「あなたがカーク・ダンフィルに抱いていた思いは断じて恋などではない。本物の恋なら、自分の命と引き換えにしてでも相手を守りたいと願うものだ。現に私は——あなたのためなら死ねる。一度破滅しかけた命を、あなたに救ってもらったのだ。もう一度、今度はあなたのために捨てろと言われるなら本望だ」

 息をつく間も無く、ユリウスはソフィアの首元に顔を寄せた。ぞわりとソフィアの背筋が震える。数分前に婚約の約束を交わしただけの男に許される距離ではなかった。ソフィアが声を上げれば、さすがに足止めされている護衛騎士たちがなだれ込んでくるだろう。

 だが彼女は何かに絡め取られたかのように動けなかった。やがて彼の息づかいがソフィアの鎖骨の辺りまで降りてきたかと思うと——熱を持った際どい感触を刻んだ。

(キス、された……いえ、違う、これは)

 舐められたと気づいた瞬間、ごく至近距離で彼の瞳が仄暗く揺れる様が見えた。

「……今は政略でもかまいません。必ずあなたを溺れさせてみせます。私が、本物の恋を教えて差し上げましょう。焦がれて、何を押してでも手に入れたいと……そのためにはなりふり構っていられぬような、すべてを投じるほどの恋を」

 吐息が絡むほどの距離で、目線だけを上げてそう言い切った彼は、唇をつけたままのソフィアの鎖骨に歯を立てた。

「……いっ!」

 痛みのあまり悲鳴が口から溢れ、生理的な涙が目尻に浮かんだ。いつの間にか両手を掴まれ、身動きを封じられたソフィアは、白々と息をするしかない。

「キスマークなんて簡単に消える印で満足できるはずないでしょう。ここまで来るのに十年かかったのです。この程度だって物足りないくらいですよ。あなたを愛するのも、傷つけるのも、もう私だけです」

 赤く腫れた鎖骨に今度こそ間違いなく舌を這わせ、ユリウスはようやく身体を起こした。されるがままのソフィアは、かつてないほどの混乱に襲われていた。考えなければならないことが山のようにあるのに、鎖骨から広がる甘い痛みにくらくらして、頭が回らない。

「十年っていったい……」

 ようやく口にできた言葉がそれかと、内なる冷静な自分が呆れる。こぼれたソフィアの言にユリウスはまた仄暗く瞳を揺らした。

「……十年前、私はあなたに救われました。そのときから、この身と心はあなたに捧げると決めたのです。聖剣に頼らねばできぬ誓いに劣るとは言わせません」

 そしてユリウスは目尻に残ったままだったソフィアの涙に唇を寄せた。

「あなたを泣かせるのも、生涯に渡って私だけです。憶えておいてくださいね」

 痛みとは真逆の、けれどよく似た熱に翻弄されて、ソフィアは頷くよりほかなかった。




 その日の午後は体調不良を理由に、生まれて初めて執務を放棄した。

 ベッドに横たわっているうちにいつの間にか眠ってしまったソフィアは、夕方、目を覚ます。

 夢すら見ずにぐっすり眠れたのは、ずいぶん久々のことだった。