竜王の歌姫

あの日の空模様は、何だかどんよりと曇っていたことを覚えている。

けれど家に帰るカノンの足取りは軽かった。
今日はカノンが12歳になったお祝いに、母がアップルパイを焼いてくれる予定になっていた。
アップルパイは特別な日に食べることができる、カノンの大好物だ。

腕に抱える小袋には、リンゴの他にも抱えきれないくらいたくさんの果物や野菜が詰め込まれている。
カノンが誕生日だと知った街の人たちの好意によるものだ。

家はもうすぐ目の前。待ちきれずに小走りに近づいていったカノンは、家の中から怒号のようなものが漏れ聞こえることに気づいた。

何故だか嫌な予感がして、扉にかける手が震える。

「お母さん、お父さん……?」

そして扉を開けた先に、カノンが見たものは。

「カノン、来ては駄目……逃げなさい……!」

母を取り囲む、数人の男たち。

男はその手に持った刀を振り上げて―――必死な形相でそう叫んだ母が、目の前で血飛沫をあげながら倒れていく姿だった。

「……え……?」

何が起こったのか、理解できなかった。
倒れた母のそばには、ぴくりとも動かない父の身体が転がっている。
その瞳からは光が失われていて、既に絶命していることは明らかだった。

「カノ、ン……にげ……」

母の口からは血が吹き出して、カノンに伸ばしたその手が力を失った。

「こいつが噂のガキか?」
「ああ、特徴からして間違いないだろ」
「ひひ、こいつを連れていきゃ金になるんだな?」

男たちは皆薄汚い身なりをしていた。

その顔に覚えはない。街の者ではないのは確かだった。
手に持った刀から滴り落ちる、両親の血。
血溜まりに浮かぶ、亡骸。

「こいつらも大人しく娘を渡しておけばよかったのになあ」
「渡したところで、どうせぶっ殺してただろうよ」
「ま、そりゃそうか」

悲鳴は声にならない。
足はその場に縫い止められたように動かなくて、カノンはただ首を振る。

どうして、どうして? 
こんなの嘘。嘘だって言ってよ。

「おし、さっさと売り物持ってずらかるぞ」
「じゃ、ちょっと眠っててくれよ……っと」

腹に強い衝撃を感じて、カノンは気を失った。