人からのお願いを断れない。
 嫌われたくないから。
「仁愛ちゃん、おねがーい!」
 クラスの子にそういわれたら、笑顔で「いいよ、私がやるよ」って答えちゃう。
 正直、大変だけど……でも、イヤな顔されるくらいなら、私ががんばればいいんだもん!
 ということで、放課後に1年2組の教室にひとり残って、本棚の整理をしていた。
 各教室には10冊程度、図書室から借りている本が置かれているの。これを定期的に図書室に返してまた新しい本を借りるのが仕事のひとつなんだ。どの本を選ぶかは、読書係にまかされている。
 前回借りていた本を図書室に返して、新しいラインナップを考えたんだけど……この仕事、すごく楽しい。
 ほんとうはもうひとり、読書係の子がいるんだけど、「仁愛ちゃんにまかせていい?」って言われちゃった……。
「ダメだよ、係のお仕事なんだから!」
 ……て、言えるわけもなく。
 愛想笑いを浮かべながら「いいよ~!」って言っちゃう私。
 でも、嫌われるかもしれないっておびえながら「ダメだよ」って言うくらいなら、さっさと係の仕事をしたほうが楽なんだよね。私、本が好きだし、苦じゃないの。
 ひとりの時間も好き。
 だから、べつに、いいんだもん!
 ……昨日のことがあったから、ひとりで帰るのはちょっと怖いけどね。
 でも、怖い思いをしたってことは誰にも言ってない。
 だって、河童に足をひっぱられたなんて!
 話したところで、「夢でもみてたんじゃない?」って言われて終わりなんじゃないかな……。だから、先に帰る葉純ちゃんに、「係の仕事が終わるまで待ってて。いっしょに帰ろう」ってお願いできなかった。
 仁愛ちゃんいつもひとりで帰りたがってるのにヘンなの~って思われたくなくて。
 私だって、信じられないもん。河童に足をひっぱられたことも、すんごくかっこいいピンク色の髪の男の子に助けられたことも、ぜんぶ妄想だったんじゃないかなって……。
 うーん、考えていたら、わけがわからなくなってきた。
 考えすぎると疲れちゃうから、今は読書係の仕事に集中しよっと!
 新しく借りてきた本を、見栄えがいいように並べていく。背の順になるように、小さな文庫本から単行本、そして大きな図鑑の順番でそろえていった。
 童話、児童文庫、ライトノベル、中学生のお悩み相談、マンガでわかる偉人、お仕事図鑑……。
 男子も女子も、本好きもそうでない子も楽しめるラインナップを意識した。
 クラスのみんなが、朝読書の時間とか、休み時間に楽しんでくれたらいいな……。
「よし、オッケー!」
 きれいにならんだ本を見て、自己満足にひたる。
 よし帰ろう。家に帰ったらなにをしようかな。さっき、自分用に借りた本を読もうかな~。
 今日は、「大号泣必至!」ってあらすじに書いてあった児童文学の本を借りたの。泣くと、なんだか気持ちがすっきりする気がするんだ。
 本っていいよね。イヤなことも、悲しいことも、めんどくさいことも、ぜーんぶ忘れてその世界にひたれるから。
 早く読みたい!
 私は通学カバンを手に取り、足早に教室の出入口に向かうと……目の前に、人影がさっとあらわれた。
 あ、と思ったときには、おそかった。勢いあまって、その人影にぶつかってしまう。その勢いで、しりもちをついてしまった!
「きゃっ!」
 どしーん、とした衝撃が、おしりから頭にひびきわたる。でも、痛さよりも恥ずかしさがまさる。
 しりもちをつくなんて、はずかしいしかっこわるい! 私はあわてて制服のスカートを手で押さえる。よかった、めくれてなかった!
「ご、ごめん!」
 はずかしくて顔をあげられないまま、人影にあやまる。
「こっちこそごめん。藍原(あいはら)さん、けがしてない?」
 うつむいた私の目の前に、手が差し出された。
 すきとおるようなこの声、すごくきれいなこの手は……。
(かえで)くん!」
 思わず顔をあげる。
 同じクラスの、阿久津(あくつ)楓くん。かっこよくて、明るくて、やさしくて……女子だけじゃなくて、男子からも大人気。
 とはいえ、私はほとんどしゃべったことがないんだけどね。でも、みんなが「楓くん」って呼ぶから、私もひそかにそう呼んでいた。
 ええっと……目の前の手と、楓くんの顔を交互に見る。これって、手をとって立って、ってこと?
 そんなお姫様みたいな……! でも、楓くんがやるなら様になる。
 白い肌にふわふわの黒い髪が似合う、かわいらしい顔立ち。背も高いし、運動も勉強もできるし、なにより、誰に対してもやさしいの。
 こうやって、ほとんどしゃべったことのない私に手をさしのべてくれるくらいには。
「藍原さん?」
 楓くんの言葉に、はっとなる。
「あ、えと……ありがとう……」
 迷いながらも、思い切って楓くんの手をとる。すると楓くんは、やさしい力で私を立ち上がらせてくれた。
 そのいきおいで、私より少し背の高い楓くんの顔が近くなる。
 ニキビのない小さな顔。なんだか、ふわっといい匂いがする……気がする。
 こんなに近くで顔を見たのははじめてだけど、思っている以上に……イケメン!
 二重がくっきりきれいで、瞳もきらきら輝いていて。顔も近いし手を握ったままだし、はずかしいのに離れられなかった。
 今まで、こんなにも近くで顔を見ることなんてなかったもの!
 そこでふと、なぜだか昨日のピンク色の髪の男の子を思い出した。
 なんでだろう?
「藍原さん、大丈夫? やっぱり痛い?」
 心配そうな表情を見て、我に返る。
 やだ、昨日の男の子のことを思いだしてぼーっとしていたみたい! にぎりっぱなしだった手をあわてて離した。
「あ、大丈夫! へいき!」
 いまさら、ドキドキの心臓に気づく。昨日に引き続き、またドキドキしてる。
「けががなくてよかった」
 ほっとした表情の楓くん。なんてやさしい人なんだろう。
 私がぽーっとしていると、楓くんは真剣な表情になった。
「ところで藍原さん。ちょっと頼みがあるんだけど……」
 私は、高鳴った心臓が一気に落ち着いたことを実感した。
 なーんだ、楓くんも、私に頼みごとをするんだね。断らないのをいいことに……。
 がっかりしたけど、私はがんばって作り笑いを浮かべる。いつものことだもん。
「いいよ、なんでもやるよ」
 せっかく楓くんと話せているわけだし、嫌われたくもないし。ただでさえ断れない私が、断るわけがない。
 とはいえ……親切にしてくれたのも、頼みごとがあったからなんだって思うとうれしさが半減だよ。
 昨日は河童に襲われるし、楓くんから頼みごとをされるし、中学に入ってからいいことがなんにもない!
 私の人生って、ずっとこうなのかな……。
「よかった。藍原さんならそう言ってくれるって信じてた」
 表情をぱっと明るくさせる楓くん。笑顔を見せてくれるだけで、その場がライトアップされたみたいにキラキラかがやく。
 頼みごとを聞いて、こんな風に笑顔を見せてくれて、よろこんでくれるなら、いいよね……。
「それで、頼みたいことっていうのは――」
 楓くんは、少し言いにくそうにしている。そんなに、むずかしいことなの? プリントを集めて持っていくとか、掃除当番を代わってほしいとか、そういう話かと思ってたんだけど……。
 うつむいていた楓くんは、意を決したように私の目をじっと見つめて、言った。
「今から、うちに来てもらえないかな?」
「うち、って、楓くんの家?」
 楓くんはうなずいた。
 家に、行く? ほとんど話したことのない私が、家に? なんで?
 とまどう私を見て、楓くんはこまったように頭をかいた。
「そうだよね、困るよね。でも、家じゃないと話せないことなんだ」
 いったん冷え切った心臓が、また熱を持って動き始めた。
 だって、家に誘われているんだよ!?
 私、男の子の家に行ったことなんてないもん。はじめての男の子の家が楓くんの家だなんて!
 なんだか、ちょっと楽しみな気持ちになってきた。「家じゃないと話せないこと」がどんなことかわからないから、不安ではあるけれど……。
「わかった、楓くんの家に行くよ」
「ほんと! ありがとう」
 楓くんの笑顔を見て、それだけで満足してしまう。久しぶりに、頼みごとをされてうれしいっていう気持ちになった。
 とはいえ、ちょっと心配な部分もある。
 大丈夫だよね、すっごくヘンなこと、頼まれないよね……?