「実は、ソフィア様の婚約者候補の選定について、魔獣暴走(スタンピード)が収まらないうちから妙な噂が流れていたようなのです。荒廃した南部の復興に充てる資金を得るために、王太女のお相手は国外から選ぶことになるであろうという話が、貴族たちの間でまことしやかに囁かれていたようでして……」
「なんですって?」
「誠にもって失礼千万な噂であります。まるで持参金欲しさに未来の王配を決めようとしているようで、実に甚だしいこと。事実無根の話ではありますが、なぜかこの噂を信じた者たちが多くいたようでして。ソフィア様のお相手とみなされていた若者たちも、それならばと別の女性と婚約を決めたのだと申しております。そのような事情から、候補者の選定にはかなりの困難が生じたのです」

 宰相の話に、ソフィアは今置かれている状況のすべてを理解した。ソフィアの婚約者が国外から選ばれるとなれば、お相手候補として残っていた同世代の者たちは別の相手を見繕わねばならない。それならば少しでも早く動いた方が条件のいい相手と縁付けるというもの。お相手の女性たちも、女性であるがゆえに男性よりも適齢期に敏感だ。ある意味戦時下に近い状況で、適齢の男性が目減りしている中、細かく条件をつけて四の五の申せる立場にもない。

 かくして水面下でいくつもの婚約が結ばれ、結果として自分があぶれてしまった、ということだ。一国の王女であり、未来の女王が約束された自分が、である。

「ということだ、ソフィア。幸いというか、ランバート卿が独り身であったことはある意味僥倖ではあったがな。彼であれば王配として女王たるそなたを支える才覚も十分だと、宰相も太鼓判を押している。……とはいえそなたの大切な縁談がこのようになってしまうことを、私も王妃も良しとは思っていないのだ」
「そうよ。ランバート卿は素晴らしい方だけれど、あなたはルヴァイン王国の王太女ですもの。選ぶ権利はあなたにあるわ。エステルのことは別にして、きちんと時間をかけてもいいはずよ。そのうちまた国外からのいいお話もたくさん舞い込むはずだもの」
「……いいえ、お父様、お母様、私、決めました。ランバート卿と結婚します」

 両親の思いを断ち切るように、ソフィアはそう宣伝した。断ち切ったのはきっと己の思いだ。エステルとカークを心から祝福するためにも、自分の退路は断った方がいい。

「そういうことですから、ランバート卿もよろしいかしら」
「仰せのままに、我が君」

 そしてユリウス・ランバート宰相補佐はソフィアに近づき、彼女の前に膝をついた。

「騎士ではありませんので剣を捧げることはできませんが、生涯に渡りソフィア様の手となり足となり、貴女様に私の心を捧げると誓いましょう」

 するりと手を取られ、彼の唇が自身のそれに触れた。手にキスを受けたことなど何度もあるので慣れているはずだった。

 けれど——。

「……っ」

 ただの唇の温度とは違う、初めて味わう感触に、一瞬手を引きかけた。しかし込められた力に動きを封じられる。

(な……っ、今、何をしたの!?)

 ただのキスの感触ではなかった。今のはまるで……舐められたかのような。

(まさか。ランバート卿に限って、そんな)

 辣腕の宰相が最も目をかけ、自身の後継として指導している男は、カークのような逞しい体躯ではないが、すらりとした長身に整った顔立ちをしている。ソフィアが彼に抱く印象は真面目で出しゃばらず、かといって大人しすぎるというわけでもない、仕事ぶりが丁寧な青年というものだ。

 きっと自分の思い違いだと、焦る胸の内を整える。元より両親と宰相が見ている前でこの手を振り払うわけにもいかない。

 ここまで顔色ひとつ変えず対応していたソフィアだったが、跪いた若き宰相補佐がふと浮かべた仄暗い笑みに、僅かに眉を顰めた。

(見間違い、よね……多分)

 こうして失恋してから10日目に、ソフィアの未来の伴侶が決められた。