「え? 俺の言うこと信じたの?」
(きええええええええええええ!!)
西の空がオレンジ色と藍色のカクテルになる頃、ひとつひとつ校舎の灯りがささやかにともり、
彼と私は旧校舎のバルコニーで赤ワインをあけている。ヨーロッパの古城のような重厚な雰囲気を持つおしゃれな石造りのバルコニーで。
ぼうぼうとした桜が光る。街路灯のつつましい輝きを借りて。月はない。肌寒い気もするが彼のそばにいると気持ちがとてもあたたかい。いや、酔いのせいだ。そうだ。そうに決まっている。
彼はバルコニーの手すりに右ひじを突き、左手にワイングラスを持っている。中身は少しも減っていない。ゆるやかな風が彼の髪を分け、アッシュの中のグリーンがそよぐ。低い声で何かを唱えている。耳を澄ませてみると、それはヴェルレーヌの詩。フランス語だった。

「このワインどこからくすねてきたのよ」
「言語学の教授のとこ」
「あそこ良いワインがそろってるみたいね。グラスも」
「そう」
「でも、鍵がふたつ付いてなかった?」
「ダイヤル式の鍵なんて開けるためにあるんじゃない?」

「きみ、なんでフランス語学科に来たの」
「フランス語を学びに」
スパイとかのほうが合っている気がするけれど、こんなに派手なスパイはいない。少なくとも小説の中には。

「きみ、フランス語上手じゃない。それでもフランス語を勉強したいの?」
「学問に終わりはなくってね」
「高級ワインをくすねるために来た、って言う意味に聞こえた」
「アッハ!」

長身の身体を二つ折りにして彼が笑う。普段声が低くて少しかすれているのに笑う時はいきなり声が高くなるので「ホイッスル」とからかわれている。私は一度もそう呼んだことはないけれど。
「俺のルーツがちょびっとフランスにあるから」
「フランスへ行ったことはないのよね?」
「うん。
フランス人の血を持つ親族に会ったこともないよ」

何て答えれば良いのかわからなかった。