スタジオの中には既に、キッチンのセットが出来上がっていた。CM撮影の為の大勢のスタッフたちが忙しそうに行き来している。その中には、杏の会社の企画や広報の課の人たちも。
「まだ撮影は始まってないみたいだな。段取りと役割を聞いてくるから、葛原さんはここでちょっと待ってて」
課長はそう言うと、会社の人たちが集まっている方へ行ってしまった。杏は邪魔にならないようにスタジオの壁沿いに張り付き息を潜める。
いつもは事務所でパソコン画面と睨み合っている時間だ。規模の小さい貸しスタジオとはいえ、こんな非日常の場所にいるのが信じられない。足元がふわふわして夢の中みたいに感じる。
明るいキッチンを模したセット。誰かの家を想定しているのだろう。生活感のある小物も配置されている。
(あそこでお菓子作るのかな?)
車の中で見たファイルにはCMの絵コンテも入っていた。それによると、東雲蒼士が楽しそうにお菓子を作るシーンを撮るようだった。それにナレーションやセリフを重ねて作るみたいだ。
キッチンのセットには、流しの隣に三口ガスコンロ。後ろの棚に大きめのオーブンレンジもある。あれだけの設備があれば、ホールケーキなんて余裕で作れてしまう。
スタジオのセットなのに、自分の住んでる小さなワンルームアパートのキッチンよりも大きくて、杏は羨ましくなってしまった。
なかなか課長か戻ってこないので、ぼんやりそんなことを考えていると、急に入り口の扉が開けられて空気が変わった。
「おはようございます! 本日はよろしくお願いします!」
よく通る滑舌の良い声。挨拶をしながら、イケメンが二人入ってきた。黒髪と茶髪。その後ろに、二人より少し年上みたいなメガネをかけた女性。
イケメン二人のうち、黒髪の男性の方が東雲蒼士だろう。車で見たファイルにあった写真と同じ顔をしている。


