――翌朝の登校後。
教室に到着した私は、額に小汗をかいたまま、高槻くんの席に行った。
震えた手で一本の傘を差し出す。
「あ、あの。……これ、貸してくれた傘。ありがとうございます」
何か言われるんじゃないかと思って俯いた。
でも、これだけは返さなきゃいけないから、アクションは避けられない。
彼は異変に気づいたのか、きょとんとした目のまま傘を受け取った。
渡す時に見えた、シャツの中の大きな傷跡。
じっと見つめていると、彼は袖を正した。
「あのさ」
高槻くんは軽くまぶたを伏せ、口を開いた。
「えっ」
「僕を避けてない?」
彼のまっすぐな瞳に、思わず心臓が跳ねる。
「そっ、そんな。避けてないですよ……」
目線を逸らして、胸に手を当てた。
「そう? 数日前と別人みたい」
昔から私を知っているかのような口調だった。
ふっとため息をつき、記憶を思い巡らす。
「ねぇ、どうして私のこと知ってるの?」
混乱していたせいか、敬語が抜けた。
バリケードを張り巡らしていたかったのに。
とはいえ、彼の顔に思い当たる節が見当たらない。
「あっ、いやっ……、その……」
彼は苦笑いをし、目線を逸らす。
「申し訳ないけど、そっとしておいてほしいんです」
唇を震わせ、スカートの横で拳を握った。
「どうして?」
「静かに過ごしたいんです。構われると疲れるんです。……人が好きじゃないですから」
人に構われることが嫌。
あの日に負った傷口は、もう二度と触りたくない。
彼に背中を向けて、カバンを握りしめたまま席に向かう。
チリンという鈴の音が耳に届く。
その瞬間、周りの音が聞こえなくなり、過去の記憶と結びついた。
「あっ、あの! その鈴、見せて下さい!」
気付いた時には、持ち主の相良さんの前に立っていた。
そっくりだった。
聞き慣れていた、鈴の音に。
「この鈴が、どうしたの?」
彼女は驚いていた。
入学してから一度も喋ったことのない私から、声をかけられたから。
でも、よく見たら別物だった。
音一つで反応してしまうなんて。
「……なんでもないです」
「そうなんだ。気に入ったかと思った」
肩の力が抜けた。
重い足取りで自分の席へ向かう。
カバンを机の横にかけ、スマホである画像を開く。
映っているのは、命の次に大切なもの。
いま一番恋しさに溺れているもの。
大雨の日に、ふいに消えてしまった。。
胸の中にぽっかり穴が空き、息を吸うのも辛かった。
――それは、ベージュ色のクマのぬいぐるみ。
名前はクゥちゃん。
首には茶色いリボン、赤いハートの柄入りの鈴がぶら下がっている。
近所を探し回っても、警察に問い合わせても見つからなかった。
どうして学校がある日に干してしまったんだろう……後悔した。
嬉しいことがあった日は一番に報告。
悲しいことがあった日は夜抱いて眠る。
私にとって、家族だった。
たとえ口が開かなくても、私をなぐさめてくれたような気がしたから。
でも、おとといの夕方。
予想外の暴風雨に見舞われて、忽然と姿を消した。



