引っ越し当日――杏は目の前に見えた低層高級マンションに、ゴクリと息をのんだ。お菓子レッスンをしていたマンションは高層で凄いと思ったが、ここは高さは無いがそれ以上だった。
まるで高級なホテルのような景観。一階の広々としたエントランスには受付カウンターがあり、二十四時間対応のコンシェルジュまでいる。杏は雰囲気に圧倒され、ドキドキ震えながら中に入った。
オートロックをかいくぐり、なんとか部屋までたどり着くと、玄関のインターホンを鳴らす。「いらっしゃい」と、すぐにドアを開けてくれた。
その笑顔にやっとホッとする。蒼士は自分の家だからか、綿の部屋着ズボンにTシャツという、いつもと違うラフな格好。
「おじゃまします……」そう言いながら中に入ると、蒼士は間違ってる、と指摘した。
「ここは今日から杏の家でもあるんだから、『ただいま』だよ」
改めて言われると、なんだか恥ずかしい。でも……
「た、ただいま……」
思い切って言ってみたら、今日からここに同棲する事が急に現実的に感じて、ぎゅーっと心に押し寄せてきた気がした。蒼士も同じだったようで、「おかえり」と言いながら、照れたように微笑んだ。
杏はまだ慣れなくて、蒼士の笑顔を見る度にドキドキしてしまう。そもそも『王子様』なんて呼ばれちゃうイケメン俳優だ。慣れる日なんて来るのだろうか。
部屋の間取りは2LDKで、あのお菓子レッスンのマンションとさほど変わりはないようだった。違うのは、広さ。あちらのマンションより圧倒的に広い。
リビングやキッチンの他の部屋も案内してもらったが、残りの二部屋も杏が住んでいたアパートの部屋なんて、ウォークインクローゼットに入ってしまうんじゃないかと思うくらいだった。


