「え……」

 思わず溢れた声は、近づいてきたカークの長身が作る影の中に、静かに落ちていった。

 琥珀色の瞳を最大限に見開くエステルに対し、カークは己の手を差し伸べた。その手はエステルの頭でなく、解いたばかりの胸元の手に触れる。

「ずっとこの日を夢見ていたんだ。君の隣に並び立てる日を。君にこうして、自分の思いを告げられるときを」

 エステルの手を取ったまま、カークは彼女の前で膝をついた。

「エステル、どうか俺と結婚してほしい。君が守りたいものを、俺も一緒に守らせてほしい」
「どう、して……。だって」

 あなたは姉が好きではなかったのか——そう問いかけた彼女の舌はもつれるばかりで、最後まで言葉を紡ぐことができなかった。

 その続きを拾うかのように、カークがまた口を開いた。

「エステルがソフィア様のために剣を持つと言うから、俺も同じことをしようと思った。本当は俺がエステルを守りたかったけど、エステルは黙って守られたりなんてしてくれないだろう? だから、自分もソフィア様に剣を捧げれば、姉君を守るエステルと一緒にいられると、そう思ったんだ。でも、俺は随分と欲深くて」

 微かに細められた空色の瞳に見覚えがあった。二年前、城を発つ直前に彼が見せた、不思議な表情。

「どうかすると君に触れたいと思う気持ちを、頭を撫でることでごまかすことが、これ以上できそうになかった。そんなときに降って湧いた英雄の話だ。子爵家の次男でしかない自分が、エステルの隣に並び立てる最大のチャンスだと思った」

 別れが近づいていたあのときは気づけなかった。この表情の意味に。眩しいような、愛おしいものを見つめるような、そんな瞳。

「エステル。俺は子どもの頃から、君のことが好きだった。君にとって俺はどんな存在? 敬愛する姉姫の乳兄弟で、幼馴染で……それ以上の関係は望めないだろうか」
「そんなこと……っ」

 ないと叫ぼうとした瞬間、エステルは隣に立つソフィアの存在を思い出した。そうだ、姉もまたカークに思いを寄せていたはずだ。

 はっと姉姫を見遣れば、彼女はいつもの凛とした表情の中に、優雅な笑みを浮かべていた。

「ソフィアお姉様……。お姉様はっ」
「エステル、いつも言っていたでしょう? あなたの聞き分けがいい素直なところが大好きだと。あなたが私のために剣を持つと言ってくれたから……私も、あなたの身も心も、すべてを守ってみせると決めたのよ」

 そしてソフィアは慈愛の表情のまま、深く頷いた。

「私のかわいい妹姫、どうか幸せになってちょうだい。私の乳兄弟をよろしくね」
「お姉様……」

 これはいったいどういうことだろう。姉はカークのことが好きなのだとばかり思っていたのに。今彼女は、確実に自分の背中を押してくれている。

 混乱するエステルの手が、さらに強く引かれた。

「エステル、返事を聞かせてくれないか」

 褐色の髪と空色の瞳が小さく揺れる。いつだってエステルを温かく、ときに揶揄うように見つめていた瞳が、今はどこか不安げだ。跪いて、エステルの手を取って。まるで愛を乞う騎士の姿そのものだ。

 いや、まるで、というのは違う。カークは本当に自分の返事を待っていた。突然押し寄せた深い思いの波に呑まれて、眩暈がしそうだ。

 自分の気持ちに「恋」と名付けたあの日から、育ててきた彼への気持ち。10日前には失恋を覚悟した、エステルの秘めたる心。

 空へと伸びた巨大な蔦が、今、満開の花を咲かせていた。空の色と溶け合って、それは光のようにこの身に降り注ぐ。

 瞳の奥をつんと押し上げる感情を押し除けて、エステルは子どもの頃のままに朗らかに笑った。

「私も、ずっとカークのことが好きだったの」

 エステルの告白を受けて、カークは彼女の手に素早くキスを落とした。

 その感触に酔う暇もなく、エステルは立ち上がった彼の胸に抱き寄せられた。