夜の静けさを破るように、扉が叩かれた。
開けると、いたずらを企む子どものような顔をした慎と、わくわくした様子の鈴が立っていた。

「なあ京、そろそろ退屈だろ? 抜け出そうぜ」
「ねえ、一緒に行こうよ。今度はちゃんと楽しいこと考えてるから」

声を潜めて笑う二人に、京の胸はざわついた。
律さんの視線を思い出す。数日前から続くあの監視のような眼差し。
ここでまた問題を起こせば、今度こそ――。

「……今はやめよう。戻ったほうがいい」

必死に抑えた声でそう告げたが、二人は首を傾げるだけだった。
慎は「つまんねぇな」と笑い、鈴は「どうして? せっかくなのに」と唇を尖らせた。

そのとき。

「――何をしているの」

廊下に響いた声は、これまで聞いたことのないほど鋭かった。
律さんがそこに立っていた。微笑みはなく、目は氷のように冷たい。

「京を惑わせて……あなたたちは、どうして何度も繰り返すの」

怒鳴り声が屋敷の静けさを打ち砕いた。
京は息を呑んだ。律さんが声を荒らげる姿を見たのは初めてだった。

鈴は真っ青になり、慎でさえ苦笑を浮かべて視線を逸らした。

結局、鈴には「外出を禁じます」、慎には「読書を禁じます」と罰が下された。
そのときは当然、二人とも強く反発した。鈴は「外に出られないなんて!」と声を荒げ、慎は「本がないと退屈だ」と肩を落とした。

だが――日を追うごとに様子は変わっていった。

鈴は屋敷の庭先を眺めても興味を示さなくなり、かつて「外の風が気持ちいいの」と笑っていた姿は消えた。
まるで最初から外に出たいなどと言ったことはなかったかのように。

慎もまた、書庫の前を通っても立ち止まらなくなり、分厚い本を抱えていた姿はもう見られない。
「本なんて退屈だ」と、まるでそれが当然であるかのように言い切るようになる。

京の胸に、重いものが積もっていく。
あれほど嫌がっていたはずなのに、今では心からそう思っているように見える。
――律さんの手は、こんなにも容易く人を変えてしまうのか。

そして気づいた。
変わっていないのは自分だけだ。

二人の笑顔を横目に、京はひとり取り残されていく。
孤独の影が、深く静かに心へ沈んでいった。

部屋の隅で本を読みながら笑う鈴を見て、かつて「外の空気を吸いたい」と言っていた声を思い出す。
廊下で何もせずぼんやりしている慎を見て、かつて熱心に書物を抱えていた姿を思い出す。

――何もかも、なかったことのようになっている。

律さんは「これで良いでしょう」と穏やかに微笑んでいた。
その眼差しが優しさではなく、計算された支配であることを、京はもう知ってしまっている。

胸の奥で声がした。
次は自分だ、と。

抵抗すれば――いや、気づかれただけで。
鈴や慎のように「なかったこと」にされてしまう。
自分の意思も欲も、記憶さえも塗り替えられてしまうのではないか。

その恐怖に抗うように、京はかえって二人を気にかけ続けた。
かつての鈴と慎の姿を心に焼きつけるかのように。

だが、律さんの視線はそれを見逃さない。
その優しい笑みの奥で、「京はまだ変わっていない」と確かに告げていた。

律さんは、京を呼び出すことが多くなった。
理由はいつも些細なものだった。
「あなたの賢さを信じているのよ」
「鈴や慎よりも、ずっと頼りになる」

褒める言葉の端々に、比べる対象として二人の名前が混ざる。
それが京を選ばれた者のように見せかける一方で、二人から切り離すための楔になっていた。

「京、あなたはここで一番、大事な子」
その甘やかな声は、京の背筋には冷たいものを走らせる。思わず目を逸らした。
「こちらを見なさい」
律さんは突然京の手を取った。
指先が強く、皮膚を抉るように食い込む。
痛みで身を引こうとしたが、その逃げ道を塞ぐように声が降りかかる。

「逃げては駄目。あなたが逃げれば、この屋敷は壊れてしまう」

痛みと共に、逃げられないという言葉が骨の奥に染み込んでいく。
まるで体に刻み込まれるように。

京はただ小さく頷いた。
その反応に満足したように律さんは手を離し、いつもの柔らかな微笑みに戻る。
けれど、皮膚に残る痕と鈍い痛みが、さっきまでの圧力が幻ではなかったことを告げていた。

――逃げられない。
それでも、心の中では「こんなものは間違っている」と声が消えずに残っていた。