京の胸の奥には、まだ小さな期待が残っていた。
鈴も、慎も。どこかで同じ違和感に気づいてくれるのではないか。
律さんに従順に見える彼らも、心の奥では別の答えを探しているのではないか。

だからある晩、京は隠していたものを机の奥から取り出した。
古びた紙切れ。端は擦れて読みにくいが、墨で走り書かれた地図だった。
西の川を越えて南に進めば、人の住む街がある――そう記されていた。

「ここを抜ければ……屋敷の外で誰かに会えるかもしれない」
声をひそめて言うと、鈴と慎の目が一瞬だけ動いた。
けれど、期待していたような輝きは戻らない。

「でもさ、もう外なんてどうでもよくない?」
鈴はそう言って肩をすくめる。
数日前まで外へ出たいと駄々をこねていた人間とは思えない。
慎も同じだった。読書を禁じられた罰を受けてから、まるで最初から本に興味などなかったように振る舞っている。
ふたりは趣味が変わっただけではない。人そのものが変わってしまったように見えた。

京の喉の奥が冷たくなる。
あのときから、何かが違う。
それでも「一緒に逃げよう」と願う言葉を、京は止められなかった。

その瞬間、ふわりと柔らかな声が背後から降ってきた。
「あら、京。こんなところにいたのね」

律さん。
京は飛び上がるように振り返り、喉の奥が凍りついた。
地図は咄嗟に袖の中へ押し込み、心臓が耳元で鳴る。
見られた。聞かれた。怒られる――そう思った。

けれど律さんの顔は、叱責の色を一切浮かべていない。
微笑みすら浮かべている。

「ふたりと一緒なのね。ええ、楽しそうでいいわ」

それだけを告げると、まるで通りすがりに声をかけただけのように足を進めてしまった。
聞かれていたのか、いなかったのか。
あまりにもあっさりした反応に、京の背筋は逆に寒くなった。