「この後すぐ、親衛隊側が通行証と組紐を発行しますが琳華殿に持たせて楼に帰らせても?」
「ええ、目に見えて彼女が特別な存在だと他の秀女たちに知らしめる良い機会です。競争心が芽生えればより一層、心身に磨きが掛かるでしょう」
なんて残酷なのだろう。
鶴女官に見送られ、侍女にも通行証を出すからついて来てほしいと言われた琳華は偉明に先導されるままに寄宿楼から初めて、皇子が住んでいる東宮へと向かう。
直前まで多弁だった偉明も何も言わず、警備の兵が挨拶をするとそれに答えてやっているだけで黙って廊下を突き進んでいくが――琳華はその真っ直ぐな背と揺れる長い髪を見つめていた。
場によって自然に振る舞いを選んでいる彼は自分よりも大人で格好いいと言うか、やっぱりちょっとだけ素敵と言うか。二人の兄たちの姿に憧れたように胸がぎゅっとなる。
そんな無言の時間を過ぎ、琳華たちは東宮内にある偉明の執務室に通された。親衛隊長専用の部屋とは言え、東宮の中に入ってしまった途端にさほど警備の目が無くなったのは意外なことだったがそれまではやはり相応に番をする者は多かった。
「ご息女、掛けてくれ」
煌びやかな装飾は無かったが威厳ある、偉明の年齢にしては些か渋い内装の執務室。彼が事務仕事をする為の卓とは別に、ちょっとした会議が出来るような広い卓が部屋の中央に置かれていた。そこの椅子を一脚、琳華の為に引いてくれた偉明は自分の執務用の卓の上に置いてあった小さなつづらを持ってくる。
「女人が身に着けても違和感のない物にしたのだが如何せん急ごしらえでな。気に入らなかったら……諦めてくれ」
偉明の手によって差し出された白い組紐飾り。女性ならば誰でも身に着けられる白藤を連想させるような布細工と糸の房が揺れる美しい飾り。帯にしっかり差し込めるようにと白銀に花模様が抜かれた差し込み板もついていた。
「何だ、受け取らないのか。これさえあればご息女が夜な夜な出歩いていようが誰も文句は言えまい。その辺で私や雁風と立ち話をしていようが……どうした」
「琳華殿」
「お、お嬢様……?」
黙りこくってしまった琳華に雁風が先ず呼びかけ、続いて梢も流石に心配そうに小さく言葉を発する。
「な、なんでもないです……周琳華、しかとお預かり申し上げみゃっ」
噛んだ。
みるみるうちに薄化粧の琳華の頬が赤くなってゆく。それを真正面から見られるのは偉明だけなのだが彼の表情は鶴女官の前とは違う、素の状態だった。
しかしその時、おずおずと受け取る為に両手を差し出した琳華の指先に偉明の指先が当たる。
「っ、ひゃん」
慌てて手を引っ込めてしまいそうになった琳華は組紐を落とさないように堪えたが今度は偉明が眉根を寄せ、大きく表情を変えた。
「女人というのは指先すらも柔らかいのだな」
偉明の真剣な眼差しと言葉を聞いた長い付き合いの雁風は目を見開き、絶句する。
「た、隊長……そう言ったお言葉は」
「は……ああ、すまない。私の配慮が無かったか」
多分、偉明に悪気はない。たまたま指先が当たってしまっただけでこれは偶然。琳華とてそこまで男性に対して驚いたりするような事はないはずなのだが先ほどから様子がおかしい。
「その組紐は通行手形。反面、ご息女が何者であるか分かる者には分かってしまう。周家の娘だと分かれば擦り寄って来る者も増えるだろうがご息女の健脚ならば蹴散らすなど造作もないとお見受けする」
「……は、い。わたくしは、これしきのこと……我が家名に難癖をつけようものならば」
「お嬢様、お言葉がっ」
「え、あ……やだ、わたくしったら」
しゃらりと琳華の手の中で白い藤の房が揺れ、流れる。
「えっと、あの……ゴホン。不肖周琳華、しかとお預かりいたしました。この組紐飾りの存在に恥じぬよう誠心誠意、役目を務め上げる所存です」
女性にしては珍しい口上を述べる琳華にぴく、と偉明の整った眉が動く。
「寄越した文では夜に、と言ったが急に予定が変わってすまなかった」
「いえ、それは……このような待遇を賜るなど」
「っくく、やはり周先生のご息女なのだな」
面白い姫君だと偉明が笑い、絶句していた雁風は驚愕する。
まさに開いた口が塞がらないような雁風は隣にいる梢とは反対側に顔を背け、肩を上下させながらなんとか衝撃に止まってしまっていた呼吸を整える。
