ユリウスが国王夫妻の前で婚約者としての内定を貰い、ソフィア王女を部屋に送り届けた後。
仕事中だったこともあり職場に戻れば、すぐに宰相から呼び出された。
「まずはおめでとうと言うべきかな。目ぼしい候補がいなくなってしまった中で、君が最有力であったことは間違いないが、正直君に決まってよかったと思っている。他の候補ではあまりに英雄に劣ってしまっていただろうからな」
何せ妹姫のお相手があの英雄だ。姉であり王太女であるソフィア王女の相手となれば、本来はそれ以上の物が求められる。自分も英雄には到底及ばないが、爵位持ちであり宰相補佐という肩書きは、他の候補者よりはまだマシな方だった。他国の王族が候補に混ざっていたら勝ち目はなかっただろう。
「閣下には計り知れないご助力を賜り、感謝に湛えません」
素直にそう頭を下げれば、宰相は葉巻を取り出し、おもむろに火をつけた。ゆっくりと紫煙を吐き出しながらユリウスに視線を向ける。
「それで、いつから企んでいた」
愛用の葉巻をもってしても緩めることができない眉間の皺。むしろそれをさらに深くしながら問いかけた。
「四年……いえ、十年前ですかね」
「十年だと!? 君は確かまだ十代……。待て、まさか、あの伯爵家取り潰しの事件のときか」
葉巻を取り落としそうなほど驚く宰相を前に、さすがは国の政治中枢のトップにある人だと感心した。十年という単語からユリウスの身上について思い出し、点と点に過ぎない事象を線で結ぶ。加えてユリウスの企みについても見透かしていた上でのこの質問だ。
それを想定して答えを用意していた自分も大概かもしれないが、ともかく彼の元で働けていることを少しだけ誇らしく思った。
「策を講じるようになったのは、四年前の騎士団の入団式のときですが……それ以前にはもう囚われていたのだと思います」
彼女がランバート家を救ってくれたときから、自分はとっくに堕ちていたのだろうと、今となっては思う。
「……ソフィア王女は当時九歳だったがな」
「私は十六でした」
そんなことは聞いてないと苦虫を噛み潰した宰相は、死んだ魚のような目をユリウスに向けた。
「エステル王女にただの一件も縁談が舞い込まなかった時点でおかしいと気づかなかった私にも落ち度はあるが……明らかにやりすぎだろう」
「目的のためには手段を講じられるだけ講じろ、やり過ぎのぎりぎりを狙えというのが上司の教えでしたので」
語学が得意だっただけの自分に外交のいろはを叩き込んだのはこの人だ。まだ秘書だった頃から他国への出張に随行させてもらっていたが、四年前からは自ら積極的に願い出るようになった。ルヴァイン王国の伯爵の肩書きもあるので、あちらの社交界にもできるだけ参加した。
そして静かにそっと、囁くように噂の種を落としてくるのだ。——ルヴァイン王国の姫君と縁を結びたいなら、ソフィア王太女の方がお勧めです。両陛下は妹のエステル王女を溺愛しており、国外に出す気はないご様子。バランスを取るためにも姉姫のお相手は他国からと密かに決めておられます——。
そして国内では真逆の噂を。——姉妹姫の仲の良さを外交面で生かさぬ手はないと、国王はエステル王女を他国に嫁がせてかすがいとさせることを画策している、そうなればソフィア王女のお相手は国内から見繕うことになるだろう、と。
結果として妹姫に縁談は舞い込まず、姉ソフィアに集中することになった。エステル王女とカーク・ダンフィルのためにやったわけではなく、ソフィア王女の相手が決まるのをできるだけ引き伸ばしたかった。選択肢が多ければ多いほど、政治的な策略をあれこれ考慮する幅が広がり、時間がかかる。その間に自分が未来の王配候補に上がる可能性や、カーク・ダンフィルが功績を上げてエステル王女を貰い受ける可能性もゼロではないと信じたかった。もちろん、ソフィア王女が抱く淡い憧れが恋と呼べるほどのものではなかったと気づき、目が醒める可能性もありうるだろうと、半ば祈っていた。
さすがのユリウスも魔獣暴走までは予測できなかったが、対応に奔走する中でも、ソフィア王女に関することには決して手を緩めなかった。南部の領主に英雄の養子について打診する根回しをしたのはユリウスだ。ソフィア王女が持参金欲しさに他国から婚約者を迎えることになったと密かに噂を蒔いたのも自分。
地を這う蔦は幾重にも蔓を延ばし、やがて蕾をつける。それでも王女が自分を選ばなければ、諦めるつもりもあった。
だが、もう譲れない。
「私ほどソフィア様に忠誠を誓える者はおりません」
聖剣を捧げた忠誠など糞食らえだ。物に委ねられるほど、この思いは軽くない。
そう告げれば、宰相は深々と煙を吐き切った。
「ソフィア様に長い間無理を強いてきたのは我々大人だ。いくら王太女とはいえ、叶うなら年頃の令嬢らしい思いもさせてやりたいと思っていた。そう簡単な話ではないがな。……まぁ、君が彼女を大切にしてくれることは期待できそうだから、この際私の胸に納めておくこととしよう」
そして葉巻を嗜み終えた彼は、思い出したように付け足した。
「あぁ、私もしばらくはまだ宰相を続けたいから、君のその熱意を貸してくれると嬉しい」
「そうですね。閣下のことは……裏切らなくてすむよう鋭意努力します」
「おい、いろいろおかしなものが漏れ出ているぞ。……はぁ、なんだかソフィア様が不憫に思えてきたな」
そう指摘されるくらいにはユリウスも浮かれていたのかもしれなかった。顔色に出ないのは自分も同じだ。
仕事中だったこともあり職場に戻れば、すぐに宰相から呼び出された。
「まずはおめでとうと言うべきかな。目ぼしい候補がいなくなってしまった中で、君が最有力であったことは間違いないが、正直君に決まってよかったと思っている。他の候補ではあまりに英雄に劣ってしまっていただろうからな」
何せ妹姫のお相手があの英雄だ。姉であり王太女であるソフィア王女の相手となれば、本来はそれ以上の物が求められる。自分も英雄には到底及ばないが、爵位持ちであり宰相補佐という肩書きは、他の候補者よりはまだマシな方だった。他国の王族が候補に混ざっていたら勝ち目はなかっただろう。
「閣下には計り知れないご助力を賜り、感謝に湛えません」
素直にそう頭を下げれば、宰相は葉巻を取り出し、おもむろに火をつけた。ゆっくりと紫煙を吐き出しながらユリウスに視線を向ける。
「それで、いつから企んでいた」
愛用の葉巻をもってしても緩めることができない眉間の皺。むしろそれをさらに深くしながら問いかけた。
「四年……いえ、十年前ですかね」
「十年だと!? 君は確かまだ十代……。待て、まさか、あの伯爵家取り潰しの事件のときか」
葉巻を取り落としそうなほど驚く宰相を前に、さすがは国の政治中枢のトップにある人だと感心した。十年という単語からユリウスの身上について思い出し、点と点に過ぎない事象を線で結ぶ。加えてユリウスの企みについても見透かしていた上でのこの質問だ。
それを想定して答えを用意していた自分も大概かもしれないが、ともかく彼の元で働けていることを少しだけ誇らしく思った。
「策を講じるようになったのは、四年前の騎士団の入団式のときですが……それ以前にはもう囚われていたのだと思います」
彼女がランバート家を救ってくれたときから、自分はとっくに堕ちていたのだろうと、今となっては思う。
「……ソフィア王女は当時九歳だったがな」
「私は十六でした」
そんなことは聞いてないと苦虫を噛み潰した宰相は、死んだ魚のような目をユリウスに向けた。
「エステル王女にただの一件も縁談が舞い込まなかった時点でおかしいと気づかなかった私にも落ち度はあるが……明らかにやりすぎだろう」
「目的のためには手段を講じられるだけ講じろ、やり過ぎのぎりぎりを狙えというのが上司の教えでしたので」
語学が得意だっただけの自分に外交のいろはを叩き込んだのはこの人だ。まだ秘書だった頃から他国への出張に随行させてもらっていたが、四年前からは自ら積極的に願い出るようになった。ルヴァイン王国の伯爵の肩書きもあるので、あちらの社交界にもできるだけ参加した。
そして静かにそっと、囁くように噂の種を落としてくるのだ。——ルヴァイン王国の姫君と縁を結びたいなら、ソフィア王太女の方がお勧めです。両陛下は妹のエステル王女を溺愛しており、国外に出す気はないご様子。バランスを取るためにも姉姫のお相手は他国からと密かに決めておられます——。
そして国内では真逆の噂を。——姉妹姫の仲の良さを外交面で生かさぬ手はないと、国王はエステル王女を他国に嫁がせてかすがいとさせることを画策している、そうなればソフィア王女のお相手は国内から見繕うことになるだろう、と。
結果として妹姫に縁談は舞い込まず、姉ソフィアに集中することになった。エステル王女とカーク・ダンフィルのためにやったわけではなく、ソフィア王女の相手が決まるのをできるだけ引き伸ばしたかった。選択肢が多ければ多いほど、政治的な策略をあれこれ考慮する幅が広がり、時間がかかる。その間に自分が未来の王配候補に上がる可能性や、カーク・ダンフィルが功績を上げてエステル王女を貰い受ける可能性もゼロではないと信じたかった。もちろん、ソフィア王女が抱く淡い憧れが恋と呼べるほどのものではなかったと気づき、目が醒める可能性もありうるだろうと、半ば祈っていた。
さすがのユリウスも魔獣暴走までは予測できなかったが、対応に奔走する中でも、ソフィア王女に関することには決して手を緩めなかった。南部の領主に英雄の養子について打診する根回しをしたのはユリウスだ。ソフィア王女が持参金欲しさに他国から婚約者を迎えることになったと密かに噂を蒔いたのも自分。
地を這う蔦は幾重にも蔓を延ばし、やがて蕾をつける。それでも王女が自分を選ばなければ、諦めるつもりもあった。
だが、もう譲れない。
「私ほどソフィア様に忠誠を誓える者はおりません」
聖剣を捧げた忠誠など糞食らえだ。物に委ねられるほど、この思いは軽くない。
そう告げれば、宰相は深々と煙を吐き切った。
「ソフィア様に長い間無理を強いてきたのは我々大人だ。いくら王太女とはいえ、叶うなら年頃の令嬢らしい思いもさせてやりたいと思っていた。そう簡単な話ではないがな。……まぁ、君が彼女を大切にしてくれることは期待できそうだから、この際私の胸に納めておくこととしよう」
そして葉巻を嗜み終えた彼は、思い出したように付け足した。
「あぁ、私もしばらくはまだ宰相を続けたいから、君のその熱意を貸してくれると嬉しい」
「そうですね。閣下のことは……裏切らなくてすむよう鋭意努力します」
「おい、いろいろおかしなものが漏れ出ているぞ。……はぁ、なんだかソフィア様が不憫に思えてきたな」
そう指摘されるくらいにはユリウスも浮かれていたのかもしれなかった。顔色に出ないのは自分も同じだ。

