座ってくれ、と促された広い方の卓の席。
書類なども端に片付けられて琳華の為に誂えたような可愛らしいお菓子とお茶の小さな膳が据えられていた。
偉明の執務用の卓にもお茶だけが置いてある。
「秀女が残り八名となった今、本格的にご息女にも情報を共有しようかと思ったのだ。昨日も纏まった時間が無くてな」
「それでは今まで何も教えて下さらなかったのは」
「私からの腕試し、と言ったところだな」
むぐぐ、と唇を噤む琳華はそれからすぐに肩の力を抜いて吐息を漏らす。
「ご息女が本当にこの任務を務め上げられるか見極めさせて欲しい、と私から周先生に進言をしたのだ。ゆえに通行証の発給に許可が出るまでご息女に情報を与えることをしなかった。万が一、あなたに危険が及んだ時にボロが出てしまわないように、と」
「ではここ数日、いいえ……初めからずっとわたくしのことを騙して」
「そうではない。それはどうか、分かってくれ。これも宗駿様の親衛隊長として、周先生の教えを通す為のことだ」
そう言われてしまえば琳華は何も言えなくなり、俯いてしまう。その視線の先には茶葉とお湯が入れられている可愛らしい女性向けの椀。ずらして置いてある蓋から湯気と共に良い香りが立っている。豪華な茶器の誂えではなく、ごく簡易的な蓋椀のお茶。琳華も家ではよく使っている物だ。
「わたくしが女人と言うだけで、頼りなく見えますか」
「いや、私が見る限り……ご息女は違う。そしてこの宮中に勤める女官の一部もやはりご息女と同じように強い志しを持ち」
また偉明が上辺だけの言葉を述べそうになっているのを琳華は見抜いてしまう。そう言う時の彼は決まって対象の人物をあまり見ないようにしている。今、彼は自分の執務机にある蓋椀を立ったまま手に取ろうとしていた。
「わたくしは、宮正になりたいのです。なので、今回のことも含め……その……」
「上級貴族の女人がなるような官職ではないぞ。ご息女が思うほど清廉で高潔な仕事でもない。それ相応の賄賂も横行し、不正を握り潰した事例は枚挙にいとまがない」
「つまり今、わたくしがここに秀女としていることも……同じ、ように……様々な便宜や、秘密のお金で……あ……の……」
「ああ、そうだ。この期に及んで急に後ろめたくなったか?ご息女はそれを理解してやってきたものだと」
細められた偉明の視線が刺さる。
自分は後宮内の不正を取り締まる宮正と言う部署に勤めたいと思った。それは自分に武芸の心得もあったし、何より正義心があったから。
もとより裏口での入宮。よく考えてなくても下積みをせずに宮正になりたいなど、思い上がりも甚だしかったのだ。
「……私で良いならば話を聞く」
こんなことを話せるのは偉明くらいしかいない。
「無礼と無知、浅はかさを承知で……わたくしは全部、父の威光のもとでしか物事を成せない無力な存在だとたった今、分かってしまいました」
「ふむ、そう来たか」
「偉明様なら様々な女人を見て来たことでしょう。わたくしのように世間知らずで甘ったれた考えを持った者も」
「それについては否定しないな。確かに、ここには腐るほどいる」
執務用の卓にあった茶をひと口飲んだ偉明に勧められ、琳華もそっと碗を手にして唇を寄せる。
「だからこそわたくしを観察し、成し遂げられるかを見極めていらっしゃった」
「ああ、大体はそんなものだ。ご息女のご兄弟も順調に官職を賜って尽力をされている。周一族は名門中の名門……とは言え相当、甘やかされて育ったに違いないと思っていたが先生から詳しい話を聞いた段階ですらとんだ大物だと知り、実際に……ふ、っくく」
細くも武骨な指先にある茶を傾けながら笑っている偉明に琳華の瞳は段々と涙目になっていた。
(なぜかしら……すごく恥ずかしいし、いつもと違う悔しさと言うか、急に己の無知や無力さが胸にいっぱい込み上げて来て)
そんな自分がこの大役、本当に果たせるのだろうかとにわかに不安になる。偉明もそれについて見極めていたのだから結果は……怖くて聞けない。
「あちらを立てればこちらが立たぬ世だ」
茶の入った碗を置いた偉明は琳華の目の前の椅子にどかり、とおよそ表向きの彼からは想像しがたい音を立てて豪快に座る。そして琳華用に誂えてあった小さな菓子の盆に手を伸ばし、小ぶりな干し柿をひと口で食べてしまった。
遠慮をせず食べろ、とでも言いたいのだろうが両手の先で碗を支え、胸がいっぱいになってしまっている琳華では菓子に指先が届かない。
「周琳華」
いきなり名を呼ばれ、琳華の唇にむぎゅうと干し柿が押し付けられた。
「む、う」
「食え。滋養だ」
「んぐ……っ」
琳華は慌てて碗を置くと押し付け、突っ込まれた干し柿を恥ずかしそうに指先で支えて咀嚼をする。そんな琳華に偉明は満足そうに頷いた。その瞳はまるで小動物に餌でも与えるかのようだったが「親衛隊長が直々に毒見役をしたのだ。光栄に思え」と笑いながら言う。
