セーヌ川では泳げない

全力で殴りかかりたくて持ち合わせた最大のカードを切ってみる。彼は表情ひとつ変えない。グラスを揺らして赤ワインが波打つのをじっと見ている。
「フランス語に興味があるなんて、意識高い系って言われたり、なんか、浮いちゃって」
彼は答えない。私より赤ワインに興味があるのか。
「悪意って、全部が悪意だよね。『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』は至言だよ」
また揺れる赤ワイン。赤、と言ってもいろいろな色に見える。赤、紅色、クリムゾン、ピンク、紫、緑、青。(きみの唇の色)
「こちらがどんなサーブをしても、レシーブはすべて悪意で返ってくる。良いことも悪いことも全部悪意で」
「……」
「何か言ってくれないの?」
「きみが今、孤独じゃなくて良かった」

グラスを落としそうになった。

しばらく無言の時が続いた。桜の木が揺れる音がした。どこからか笑い声も聞こえた。車の音も。そよ風がきみの髪を優しく愛撫する音も。

「もう少し飲む?」
「きみ、全然飲んでないじゃない」
「今日はそう言う気分じゃないんだ」
「何かあったの?」
そこで笑うんだ。いつものように。

「私も、
きみが今、孤独じゃなくて良かった」