あなたは私のオランジェットの片割れ

 なるほど……でも、お菓子を作れる人なんてごまんといる。素人の自分なんかではなく、芸能人ならそれこそ、有名パティシエにでも頼めばいいのに。

 そう思ったが、杏は口に出す事はしなかった。

「事務所のツテで人を頼むと、どうしても情報の漏れる確率が高くなる。どこで誰が繋がっているのか分からない世界だからな。今回は、蒼士先輩のイメージの為に、なるべく情報を漏らしたくない。だからその点が、くずあんなら俺以外、何処にも繋がっていないから安心だろ?」

 斗馬が、褒めているのかけなしているのか分からないようにそんなことを言う。

 (確かに、芸能界の知り合いなんて斗馬しかいないけれど……)

 でも、人気俳優の東雲蒼士にお菓子レッスンなんて、荷が重すぎる。絶対にやりたくない。杏はすぐに断ろうとした。しかし……

「もちろん、レッスン代として謝礼はお支払いします」

 桐生が掲示したレッスン料は、弱小貧乏会社員の杏にとって、魅力的な金額。思わず『YES!』と叫びそうになり、ハッと我に返る。

「でも、やっぱり無理です。それに、うちの会社は副業は禁止されているので……」

 杏の言葉を聞き、桐生は鞄から取り出した書類を目の前に置いた。

「御社の方からは許可を頂いています」

 それは杏の会社、株式会社ほほえみ製菓の社印がバッチリ押された副業許可証と、誓約書だった。

「こちらの誓約書に葛原様のサインをしていただければ、問題ありません」

 先回りして逃げ道を塞がれたのだ。絶望した杏の様子にニコリと微笑みペンを差し出す桐生。困って視線を斗馬に向けたが、彼も苦笑い。

 断ることが出来ないことを悟ると、杏は観念してペンを手に取った。書類にサインをしながら、今日、斗馬におびき出されてここへ来たことを後悔していた。