「俺、イアンっていうっす。これでも第三部隊で小隊長やってるんすよ」

 稽古場を後にした三人は馬車に乗り込んだ。
 エヴェリーナが座るとその向かい側にソロモンとイアンが座る。

「セドリック様のお屋敷の侍女のリズと申します。宜しくお願い致します」

「これも何かの縁だし、リズちゃん、これから宜しくっす」

 顔の前に手を上げ挨拶する様子に内心呆気に取られる。
 先程も思ったが、随分と軽そうな人だ。それにしてもーー

(リズちゃん……)

 ちゃん付けされるなど生まれて初めてだ。
 生まれは田舎貴族だが、周りからはお嬢様と呼ばれ家族は呼び捨てだった。嫁いでからは皇子妃様や妃殿下などであったし、正直反応に困る。
 帝国にいた頃なら「無礼です」と叱責しただろう。だが平民のリズがそんな事を言うわけにはいかない。しかも相手は主人の部下だ。

「イアンさん、レディーに対してちゃん付けなんて失礼ですよ!」

 エヴェリーナが黙り込んでいると、すかさずソロモンが助け舟を出してくれた。

「う〜ん……因みに幾つっすか?」

「十九歳ですが」

 少し悩んだ後、何故かイアンはエヴェリーナに年齢を聞いてきた。言動が全く読めない……。

「俺は二十歳だから、やっぱリズちゃんで問題ないっすね!」

「そうですね……」

 きっと年下だからなどの理由だと思うが、ソロモンが言っているのはそういう事ではない筈だ。案の定、ソロモンを見れば微妙な表情をしている。
 ただこれ以上は不毛なやり取りになりそうだとエヴェリーナは大人しく受け入れる事にした。
 これもまた貴重な人生経験だと思う事にしよう……。
 
「それで、買い出しって何買うんすか?」

「先ずはセドリック様用のお茶にセドリック様用の本とセドリック様用のペンにセドリック様用のーー」

「ちょっと、ストッ〜プ! っす」

 今日買う物を上げていくと、まだ途中だというのに止められてしまった。

「どうかなさいましたか?」

「なんつうか、隊長の物ばっかすよね」

「勿論です。お仕事ですから」

 買い出しを頼まれた際、ジルからは「リズさんが必要だと思われる物を購入して来て下さい」とだけ言われた。なので、先程あげた物は全てエヴェリーナが独断と偏見でリストアップした物だ。
 
「リズさんは本当に仕事熱心ですね。でもたまには息抜きしないと、疲れてしまいますよ」

「そうそう、ソロモンの言う通り! 息抜きは大事っす」

 何故だが二人からは食い気味に言われる。

 これまで息抜きする時間など皆無だったので、そんな風に考えた事もなかった。
 あの頃と比べて今は仕事も楽しく睡眠時間も十分にとれて、たまのお茶の時間も散歩の時間もある。休みも順番に貰っているし、今の所杞憂する事は素性が知られないかくらいで他にはない。そして何より精神的な重圧がないので、気が楽だ。
 なので現状に満足しており息抜きなど必要ないと結論に至る。

「私には必要がありませんので大丈夫です。ですが、お心遣いありがとうございます」

 軽く頭を下げお礼を言うが、二人は納得していなさそうだ。

「リズちゃんは、何か欲しい物はないんすか?」

「欲しい物ですか? ……あ、でしたら踏み台が欲しいです」

「踏み台……」

「はい。本棚を整理する時に便利ですから」

 踏み台があれば誰かの手がなくとも書斎の整理が一人で出来、またセドリックも上段にある本が取れる筈だ。
 それにセドリックもこれで牛乳を飲む必要もなくなるかも知れない。流石に一日にコップ三杯は少し多いと思う。健康面が心配だ。身体に良いものも摂り過ぎは毒になる。
 
 エヴェリーナは欲しい物を素直に話すが、何故か二人の顔はますます曇っていく。

「う〜ん、女の子なんすから、髪留めとかネックレスとかはどうっすか」

「私にはそういった物は必要ありません」

 今はもう社交界に出る事もなければ、ほぼ外出もしないので着飾る必要はないのだ。

「他には何かないんですか? リズさんが使われる物で。踏み台は仕事で使う物じゃないですか」

 どうやら完全に私物でないと納得しないらしい。
 ソロモンからの問いに、ふとある物が脳裏に浮かんだ。

「それでしたら、額縁が欲しいです」

「額縁なんて、何するっすか?」

「押し花を飾りたいんです」

「あ、もしかしてそれって、セドリック様から貰ったグロリオサの花ですか?」

「はい、折角ですから飾って置きたいと思いまして」

 実は少し前にセドリックから貰ったグロリオサの花を押し花にしたのだが、今は大切に布に包んで保管してある。どうせなら飾っておく方が良いだろう。

「グロリオサの花を、隊長がリズちゃんにあげたんすか?」

「はい、頂戴致しました」

「ふ〜ん。なるほどなるほど……」
 
 イアンは何やら呟きながら意味深長な笑みを浮かべた。

「リズちゃん。うちの隊長を末永く宜しくっす」

 その言葉にエヴェリーナは目を丸くする。
 やはり彼の言動が全く読めない……。

 そうこうしている内に馬車は街へと到着をした。