きっかけは王立騎士団の入団式だった。

 騎士団では年に一度、正騎士や准騎士の叙任式が開催される。騎士学校を卒業した者たちが見習いとして入団するのもこのときだ。

 かつて騎士を目指そうと思ったこともあったユリウスは、その日宰相の随行役として叙任式に参加することになった。叙任式は国家行事のため両陛下も出席する。さらにこの年はソフィア王女とエステル王女も臨席されると発表があり、騎士団はかなり慌ただしそうだった。

 宰相やユリウスに特別な仕事はなく、出席するだけでいい。補佐役でなく秘書のひとりに過ぎない自分が随行に選ばれたのにはそうした事情があった。とはいえ何が起きてもいいよう万全の準備は整えねばならない。昨年列席した補佐役のひとりに手順の確認をしていたとき、彼がふと口を滑らせた。

「今年は王女殿下方も臨席されるのか。きっと彼がいるからだろうね」
「彼?」
「カーク・ダンフィルだよ。ソフィア様の乳兄弟で、殿下方の幼馴染だ。年はソフィア様よりひとつ上だったか……ダンフィル子爵家の息子だな。継ぐべき爵位がないから騎士を目指したようだが、主席で騎士学校を卒業したそうだから、才能はあったんだろうね。ソフィア様にとっても信頼できる頼もしい騎士が増えて喜ばしいことだろう」

 引退が近いとされるこの補佐は、長く勤めているだけあって王家の事情にも詳しかった。カーク・ダンフィルと呼ばれる少年はソフィア王女の乳兄弟として彼女の傍で育ち、やがてお転婆姫と噂されるエステル王女の目付け役として共に過ごしてきたそうだ。ユリウスの情報網に引っかからずにきたのは、自分が入職した際にはすでに騎士学校に進学して城を離れていたからだろう。

(乳兄弟か……)

 あれほどまでに同年代の男子が近づかないよう守られていたソフィア王女の、唯一傍にいることを許された少年だ。気にならないわけがない。

(だが子爵家の人間であれば王女の相手にはなり得ない。あくまで兄弟のような仲だったから許容されたということか?)

 そう結論を出しかけたユリウスの考えは、叙任式で覆されることになる。

 いつものように周囲に注意を払いながらも、目はソフィアを追っていた彼だからこそ気づけた彼女の視線。この日ソフィアは主役ではなく、訪れた騎士団の建物の前で、両陛下からも離れた位置で妹姫と静かに控えていた。注目は当然ながら陛下や叙任される騎士たちに集まり、彼女たちを見る者はほとんどない。

 騎士たちの叙任に続いて騎士見習いたちが入団を讃えられる中、ソフィア王女の目はただひとりの少年に向けられていた。褐色の短い髪に空色の瞳。体格も同世代の見習いたちの中でひとつ抜けている印象だ。

 あれがカーク・ダンフィルかと認識した。その上で、ソフィア王女が注ぐ視線の意味を考え——違う、と心で否定した。

 彼女の隣に並び立つには不足だと、そう結論づけた。漏れ聞こえる噂から判断するに、騎士としては有望なのだろう。ソフィア王女に剣を捧げるとすでに決意しているという気持ちもわからなくはない。だが圧倒的に熱量が足りなかった。カーク・ダンフィルの意識はソフィア王女に向いていながら、完全に振り切れてはいない。

 そしてそれは王女の方も同じだった。確かに憧憬と淡い思いとが透けて見える、十五歳の少女らしい振る舞いを、静かな表情の中にうまく隠してはいる。すでに仮面を被ることを覚えた彼女には通常営業の、周囲からの評判の良い佇まいだ。

 ソフィア王女のお相手は、せめて彼女と愛情を育めるような男であってほしいと願っていた。だがそれだけでは足りぬと、ここに来て思い至った。

 あんな取り繕った表情の下に簡単に隠せるような思いしか抱けぬ相手に、彼女を託したくない。隣に立つ妹姫のようにあからさまに求めるような表情を見たい。

 叶うなら、自分が暴いてやりたい——。

 湧き上がる渇望は、ユリウスの中に深く閉じ込めていた箱を引き摺り出した。ソフィア王女に救われたあの日から六年。決して開けてはならぬと厳重に鍵をかけていたその箱を容赦無く開け放ち、白日の元に晒してしまった。

 気づいてしまったのなら、もう後戻りはできない。今まで通り、ひたすらあの場所を目指すのみだ。

(責任は取ろう。だが、それは貴女もだ、ソフィア王女)

 あのとき自分に向かって手を差し伸べたのは彼女の方だ。藁をも掴む思いでユリウスはそれを掴み、ここまで駆け上がってきた。まだ遠い王女の立ち位置を見て、決意を新たにする。

 ——貴女を得る代わりに、自分はその表情を崩して差し上げよう。泣いて縋り付いてでも乞うような、困惑するような思いをルビーの瞳に灯して、何をおいても欲しいのだと、その可憐な唇に言わしめてみせよう。

 もちろん、貴女が求める熱量以上のものを返し、貴女を愛することを、誓う。