い出すのは不自然過ぎるが、この際仕方がない。
 案の定、ソロモンは訝しげな顔をしている。
 ただ何でもいいから時間の掛かりそうな用事をリズに振り、その間に妹達を帰そうと考えた。

「応接間は、少し前にカーペットを含め模様替えをしたばかりです」

 だが当てが外れる。

「はは、そうだったんだ……。それなら書斎の掃除を」

 昨日、セドリックが使って散らかしたままだ。
 折角踏み台があるので活用しようとは思うのだが、つい後でやろうと放置してしまう。

「済んでいます」

「ああ、そうだ、シェフが調理器具を」

 確か先日ジルから、シェフが調理器具を新しい物に一式買い換えたいと言っていたと聞いた気がする。

「新調致しました」

「なら庭の整備を」

 リズのお陰で美しく生まれ変わった庭は、その分維持するのが大変になった。この際、庭師を増やした方がいいかも知れない。

「完了致しました」

「馬車の点検……」

「先日致しました」 

 流石に馬車の点検までは把握していない筈だと思ったが、甘かった。
 セドリックは半ば投げ槍に用事をあげていくが、完璧過ぎて隙がない。それにしても……。
 おかしい。
 絶対リズの管轄ではない仕事ばかりなのに、何故全て把握しているんだ。
 家令のジルならいざ知れず、リズへの報告義務はない。
 最近は、リズにセドリックの業務の手伝いをして貰っており、それに伴い彼女の仕事量を調節したというのにまさか隠れて残業をしているのでは……。早急に確認する必要がある。

 リズは有能なのでつい頼りにしてしまうが、負担を掛けたい訳ではない。
 それにしてもーー

(どうやら、この屋敷は完全にリズに掌握されているみたいだ)

 彼女の事は信用しているので特に問題だとは思わないが、無性に笑いが込み上げてくる。
 セドリックはリズ達にバレないように笑いを噛み殺した。

「では、お客様のお茶を追加でお持ち致します」

「うん、頼むよ」

 結局回避する作戦は無駄に終わった。