エヴェリーナはセドリックが寝息を立てている事を確認すると部屋を出た。
「お疲れ様です。セドリック様の様子は如何ですか?」
「今はお休みになられています」
茶器を乗せたトレーを手に廊下を歩いているとジルと出会した。
「左様ですか、ありがとうございます。そちらは私が片付けますので、リズさんもお休み下さい」
何も聞いてこないジルは、まるで全て理解しているかのようにそう言った。
家令であるジルが、セドリックが帰宅した事を知っているのは当然だろうが、一度も様子を見には来ていない。
密かに監視されていたのか、はたまたエヴェリーナを信頼して任せてくれているのかは分からない。
少し不審に感じながらも穏やかに微笑むジルにお礼を言いトレーを渡した。そしてそのまま自室へと下がる事にした。
自室に戻り就寝の支度を終えるが、どうにも頭が冴えてしまい眠れないと窓の外を眺める。
「なんだか、長い夜でしたね……」
予定より舞踏会から早く帰宅したセドリックと廊下で出会した時、彼の様子がおかしかった。
話し掛けても何も言わず、顔を背けるとそのまま足早に行ってしまった。
明らかにエヴェリーナを避けており後を追うのを躊躇われたが、セドリックの顔色が悪く見えたので心配になった。
ふとジュリアスを思い出してしまう。
もし何かの病だったらと思うと、見過ごす事は出来なかった。
セドリックと扉越しに一悶着あったが、最終的には部屋に入れて貰い話をする事になった。
何か言いたそうにするセドリックの緊張を和らげる為に雑談をしてみる事にする。するとその過程で、セドリックの年齢を知る事になった。
初対面の時は十四、五歳に見えたが、それは見た目に少し幼さを感じたからだ。だが彼と接する中で、見た目とは裏腹に確りとしていると感じていた。
日々公務に励み、騎士団では隊長を務め二百人もの部隊を統率している。
たまに屈託のない笑顔をする事も多少子供っぽさも感じる事もあるが、エヴェリーナの見立てでは同年代くらいかと考えていた。だがどうやら見当違いだったようだ。
それにしてもジュリアスと同じ歳とは到底思えない。
正直、見た目だけならジュリアスの方が成熟しているだろう。だが内面は、セドリックの方が遥かに大人だ。
そんな何気ない会話を交わした後、真剣な眼差しの彼から衝撃の事実を打ち明けられた。
セドリックが女嫌いという事実にも驚いたが、それよりもそこに至る経緯が酷く許し難いものだった。
『リズも情けないって思うだろう?』
瞬時に言葉の意味を汲み取る。
諦めたように笑うセドリックを見て、彼の腕の赤い発疹を見た瞬間、良い知れぬ怒りが込み上げてくるのを感じた。無論彼に対してではない。彼を馬鹿にした者達へだ。
『……事件の真相を知る人間はきっと皆思っている。でも、事実だから仕方がないよ』
その言葉に酷く落胆してしまった。
結局、どの国も変わらないーー
分かっている。勝手に希望を抱き勝手に幻滅しているだけだ。
ローエンシュタイン帝国もルヴェリエ帝国の貴族達も多少風習が違うだけで、貴族社会のあり方は結局同じなのだろう。
エヴェリーナはセドリックの事件を目の当たりにした訳ではないので厳密には分からない。だが一つ言える事は、被害者である彼が負った心の傷を、馬鹿にする権利など誰にもない。
女性だろうが男性だろうか関係ない。
きっとセドリックは良い知れぬ恐怖を感じた筈だ。ましてまだ十歳だったのだ。それを情けないなどと、許せない。
確かに怒りを感じているのにスッと冷静になった。その懐かしい感覚に内心苦笑する。
普段よりも少し低い声色と鋭い瞳と澄ました顔、社交界でのエヴェリーナの姿だ。
いつかの夜会で窓に映る自分を見た事がある。そこには愛想の欠片もない娘がいた。
『セドリック様。人の痛みを馬鹿にするような愚かな者の言葉に、耳を傾ける価値などありません』
気付けばそんな事が口を突いて出ていた。
だが流石に侍女が口出す範疇を越えていると反省をするも、セドリックはまるで気にした素振りはなかった。それどころか感謝までされ、妙な気分になる。
その後は、少し落ち着いたセドリックと二人でお茶を飲み、彼が眠るまで見守った。
明日からどのようにセドリックと接すれば良いだろうか。
これまできっとエヴェリーナに気を遣い女嫌いの事を黙っていたのだろう。だが知ってしまった以上、これまで通り接する事は出来ない。
触れなければ近付いたり会話する事は我慢出来るとは言っていたが、正直自邸内でまで我慢をして欲しくない。
これまでの事を思い出し、知らなかったとはいえ彼に精神的苦痛を与えていたと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「……距離を取る、これにつきますね」
だが過ぎてしまった事を嘆いても仕方がない。
大切な事はこれからどうするかだ。
エヴェリーナは、明日から極力セドリックの視界に入らないように行動する事を決めた。



