業務開始の時間になると、さっきまでザワザワしていた社内が、ピリッと仕事モードに切り替わった。杏もパソコンに手を伸ばした。

 暫く仕事をしていたら、隣の席の和田が杏に声を掛けた。さっきオランジェットをひとりで五個も鷲掴んでいった先輩だ。

「ねえ、葛原さん知ってる?」

 二十七歳の杏より五つ歳上の先輩、和田は、噂話が大好き。捕まると話が長くなるけど、隣の席で無視も出来ない。仕方なく杏はパソコン画面を見ながら返事を返す。

「何ですか?」

「この会社、今年は創立三十周年の記念事業でテレビCM制作するの知ってるでしょ?」

 そういえば年度が変わった四月にそんな発表があったなあ、なんて思いながら杏はパソコンのキーを叩く。今はもう七月だ。そろそろ撮影でもするのだろうか。

「でね、そのCMにアンバサダーとして、東雲蒼士(しののめそうし)を起用するんだって!」

「しののめ、そうし……?」

 杏はお菓子には詳しいが、芸能人にはあまり興味がなかった。テレビもあまり観ないし。

 誰だっけ、と思いながら思わず和田の言葉を繰り返してしまった。

「……もしかして葛原さん、ピンと来てない?」

 和田の問いかけに杏はコクリと頷く。和田は目を見開き、信じられない! という表情を見せたあと、早口でまくしたてた。

「東雲蒼士っていえば、今一番売れてるイケメン俳優だよ! 普段は舞台が主であまりテレビとかにはでないけど、この前ドラマの王子様役で珍しくテレビに出てて話題になってたでしょ!」

「すみません、私、テレビあまり観ないんで……」

 杏が全く興味無さそうに答えるから、逆に和田の解説に火が付いてしまった。

「本当に知らないの?! 先月雑誌のnyannyan(にゃんにゃん)にも特集記事あったし! 抱かれたい男三十代部門で一位だったのに!」