楓くんのリュック型の通学カバンを見つめながら、あとをついて行く。いったいどんな頼みごとをされるんだろうという怖さ半分、楓くんの家に行けるというわくわくが半分。
 けれど、楓くんは私とおしゃべりをすることなく、ただ前を歩くだけ。これまで話したことがないし、これといった話題はないんだけど……。
 私は楓くんに見られていないことをいいことに、歩きながら髪を整える。前髪、変じゃないかな? ハーフアップは、お昼休みに葉純ちゃんに整えてもらったから平気かな。鏡で確認したいけど、歩きながらだとむずかしいからがまん。
 こそこそと身だしなみを整えていると、楓くんがくるりと振り返った。私は前髪に触れていた手をあわてておろす。学校から、わずか5分程度の場所だった。
「ここだよ」
 楓くんは、日本風の大きな門構えを指さす。表札には『阿久津』の文字。
 テレビドラマでしか見たことがないような、大きな門構えのおうち。
 近所に、こんな大きなお屋敷があったんだ……。
「こっちから入って」
 車が通れる大きな門ではなく、その脇にある人がひとり通れる大きさの扉を開く。扉の中には春の香りがただよう日本庭園が広がっていた。
 池もあるし、松の木もあるし、花をつけた背の低い木もある。
 私はきょろきょろと庭の様子を見ながら、楓くんについていく。池をまたぐ小さな橋から池を見下ろすと、鯉がゆらゆらと泳いでいる。
 なんだか……とんでもないところに来ちゃったみたい!
「ただいま」
 楓くんが、横開きの玄関ドアをカラカラとあける。
 家は、昔ながらの日本のお屋敷という感じ。玄関、クラス全員分の靴がおけそうな広さだよ。
「おじゃまします」
 びくびくしながら、靴を脱いでスリッパにはきかえた。靴を揃えてから立ち上がる。家の中は、とっても静かだった。
「2階にどうぞ」
 楓くんに案内され、私も2階へ。この階段がすごかった。学校と同じくらい広い階段なんだけど……。
 私、こんなところに来ちゃっていいのかな?
 不安になってきたよ~!
「実は、藍原さんに会ってほしい人がいて」
 階段をのぼりながら、楓くんが言う。
「会ってほしい人?」
 まさか、親とか? いきなり家族を紹介されるの?
 ありえないとは思うけど……交際とか? 結婚を前提に、とか?
 想像しただけで顔が熱くなる!
 だって、家に呼ぶってことは、それなりの……ねぇ?
 いやいや、さすがにそんなわけないか。だって楓くんとは初めて話すわけだし。
 いったいなにがはじまるのー!
 私の気持ちも知らず、楓くんはある部屋のドアをノックして、部屋の中へ呼びかけた。
「兄さん、楓です」
 兄さんって言った?
 楓くん、お兄さんがいたんだ。
「どうぞ」
 部屋の中から、男の子の声が聞こえた。
 楓くんは、ドアをあけて中に入っていき、私をまねきいれてくれた。
 どきどきしながら、部屋に足をふみいれる。
 部屋は、うちのリビングくらいの広さがある洋室。大きな窓からは、レースカーテン越しに夕陽がさしこんできている。
 そして――。
 部屋の奥には大きな机があって、ひとりの男の子が体よりも大きな椅子に座って、私を見ていた。
 思わず、あっと声がもれる。
 昨日、私を助けてくれたあの男の子だ。
 ピンク色の髪、透きとおるくらい白い肌、小さな顔、はっきりした二重の大きな目……誰かが描いた「かっこいい男の子」そのものだった。なにより、男の子のまわりにだけ、キラキラしたなにかが舞っているみたいに輝いている。
 まさか、また会えるなんて!
「君、さっさと入ってきて」
 冷たい男の子の声に、私は思わず息を吸い込む。
「あ、うん」
 私はぎこちなく足を踏み出して、部屋に入り、ドアをしめた。
 覚えてないのかな……。
 今日は青いパーカーを着ている。でも、フードはかぶっていなくて、ピンク色のサラサラの髪があらわになっていた。
 部屋には黒色のソファとローテーブルがあって、大きなテレビも置かれていた。それ以外の家具はなく、子ども部屋というより、会社のえらい人がいる部屋みたい。
 机の上には手のひらよりも大きな茶色のくまのぬいぐるみが置かれている。かわいいけど、部屋の雰囲気にはあわない。
 クールに見えて、かわいいものが好きなのかな?
「藍原さん、この人は僕のひとつ年上の兄です」
 楓くんが、男の子を紹介してくれる。
阿久津聖(ひじり)だ」
 腕を組んで椅子に座ったまま、ぶっきらぼうに自己紹介をした。
 聖くんか……なんか、感じ悪い!
 でも、私もちゃんと自己紹介しないとね。
「藍原仁愛です。えっと、昨日、私を助けてくれた人、ですよね?」
 こんな髪色の男の子、そうそういないもんね。
「そうだ」
 聖くんは、ダルそうなしぐさで立ち上がる。
「さっそくだけど、頼みたいことがある」
「どうしても、藍原さんにお願いしたいことがあって。藍原さんじゃないとダメなんだ」
 聖くんに続いて楓くんからもお願いされ、私の気分はちょっとよくなる。
 私じゃないとダメって言われるのは、うれしいかも。
 だって、私にいろいろ頼みごとをしてくる子は、べつに誰がやってもいいようなことばかりお願いしてくるから。ほんとうは、頼られること自体は、嫌いじゃないんだ。
 誰かの役に立てるってことは、私が存在していいってことだから……。
「それで、頼みごとというのは……」
 でも、頼みごとの内容によっては、すごーくめんどうなことになる予感! だって、わざわざ家に呼び出されたんだもん。普通の頼みごとじゃないよね。
 聖くんは、単刀直入に言った。
「簡単に言うと……人間をおそうあやかしを見つけてきてほしい」
「あ、あやかし!?」
 やっぱり、普通の頼みごとじゃない! あやかしって言ったよね、あやかしって……昨日の河童も、あやかしってこと?
「待って、くわしく聞かせて」
「今からするから、あわてるな。いや~乗り気で助かる」
 楽しそうに聖くんが言う。冷たい人なのかと思ったけど、けっこう、明るい人なのかな。っていうか、イジワル?
「乗り気っていうわけじゃなくて……!」
「まあまあ、兄さんも藍原さんも、とりあえずソファに座って」
 楓くんが、ソファに座るよううながしてくれる。

 ソファに移動して着席すると、私の正面に聖くんが座った。そして、楓くんは「飲み物とってくるね」と部屋を出てしまった。聖くんとふたりきり……。
 きれいすぎる顔を見られなくて、私はうつむいて制服のスカートをいじくりながら質問することに。
「それであの、あやかしを見つけるってどういう……」
「昨日、用水路に引きずり込まれそうになっただろう。あの犯人があやかしだ。俺は、そうやって人間に悪さをするあやかしを、人間に近づけないようにする『結界士』をやっている」
「けっかいし……」
 ゆっくりと、頭の中で「結界士」という漢字に変換される。でも、なにをするのかさっぱりわからない。
 頭の上にはてなマークを浮かべる私を見て、聖くんは「わかりやすくいうと」と口を開く。
「勝手に人の家に入ってこようとするあやかしに「ダメだよ、いい子にしてなさい」って言って、境界線を作ってあげる仕事だ。だから、退治するわけじゃない」
 白い札を用水路に投げ込んだとき、水面がピンと張って光を放ったことを思いだした。あれが、結界なのかな?
「なるほど。わかりやすいけど……なんで私が、あやかしを探すの?」
「子どものあやかしは、子どもの集まるところにでてきやすい。いろんな情報をできるかぎり集めてほしい。女子はそういうウワサ話が好きだろ?」
 ウワサ話が好き、という言葉に、仲良しの柴野葉純ちゃんの顔が思い浮かぶ。「女子はウワサ話が好き」なんて決めつけだけど、実際好きな子がいるから否定はできない。
「しかも、君は昨日、あやかしの声を聞いている」
「そうだけど……」
 なんで私が楓くんと同じクラスってわかったんだろう。疑問に思ったけど、そうだ! 名札を見られたんだった。
「やっぱり名札のクラスと名前、見てたんだ」
「ぼーっとして名札を隠していないおかげで、身元はすぐにわかった」
 聖くんはにやりと笑ってうなずいた。
 ぼーっとして、って!
 イヤな言い方するんだから!
 私の怒りをよそに、聖くんは話をつづけた。
「あやかしの声を聞けない人は、いつのまにか体をのっとられたり、被害にあったりする。でも、声が聞こえれば事前に対処できる」
「昨日、河童くんの声を聞いてすぐに水辺から離れれば安全だったってこと?」
「そういうことだ。それなのに、いつまでたってもぼーっと用水路から離れないから……」
「ああもう、わかったからぼーっとしてるって言わない!」
 私が両手と首を振ってお願いすると、聖くんはにやっと笑う。
 嫌がっているってわかってて言うんだから!
 気を取り直して……。
「だったら聖くんが自分でさがしたほうが早いんじゃないかな。声、聞こえてるんでしょ?」
 私の疑問に、聖くんは腕を組んで、笑みを浮かべて言った。
「俺は家の外に出たくないから、さがさない!」
 ドーン、と効果音がつきそうなほど、堂々とした物言いだった。
 自信まんまんに言われても……!
「え、で、でもこの前は外で私を助けてくれたじゃない!」
「あの日は、たまたまいたずら好きの河童の様子を見に行ったから。でも基本的には外には出ない」
 ぷーん、と聖くんはそっぽをむいた。子どもみたい! 中2なのに!
 聖くんはこっちに向き直ると、眉をくいっと動かした。
「そこで、仁愛の力を貸してほしいってことだ」
 呼び捨て! 急に! 許可した覚えはないんだけど!
 まあ、「呼び捨てで呼んでもいい?」と聞かれて、断れるわけがないんだけど……。
「人間に悪さをするのは、河童みたいに昔からいるあやかしだけじゃない」
 河童は、昔から人を水に引きずり込むあやかしとして有名……だよね。
 でも、それだけじゃないの?
「仁愛は読書係と聞いた」
 聖くんはセンター分けした淡いピンク色の髪をいじくっている。
 急に、なんの話だろう?
「私は読書係だけど……それがどうかした?」
 聖くんは、じっと私の目を見つめた。真剣な表情に、また心臓がどきっとしてしまう。なんで、こんなイヤな感じの人にドキドキするの!
「本というのは、人の思いを集めやすい。悪い思いが集まると、本の登場人物があやかしに乗っ取られてしまうこともある」
「本の登場人物が、あやかしに……?」
 うん、と聖くんはうなずく。
「あやかしに乗っ取られると、本の中の登場人物が形を作ったり人間に憑りついたりして悪さをすることもある」
「そんな……」
 悪い人の気持ちが集まった結果、人間に悪さをするあやかしが生まれるなんて……そんな……。
「仁愛は、本が好きなんだろ? 本の登場人物があやかしに乗っ取られて、学校のみんなに危害を加えるなんてイヤだろ?」
 自然と、私はうなずいていた。
 本は、読んでいる間はイヤなことを忘れさせてくれる。
 本の登場人物を応援したり、エピソードに共感したり……いろんな感情を教えてくれる。
 本も、本に登場する人物も大好きだし、学校の子たちが怖い思いをするのはイヤ。イヤだけど……。
「でも、怖い」
 本音が、口からこぼれた。
 あやかしって何? 昨日みたいに危ない目にあうんだよね。
 私にはできそうな気がしない……。
 読書係をひとりでやるっていうのとは、ワケがちがうよ。断れない私が、即答できない案件。
 私がためらっている様子を見て、聖くんがソファから立ち上がって、私のとなりに座った。
 そして、私の顔をのぞきこんでくる。
「協力……してくれないのか?」
 聖くんは、うるんだ瞳で私を見つめた。至近距離で。
 ず、ずるい! イケメンがうるんだ瞳で、こんなにも近くで、頼みごとをするのはよくない!
 心臓が、急にバクバクと音をたてはじめる。体の中が沸騰しそう!
 あやかしより、キケンなんですけど!
「仁愛に危害が加わるようなことはしない」
 そして、私の手をとった。
 白くやわらかな手が、やさしく私の手を包む。
 河童くんから助けてくれたときを思いだす。お姫様だっこで助けられて……思いだして、むしょうにはずかしくなって目をそらしたくなる。でも、きれいな瞳に見つめられると、縫われたようになって視線を動かせない。
 真剣な表情だった聖くんは、また自信に満ちあふれた笑顔を見せた。
「俺が、あの日みたいに仁愛を守る」
 聖くんが、目の前で、はっきりと言ってくれた。
 ヒーローだ。
 私をピンチから助けてくれる、私だけのヒーロー。
 時が止まったかのように、私はただ、聖くんの顔を見つめる。
 男の子から「守る」って言われる日が来るなんて。
 …………だめだめ! こんなの、協力させるための作戦なんだから!
 あんまりかっこいいところを見たら……好きになっちゃうよ。
 コンコン。
 部屋のドアがノックされる。
 聖くんはすっと立ち上がり、何事もなかったかのように、先ほどまで座っていた席に移動した。私の正面に座り、腕を組んで天井を見上げている。
 ドアが開くと、飲み物を取りに行ってくれた楓くんがトレイを手にもどってきた。
「おまたせ~。藍原さん、あたたかい紅茶でいいかな?」
「ありがとう。お砂糖があれば……」
 楓くんが持ってきたカップ、なんだか高そう……いつもマグカップでしか飲まないから、キンチョーしちゃうよ。
 テーブルに並べられた紅茶のカップにそっと手を伸ばす。慣れない手つきでお砂糖を入れてティースプーンでかき混ぜる。そして、折れそうなほど繊細な持ち手を持ち、口へ運ぶ。
「おいしい……!」
 家で飲む紅茶とはぜんぜん違う! なんだろう、フルーティーな香りがする。
「ダージリンティーだよ。お口に合ってよかった」
 うれしそうに、楓くんが言う。ダージリン……本に出てきたことがあるから聞いたことはあるけど、具体的にどんな紅茶かは知らない。
 紅茶を飲んでいた聖くんが、ふん、と笑った。
「知らないだろうから教えてあげるけど、ダージリンはインドのダージリン地方でとれる茶葉だ。世界三大紅茶のひとつで、マスカットのような香りが特徴」
 ドヤ顔してる! く~~~! またえらそうに!
「し、知ってますぅ~」
 マスカットの味がするかというと、よくわからないけど!
 私の態度に、聖くんはくすくす笑う。なにがおもしろいんだか!
「ま、だいたいの概要はさっき言った通りだから。あやかしを見たり情報を得たりしたら相談してくれ」
「はぁい……って、引き受けるって言ってないんですけど……」
「俺が仁愛を守るって言ってんだから、安心して引き受けなさい」
 だから、そんなはずかしいセリフを堂々と言わないで!
「わかったよ……あやかし情報を報告するだけでいいんだよね」
「そう。よろしく」
 聖くんは、紅茶を飲みほした。そのとき、壁にかけられた時計から音が鳴った。小さな人形が、時計の中で踊ったり楽器を演奏したりしている仕掛け時計は、午後5時をさしていた。家の外からも、防災無線のメロディが聞こえてくる。
「子どもは、おうちに、帰りましょ~♪」
 その防災無線のマネをした言い方をして、聖くんは立ち上がった。そして、フードをぽすっとかぶる。
「俺はゲームにいそしむ。じゃあな」
 聖くんは、私を見てにやっと笑うと、さっさと部屋を出て行った。
 ……さっきまで「仁愛のことは俺が守る」なんて言ってたのに。なんだかそっけないんだから。
 もっと、聖くんとお話したかったのに。
 それにしても、あやかしとか結界士って、なんだったの~?