翌日の夕刻ーー

「帰りたい……」

「また、出掛けてもいらっしゃいませんよ」

 馬車の前で往生際悪く足を止めそう呟いたセドリックに、ジルは呆れ顔をする。
 そのジルから数歩下がった場所にはリズとソロモンも見送りに来ていた。
 リズへ視線を向ければ、目が合った彼女は優しく微笑んでくれる。
 それを見て余計に行きたくなくなる。
 あんな地獄みたいな場所で過ごすなら、リズの淹れてくれたお茶を飲みながら書類の山を片付ける方が何倍もいい。

「セドリック様、遅れてしまいますよ」

「分かっている……」

 ジルの声に現実に引き戻されてしまう。

「じゃあ、行ってくるよ」

「いってらっしゃいませ」

 セドリックは足取り重く馬車に乗り込むと、城へと向かった。
 
 
 豪奢なシャンデリアが眩しいくらいに光り輝く城の広間には、多くの着飾った貴族達が押し寄せていた。
 
 セドリックは婚約者がいないので当然一人で入場をしたのだが、早速令嬢達からの熱い視線を感じた。
 絶対に目を合わせないようにしながら、足早に立ち去る。
 以前目が合ったとの理由から、粘着され付き纏われた事がある。

『セドリック様、私の事を見ていらっしゃいましたよね』

 そう言って頬を赤らめるどこぞの令嬢を見ていた訳ではない。何となしに視線を向けた先にたまたまその令嬢がいただけだ。だがーー

『セドリック様が、私の事を好きだと仰って下さったんです! それなのに、今更なかった事になさるなんて酷過ぎます!』

 勘違いだと説明すると、今度はそんな事を言い出し最終的には涙を流した。
 妄想、いやただの虚言なのかは知らないがいい迷惑だ。
 結局令嬢の親を呼び話し合い、結果令嬢の勘違いだという事で落ち着いたが、あれは本当に災難だった。
 なので女性と目を合わせるのは危険だ。


 セドリックは皇帝に挨拶をした後に、皇太子に挨拶を済ませた。
 するとその直後、待ち構えていた見慣れない令嬢達にあっという間に取り囲まれてしまった。その数ざっと十数人はいる……最悪だ。

「セドリック様、お会い出来て光栄です」

「私と踊って下さい」

「ずるいわ! セドリック様、ダンスなら是非私と」

「ちょっと、押さないで」

「どいて、セドリック様とお話出来ないじゃない」

 ああでもないこうでもないと次から次に声を掛けられどうにか愛想笑いを浮かべる。
 辛うじて触れられはしないものの、至近距離に迫る令嬢達に目眩がした。
 鼻をつく強烈な香水の香り。
 甲高い声と媚びるような目。
 気分が悪くなり全身がぞわりとする。

「申し訳ないけど先約があるから、僕はこれで失礼するよ」

「あ、セドリック様……」

「お待ちになって」

 残念がる令嬢達をどうにか切り抜け、セドリックはバルコニーの近い壁際に避難をした。
 どうにか舞踏会が終わるまで、ここでやり過ごしたい。

「相変わらず大変そうだな」

 軽快な笑い声と共に現れたのはアルバートだった。その隣にいる女性も釣られたようにくすくすと笑う。

「ご機嫌よう、セドリック様。お久しぶりです」

「やあディアナ嬢、久しぶり。元気そうで何よりだよ」

 セドリックよりも背が高く、波打つ長い黒髪と緑の瞳の彼女は、アルバートの一つ年上の幼馴染であり婚約者でもあるディアナ・ジスカール伯爵令嬢だ。
 ジスカール家は名門と呼ばれており、代々優秀な人材を輩出している。現にディアナの兄は、皇太子の側近を務めている。将来は、皇帝を支える帝国の重要な人物となるだろう。

「セドリック様は、余りお元気そうではありませんね」

「まあ見ての通りだよ」

 肩をすくめて見せると、また二人は笑った。

 暫し三人で話をするが、ディアナはセドリックが女嫌いだという事を知っているので気を遣って距離を取ってくれている。
 婚約者のアルバートは無神経な人間なのに、彼女は確りとしていると感心をする。
 そんな対照的な二人はある意味相性がいいと言えるだろう。

「そういえば、リズ嬢は元気か?」

「ああ、元気にしてるよ」

「あらその方って、もしかして噂になっている方?」

「噂?」

「セドリック様は社交界に顔を出されないからご存知ないと思いますが、今社交界では第二皇子殿下が屋敷の侍女に夢中だと専らの噂なんです」

 ディアナの言葉にセドリックは呆然とする。

「少し前にリズ嬢がお前の所の稽古場に来たんだろう? 女性に興味のない第二皇子が〜みたいになったらしいぞ」

 迂闊だった。まさかあれだけの事で噂になるとは……。
 それにしても飛躍し過ぎだ。
 差し入れを持って来て貰っただけで、何故そんな話になるんだ。

「その噂を聞いた女性達は、これまで以上にセドリック様に自分を売り込もうと必死らしいですよ。特にこれまで望みがなかった下級貴族の令嬢達は、自分達にも機会があるのではと躍起になっているみたいですね」

 確かに先程の令嬢達は見かけた事のない女性ばかりだったが、そういう事だったのか。
 屋敷の侍女と恋仲にあると耳にして、結婚相手への基準も低く思えたのだろう。まあ実際は、ただの噂に過ぎないのだが。
 それにもし仮に皇子が平民と恋に落ちたとしても結婚相手とは別の話だ。皇族や貴族などの結婚に愛など存在はしない。

(何れ、僕も……)

 今はのらりくらりと逃げているが、何れセドリックも妻を迎えなくてはならないだろう。
 女嫌いなどの言い訳は通用しない。

 正直、自分が女性を愛せる日がくるとは思えないが、それでも妻を迎えるならーー

 ふと頭に浮かんだのは、何故か彼女だった。

(……いやいや、何を考えているんだ⁉︎ これは噂で、僕は別にリズに恋をしている訳じゃない)

「あら、曲が始まったみたいです。アルバート様、参りましょう」

「あー……やっぱ踊らないとダメか?」

「当然です。今日こそは逃しませんよ」

 優雅なヴァイオリンの音が流れると、本格的に舞踏会の幕開けだ。
 これまで談笑していた者達は、次々に男女手を取り広間の中央へと向かう。

 昔から剣一筋のアルバートはお世辞にもダンスが上手いとは言えないが、婚約者がいるのだから一曲くらい踊らない訳にはいかない。

「それではセドリック様、ご機嫌よう」

「嫌だ〜セドリックっ、助けてくれ……」


 げんなりしたアルバートはディアナに手を引かれ連れて行かれる。
 そんなアルバートを、哀れみの眼差しを向けながら見送った。