それから梢用の一回り華奢な組紐も偉明から手渡された琳華は「一応、形式上」と偉明から今回のこの“表側の役目”としての証文に細筆で署名をし、梢もまたその隣に自分の名を書き記す。
退室する間際、琳華と梢は白い組紐を帯に提げてから偉明と雁風に浅く一礼をして執務室から出て行った。
なんとか平静を取り戻した雁風は偉明の顔をちらりと見る。
「今日は薄化粧だったが女人はその時々で使い分けるのだな」
「隊長……」
張っていた肩を下げた雁風は偉明がしでかした事をどうやって彼の気に障らぬよう伝えるか考えあぐねる。確かに偉明自身、上級貴族の子女であり産まれた時からあまり女性とは関わって来なかったとしても、である。
雁風も偉明とは子供のころからの馴染み。雁風は商人の息子で都に住んでおり、近所の武芸の稽古場で“表向きの”ガキ大将をしていた。
その稽古場に偉明も通っていて、もちろん彼が真のガキ大将であったのだが……偉明は近所の女の子たちからとても人気だったにもかかわらず本当に興味が無かったのか、仕事一筋でここまで上り詰めてしまった。
外部の妓楼や宮殿内で行われる酒宴にも社交辞令以外では足を向けず、多分なのだが彼は教科書通りの男女のアレやソレやしか知らない。最近は落ち着いているが長いこと『仕事、および鍛錬ひと筋』過ぎてちょっと心配になっていたところ。
そんな偉明が琳華の日々の様相の違いに気がついている。
「隊長、昨日の琳華殿のお姿は」
「化粧が濃かったな。落とすのも一苦労であろう」
「ああ……」
だが、と偉明は琳華が座っていた椅子を見る。
「宗駿様の御前ともなれば相当に気合が入っていたのだろうな。流石、周先生のご息女だ」
「あああ……はい、そうですね……」
間違ってはいないが、ズレが生じている。
しかしこの偉明の変化はとても珍しかった。偉明の表の顔と裏の顔、そして彼の本当の素顔も雁風は大いに知っているがそれを見せているのは自分や親しい隊士、宗駿皇子の前だけ。
いくら恩義のある周家の末娘であろうがその対応は“裏の顔”止まりで今までと変わらない、と考えていたが……。
「隊長。そのお言葉から察するに今、琳華殿の事を若干お褒めになりましたよね」
「そうか?」
偉明の『気合いが入っていた』の言葉に褒め言葉のニュアンスが含まれていた、と雁風は思う。
この張偉明が女性の振る舞いを褒め、指先の柔らかさの感想を述べるなど。
「先ずはご息女の動向について周先生にご報告をしに行かねば」
「確かに、それに関しては早めが宜しいですね」
「ああ……これは私と先生の約束だからな。日が暮れる前には兵部省へ証文を渡しに行こう」
深く頷く雁風に偉明の視線は琳華が座っていた椅子から離れる。今日の分の事務仕事を早めに終わらせ、警備全般を司る兵部省に向かう為に執務机の方に回り――空になった小さなつづらの蓋を閉め、ほんの少しだけ偉明は物思いに耽る。
受け取らせた時の琳華のあの表情は何だったのだろうか。薄化粧の下の頬も赤くなっていたがそうなってしまうほど、組紐が貰えて嬉しかったのだろうか。
