夏休みが終わり、学校が始まった。

少しずつ涼しくなってきた風が、制服の袖を揺らす。

放課後、吹奏楽部が音楽室に集められた。

「何かあるのかな」 そんな空気の中、先生が前に立って、一言。

「合唱コンの時、吹奏楽部の発表をやるってなったら……出ますか?」

一瞬の沈黙。 そして、すぐに——

「やります!」 「やりたい!」 「え、やったー!」

部屋が一気に明るくなった。

私も、思わず笑ってしまった。 「また吹けるんだ」 ワクワクが、胸いっぱいに広がった。

文化祭でも演奏できることが決まった。

ただ、時間が限られているから、曲は新しくではなく、以前やったことのある曲に。

それでもいい。 もう一度、みんなで音を合わせられるなら、それだけで十分だった。

そして、3年生は——練習に3回だけ参加OK。

「3回だけ」 その言葉に、少しだけ切なさもあったけれど、 「3回もある」 そう思えば、嬉しかった。

またホルンを吹ける。 引退したはずなのに、私たちを呼んでくれた。

みんなの顔がぱっと明るくなった。

でも——

その喜びの中に、少しだけ寂しさが混ざった。

桜田先生は、妊娠していた。

もうすでにお腹も大きくなっていて、あと一か月で産休に入ることになっていた。

だから、合唱コンのときの発表の指揮を振るのは、桜田先生じゃなかった。

少しだけ胸が沈んだ。

先生の指揮で、もう一度吹けると思っていたから。

うわさで耳にした。

文化祭の指揮は、あの社会科の小澤先生が振るらしい。

関西大会まで行った経験のある吹奏楽の指導者だという。

しかも、先生の指揮は「壮大でドラマチック」だと聞いた。

その話を聞いた瞬間、胸が少し高鳴った。

「どんな演奏になるんだろう、面白そうだな」 ワクワクする気持ちが、静かに広がっていった。

でもその一方で、複雑な気持ちもあった。

桜田先生が、もう指揮を振れないこと。


引退後、初めての練習の日。

私は、すっごくワクワクして音楽室へ向かった。

たった一か月しか経っていないのに、部屋に入った瞬間、どこか懐かしさがこみ上げてきた。

空気の匂いも、譜面台の並びも、楽器の置き場所も——全部、変わっていない。

前と同じように楽器を準備して、チューニングを始める。

そのとき、ドアが開いて、小澤先生が入ってきた。

小柄で細身な先生。

スーツを着ると中学生みたいに見えるのに、今日はグレーのTシャツにズボンという、まるで大学生みたいな格好だった。

詩妃と目が合って、くすっと笑った。

「えっと、社会をしてる人は、知ってると思うんですけど、小澤ですー、よろしくお願いしますー」

先生は、少し照れたように挨拶した。

それから、基礎練習が始まった。

でも——なんだか、やりにくかった。

桜田先生の基礎連に慣れすぎていて、テンポも、指示も、空気も違う。

「桜田先生の時のほうが、楽しかったな」 そんな思いが、ふと心をよぎった。

基礎連は1時間も続いた。

そのあと、合奏になったけれど、どこか噛み合わない。

音がずれているわけじゃない。

でも、気持ちがそろっていないような——そんな感覚だった。



そんな状態の練習が二回続いて、とうとう文化祭前日。

朝から、体育館での準備が始まった。

椅子のセッティング、楽器の運び出し、パーカッションの移動——やることは山ほどあった。

みんなで一生懸命動いた。

汗をかきながら、でもどこか楽しそうに。

芽衣歌ちゃんと話しながら、楽器を運ぶ。

「この前の服、なんか大学生みたいじゃない?」

そんな他愛もない話が、準備の疲れを少しだけ和らげてくれた。

セッティングが終わると、一度合奏をすることになった。

文化祭では、ちょっとしたパフォーマンスも入れることになっていて、手拍子の練習もあった。

「ここで手拍子入れてね」

「タイミング、ずれないように!」

みんなで確認しながら、何度も合わせる。

すると、遠くから見ていた桜田先生と、他の吹奏楽顧問の先生が近づいてきた。

「顔怖いー笑顔笑顔!」

「手拍子、この前教えたやん!それ使って!」

「最後の『ありがとうございました』、声ちっさーい!」

「立つとき、のっそりしすぎ!おじいちゃんおばあちゃんか!」

みんなで笑いながら、注意を受けた。

怒られてるのに、なんだか楽しい。

先生たちのツッコミが、部活の空気を懐かしくしてくれる。

笑いながら、もう一度合わせる。

手拍子も、声も、立ち方も——全部、明日のステージのために。


合唱コンクール当日。

朝から、クラスの歌のことで頭がいっぱいだった。

練習の成果を出したい。みんなで気持ちをそろえたい。 そんな思いで、精いっぱい歌った。

でも、心のどこかでは—— 「吹奏楽の発表も、すごく楽しみ」 そんな気持ちが静かに息づいていた。

全クラスの合唱が終わったあと、いよいよ吹奏楽部の出番。

時間の余裕はほとんどなかった。

楽器を運び、譜面台を並べ、椅子をセットして—— 走って、動いて、準備に追われた。

急いで椅子に座ると、小澤先生が指揮台に立った。

練習とは違う、スーツを身にまとった小澤先生は、真剣な顔でチューニングの合図を送る。

その瞬間、みんなの表情が変わった。

「もう、これが本当の最後」 そう思って、私は息を整えた。

アナウンスが流れ、先生が手を挙げる。 そして——曲が始まった。

リズムに乗って、楽しく吹き始める。

体も自然と揺れた。

音が体育館に広がっていく。

生徒のみんなが、知っている曲が流れると、 「わー!」と喜んでくれた。

その反応が、想像以上で、うれしくなった。

10分ほどのステージは、本当にあっという間だった。

でも、その時間は、輝いていた。

演奏が終わると、すぐに片付け。

ばたばたと楽器をしまい、譜面台を戻し、椅子を片づける。

そして、合唱コンクールの結果発表へと移った。

でも、心の中では、まだ鳴り続けていた。 それは、私たちだけの——最後の音。