「エステル、これ、どうしたの?」
「あのね、カークと一緒に東の宮殿まで行ったの。今の季節は藤の花が見頃でしょう? それで、とても綺麗だったからお姉様にプレゼントしたいと思って、貰ってきたの!」
にこにこと満面の笑みで差し出される藤の枝を、ソフィアは恐々受け取った。紫の絢爛たる花を咲かせた藤は確かに美しいが、茎ではなく枝に咲く花だ。王女として花を贈られたことは何度もあるが、枝ごと貰ったのは初めてだ。
「エステル、これ、どうやって切ったの? まさか自分でやったんじゃないでしょうね」
東の宮殿までは大人の足で歩いても三十分はかかる距離感については、この際問わないことにした。妹の行動力とお転婆ぶりはよくカークからも、エステルにこっそりつけられている護衛騎士たちからも報告を受けている。
それよりも恐ろしいのは、高いところに咲いているであろう藤の枝を、この小さな妹がどうやって手にしたのかということだった。姫君にしては簡素過ぎる木綿のワンピース(しょっちゅう汚れたり破れたりするためこれがエステルの普段着に採用されている)がいつも以上にドロドロで、葉っぱや小枝が貼り付いている様子に、思わず青ざめる。
もしや自分で木に登って枝を折ったのではと疑ったソフィアの勘繰りは、後ろに控えたカークによって否定された。
「大丈夫です、ソフィア様。最終的には庭師から鋏を借りた騎士の方が切ってくださいました」
「最終的には?」
「あの、最初は藤棚の棚脚に自分で登り出したんですけど、半分くらいのところまでで終わりました」
つまり半分登ったところで、護衛騎士たちが間に合ったということなのだろう。この服の汚れ具合はその直前の結果かと推測した。
「わかったわ。カークもご苦労様。よく途中で止めてくれたわね」
「いえ、俺がもっと早く、東の宮殿の藤棚を見にいくってエステル……様が言い出したときに気づくべきでした」
エステルに付き合っているとはいえ、彼もまだ年端もいかぬ子どもだ。出来ることには限界がある。それを追求するつもりはソフィアにもない。
「本当は私が切りたかったのに……騎士たちが邪魔をしたの」
「エステル、邪魔なんて言ってはいけないわ。騎士たちはあなたの身の安全のためにしてくれたのよ。それに、本当なら藤の枝を切ることだって止められても仕方なかったのに、あなたが欲しがるからわざわざ庭師にお願いしてくださったのでしょう? 感謝こそすれ、悪く言ってはいけないわ」
そう諭せば、妹はますますムクれてしまった。
「だって、ソフィアお姉様へのプレゼントだもの。私の力で取らなきゃ意味ないじゃない。大切な女性のために自分の力で得たものを贈るのが“カイショー”なんでしょう?」
「カイショーって……もしかして“甲斐性”って言いたいの?」
「そう!」
ソフィアが言い当てれば一転、満面の笑みになったエステルは、自分はいっぱしの大人だと言わんばかりに胸を張った。どこからそんな言葉を学んできたのかと、呆れ半分、おかしみ半分で妹を見つめ返す。周囲にいた侍女もソフィアの家庭教師も吹き出しそうになるのを懸命に堪えているではないか。
先ほどまで自分は、国内の領地の特産と税率について学んでいたところだった。数字は苦手ではないが、教師と議論するために適切な数字を拾い上げる作業は根を詰める。
淡々と過ぎゆく当たり前の時間を、こんなふうにかけがえのないものに変えてしまうのが、ルヴァイン王国の二の姫の力だ。張っていた肩の力が抜けるのと同時に、芳しい藤の花の香りが鼻の奥を抜けていくのを感じて、自然と笑みが溢れた。
「ありがとう、エステル。よければ一緒に飾りましょう」
侍女に花瓶の用意をさせて、藤の枝を生けていく。姉姫の部屋に飾られた姿に満足したのか、エステルは「次は西の宮殿に行ってくるね!」と元気に部屋を出ていった。「エステル……様っ、待って!」とカークが慌ててついていく。
二人の足音が遠ざかるのを感じながら、ソフィアは今一度藤の花を眺めた。図鑑で見たことはあったが、本物を見るのはこれが初めてだ。木に咲く花という知識でいたが、こんなふうに垂れ下がって咲くことを初めて知った。教師に尋ねれば、貴人の家では藤棚というものを作って、そこに枝を這わせて楽しむのだという。東の宮殿は今は無人のため、そこにあるという藤棚を話題にする人もない。大人の足でも往復一時間はかかる距離を走り抜けて、ソフィアのために甲斐性を発揮したエステルが運んでくれなければ、ソフィアがこの色香を楽しむ機会に恵まれることはなかっただろう。
自分にない力を秘める妹姫の、駆けていく声がどこからともなく響くのを聞きながら、ソフィアは笑みを深めるのだった。
「あのね、カークと一緒に東の宮殿まで行ったの。今の季節は藤の花が見頃でしょう? それで、とても綺麗だったからお姉様にプレゼントしたいと思って、貰ってきたの!」
にこにこと満面の笑みで差し出される藤の枝を、ソフィアは恐々受け取った。紫の絢爛たる花を咲かせた藤は確かに美しいが、茎ではなく枝に咲く花だ。王女として花を贈られたことは何度もあるが、枝ごと貰ったのは初めてだ。
「エステル、これ、どうやって切ったの? まさか自分でやったんじゃないでしょうね」
東の宮殿までは大人の足で歩いても三十分はかかる距離感については、この際問わないことにした。妹の行動力とお転婆ぶりはよくカークからも、エステルにこっそりつけられている護衛騎士たちからも報告を受けている。
それよりも恐ろしいのは、高いところに咲いているであろう藤の枝を、この小さな妹がどうやって手にしたのかということだった。姫君にしては簡素過ぎる木綿のワンピース(しょっちゅう汚れたり破れたりするためこれがエステルの普段着に採用されている)がいつも以上にドロドロで、葉っぱや小枝が貼り付いている様子に、思わず青ざめる。
もしや自分で木に登って枝を折ったのではと疑ったソフィアの勘繰りは、後ろに控えたカークによって否定された。
「大丈夫です、ソフィア様。最終的には庭師から鋏を借りた騎士の方が切ってくださいました」
「最終的には?」
「あの、最初は藤棚の棚脚に自分で登り出したんですけど、半分くらいのところまでで終わりました」
つまり半分登ったところで、護衛騎士たちが間に合ったということなのだろう。この服の汚れ具合はその直前の結果かと推測した。
「わかったわ。カークもご苦労様。よく途中で止めてくれたわね」
「いえ、俺がもっと早く、東の宮殿の藤棚を見にいくってエステル……様が言い出したときに気づくべきでした」
エステルに付き合っているとはいえ、彼もまだ年端もいかぬ子どもだ。出来ることには限界がある。それを追求するつもりはソフィアにもない。
「本当は私が切りたかったのに……騎士たちが邪魔をしたの」
「エステル、邪魔なんて言ってはいけないわ。騎士たちはあなたの身の安全のためにしてくれたのよ。それに、本当なら藤の枝を切ることだって止められても仕方なかったのに、あなたが欲しがるからわざわざ庭師にお願いしてくださったのでしょう? 感謝こそすれ、悪く言ってはいけないわ」
そう諭せば、妹はますますムクれてしまった。
「だって、ソフィアお姉様へのプレゼントだもの。私の力で取らなきゃ意味ないじゃない。大切な女性のために自分の力で得たものを贈るのが“カイショー”なんでしょう?」
「カイショーって……もしかして“甲斐性”って言いたいの?」
「そう!」
ソフィアが言い当てれば一転、満面の笑みになったエステルは、自分はいっぱしの大人だと言わんばかりに胸を張った。どこからそんな言葉を学んできたのかと、呆れ半分、おかしみ半分で妹を見つめ返す。周囲にいた侍女もソフィアの家庭教師も吹き出しそうになるのを懸命に堪えているではないか。
先ほどまで自分は、国内の領地の特産と税率について学んでいたところだった。数字は苦手ではないが、教師と議論するために適切な数字を拾い上げる作業は根を詰める。
淡々と過ぎゆく当たり前の時間を、こんなふうにかけがえのないものに変えてしまうのが、ルヴァイン王国の二の姫の力だ。張っていた肩の力が抜けるのと同時に、芳しい藤の花の香りが鼻の奥を抜けていくのを感じて、自然と笑みが溢れた。
「ありがとう、エステル。よければ一緒に飾りましょう」
侍女に花瓶の用意をさせて、藤の枝を生けていく。姉姫の部屋に飾られた姿に満足したのか、エステルは「次は西の宮殿に行ってくるね!」と元気に部屋を出ていった。「エステル……様っ、待って!」とカークが慌ててついていく。
二人の足音が遠ざかるのを感じながら、ソフィアは今一度藤の花を眺めた。図鑑で見たことはあったが、本物を見るのはこれが初めてだ。木に咲く花という知識でいたが、こんなふうに垂れ下がって咲くことを初めて知った。教師に尋ねれば、貴人の家では藤棚というものを作って、そこに枝を這わせて楽しむのだという。東の宮殿は今は無人のため、そこにあるという藤棚を話題にする人もない。大人の足でも往復一時間はかかる距離を走り抜けて、ソフィアのために甲斐性を発揮したエステルが運んでくれなければ、ソフィアがこの色香を楽しむ機会に恵まれることはなかっただろう。
自分にない力を秘める妹姫の、駆けていく声がどこからともなく響くのを聞きながら、ソフィアは笑みを深めるのだった。

