昨日届いた荷物にはドレスしか入っていなかったのに、なぜエステルが男装できたのかという謎は、食後すぐに解けることになる。

「あ、エイダン! さっきはありがとう!」
「えぇぇ! お、奥様、本当にお召しになったんですか!?」

 廊下でエステルが呼び止めたのは、十代くらいの細身の少年だった。程よく品があるところを見るに、ロータス家に仕える小姓と思われた。カークは知らない顔だが、エステルは親しげに呼びかけている。いつ知り合ったのだろうかと訝しく思っている先で、彼女は気安く会話を始めた。

「せっかくエイダンが用意してくれたのに、着ないでどうするのよ。それにしてもよかったわ。偶然あなたを見つけることができて。背格好が私とほぼ一緒なんだもの。助かっちゃった。あ、心配しなくてもちゃんと新しい物を返すわよ。今から荷物を取りにいってくるから、ちょっと待っててね」
「い、いえ、それは奥様に差し上げたものですので……あの、使用人の私服なんて本当に失礼なものを申し訳ありません。処分していただいてかまいませんので」
「どうして? わざわざ新品を下ろしてくれたんでしょう。着心地もいいし動きやすいわ。城から持ってきた私の服じゃ、逆に窮屈に感じちゃうかも。だったら洗濯して返した方がいいかしら」
「と、とんでもないことでございます」

 しきりに恐縮しながら距離を取ろうとする少年と妻の会話から推察するに、彼女がこのエイダン少年から服を巻き上げたらしいと察した。

「エステル? 君はロータス家の使用人に対していったい何をしているんだ?」
「だって私の服が届いていないのはカークだって知っているでしょう。だからちょっと借りたのよ。ちゃんと後で洗濯して返すか、私が持ってきた新しいのをあげるつもりよ。エイダンも了承してくれたわ」

 無言で顔を引き攣らせているエイダン少年を見るに、どうあっても承諾したとは言えないようだとカークは眉間を揉んだ。

「事情はわからないでもないが、エステル。そういうことは二度としてはいけないよ。主人に言われれば彼らは逆らえないんだ。今更、そんなことがわからない年齢じゃないだろう」
「わかってるわ。切羽詰まっていたから許してよ。これが最初で最後だから」
「それから、服を無闇に与えるのも駄目だ。袖を通したものももちろん」

 高貴な者が着用した衣服は、使用人たちにとっては価値がある褒賞になりうるため、簡単に与えていいものではない。さすがのエステルもそのくらいはわかっているはずなので、これは本当に機会的なことだろうと、カークもそれ以上の苦言を避けた。

「君、エイダンといったか。エステルがすまなかった。君の服は新しいものを早急に用意するから、許してほしい」
「いえ、旦那様にそんなことをして頂くわけには……」
「この復興の最中で、綺麗な衣服を手にいれるのも大変だろう。お詫びだと思って受け取ってくれ」

 そう告げればエステルの表情が少しばかりこわばった。

「ごめんなさい、私……」
「いや、元はと言えば君の荷物を全部運び込めなかったのが悪いんだ。俺の手配不足でもある」
「カークが悪いわけじゃないよ」
「とにかく、この話は終わりだ。俺はこの後メンデル執政官と打ち合わせがあるんだ。昨日のうちに城から彼に宛てた資料を渡しておいたから、その話があるんだと思う。エステルはどうする? 執事に頼んで邸の案内をしてもらうか?」

 過去に滞在経験のあるカークには見知った家だが、エステルは初めてだ。女主人の仕事初めとしても適当な内容だろう。おとなしく部屋にこもっていてはくれない性格だから、何か出来ることを提案しておく方が安全だ。

「そのことなんだけど、私、荷物を取りにいってくるわ」
「荷物って、嫁入り道具のことか?」

 王家から共に旅立った馬車は立ち往生となってしまい、昨日のうちにすべてを運び込むことができなかった。今日も小ぶりの馬車で何往復かして運ぶ予定にしてある。荷物とともに急遽の野営となった騎士たちも、全員が今日中には邸の宿舎に入れるはずだ。

「まさかあの場所まで君が自分で行くっていうのか? それは駄目だ」

 慌てて止めればエステルは真剣な表情になった。

「お願いカーク、行かせてほしいの。だからわざわざこんな格好したのよ。もちろん、ひとりでは行かないわ。どうせ誰かが行くんだから私が混ざってもいいじゃない」
「駄目だ。荷物が心配なのはわかるが、こればかりは許可できない」

 ここは安全に守られた城ではないのだ。一番大切とされるべき彼女を邸の外に出すわけにはいかない。

 とのかく駄目の一点張りで反対すれば、エステルは強い視線でカークを睨みつけた。