「なんだか、とても大人びた考え方ですね。ありがとうございます、勉強になりました!」
「まぁ、オレも後悔したんだよ。……過去のオレは、失敗したから」
「えっ?」
「さっき、オレは退魔師だったと言ったよね。過去形なんだよ。オレは退魔師を辞めた。自分よりも退魔師として優れていた弟の理人に、家業を全て押しつけて逃げたんだ」
思いがけない暴露に、心臓がドキリとした。
退魔師を辞めた……?
瀬川くんは家に託された使命だと言っていたけど、辞めることもできるの?
頭の中がハテナと困惑でいっぱいになるわたしに、彼はそのまま話を続けた。
「単純に、オレはあいつの才能に嫉妬したんだよ。親から常に理人と比べられていることが、いつからか苦しくなった。だから、最後の方は辞めるのを引きとめてきた理人とバチバチに対立して、足を洗った感じだな。……正直、すげえダサかったと思うよ」
そう語る幸人さんは、とても苦しそうな表情をしていて。
わたしまで切なくなって、ギュッと膝の上でこぶしを握ったら、幸人さんは自嘲気味に笑った。
「……毎日の修業も、実戦も、想像以上にキツかった。精神的にも参ってきて、しつこく辞めないでほしいって引きとめてきた理人に、ついカッとなって言ってしまった。『うるさい! オレがいま不幸なのは、瀬川家なんかに生まれたせいだ。退魔師になるなんて重い宿命を押しつけられたりしなければ、幸せに生きられたのに!』って」
それは……。瀬川くんにとって、鋭い言葉の刃だったんじゃないだろうか。
幸人さんは、家業のことを共有できる唯一の身近なひとだったはずなのに。
「……そのときあいつは、『じゃあ、ゆき兄は好きに生きれば良い。家業はぜんぶ僕が負う』って冷めた顔で言った。両親のことも、家業は自分が継ぐから兄は解放してくれと説得してみせた。あいつは、多分、オレに失望したんだろうな」
「そんな……」
「失望されて当然のことをしたと思っているし、いまでも最前線で踏んばってる理人には頭が上がらないよ。オレはね、辞めたこと自体は後悔していないんだ。……理人に八つ当たりしたことは後悔してるけどね」
「瀬川くんには、あやまったんですか?」
「いや? 今さらゆるしてほしいとも思ってないし、どのツラ下げて言うんだって感じだから言ってないよ。散々口ゲンカもしてきたし、あいつはオレのことなんて嫌いで仕方ないと思う。でも……、オレはね、理人には幸せになってほしいよ」
切実そうに願うような声は、震えていて。
それは幸人さんの心からの願いなんだって、悲しくなるほど伝わってきた。
「だからさ、実戦で戦うこと以外になるけど、あいつの役に立てることはなにかないかって今は模索中のところ」
「たとえば、どんなことですか?」
「そうだなぁ……。退魔師向けに、認知バイアスの講座を開いてみるとか? オレ、教えるのは嫌いじゃねえし、案外、向いてるんじゃないかって思ってるんだよ。まぁ、理人には実現するまで言う気ねえけど」
そう締めくくろうとした幸人さんの瞳には、慈愛の情が宿っているように見えた。
フクザツな兄弟関係なんだな。
たしかに、一度は、大きくすれ違ってしまったのかもしれない。
でも、幸人さんの話からは瀬川くんへのたしかな愛が感じられた。
わたしが口を挟むことじゃないけど、不器用というか、もどかしいというか……。
むずがゆいような感情に浸っていた、そのときだった。
「ねえ。どうして二人が一緒にいるの?」
意外な第三者の登場に、それまでの思考を、ぜんぶ持っていかれた。
「ゆき兄さぁ、黒野さんと二人きりで、いったいなにを話しこんでいたのかなぁ? なんだかやけに距離も近くない? 黒野さんから離れてくれないかなぁ」
肩をびくりと跳ね上げながら、幸人さんと二人一緒に振り向けば。
なぜかピリついた雰囲気の瀬川くんが、良い笑顔を浮かべながら立っていた。
どうして瀬川くんがここに?
「おや、理人。使命バカのお前は、今日も認知バイアスの勉強と、筋トレ諸々と、悪魔化発生への備えとでとても忙しいんじゃないのかい? こんな公園で油を売っているヒマはあるのかな?」
ゆ、幸人さん! さっきまでしみじみとあんな想いのこもった話を語っておきながら、本人が出てきたとたんになんで毒舌なの? もしかしてツンデレってやつですか⁉
「ああ、その通りだよバカ兄貴。今日の午前中も福宮図書館の自習室で、きっちり認知バイアスの勉強をしてきたさ。お昼ご飯を食べてから、日課の筋トレを行う予定だったんだけど、ゆき兄が、僕のクラスメイトにご迷惑をおかけしている現場が目に留まってしまったから慌てて駆けつけてきたんだよ。大丈夫だった、黒野さん? ゆき兄になにもされていないよね?」
「お、落ちついてください、瀬川くん! この通り、幸人さんにはなにもされていませんし、むしろ、いろいろと学ばせていただいていた最中といいますか……」
「あっ! 真白ちゃん、オレのこと初めて名前で呼んでくれたねー。うれしいなぁ」
はわわっ! まずいっ、心の中で幸人さんと呼んでいたから、ノリで、現実でも幸人さんって呼んじゃったよ~~!
ニコニコ笑顔の幸人さんにたいして、瀬川くんはといえば……、
「軽薄なゆき兄が黒野さんのことを抜け抜けと名前で呼んでいるのは気にはいらないけどさておき、幸人さん……?」
ひいっ。なぜか瀬川くんの瞳に、暗い焔が揺らめいてみえる⁉ なんで!
「それは特に深い意味はないといいますか、瀬川くんと区別するために心の中でお兄さんのことをお名前で呼ばせていただいていたのが口に出てしまっただけでっ」
って、なんでわたしも言い訳してるの?
「理人、男の嫉妬は醜いよ? もっと余裕をもたないと」
「っ。嫉妬とかじゃない! 単純に、ゆき兄のことが信用ならなかっただけだし!」
「おーおー、お前が一人の女の子のことでこんなに取り乱すなんて珍しいね。学校では誰に告白されても、『ごめんね、恋をする気はないから』とか生意気にも言っちゃってるみたいなのに」
「なんで知ってるの⁉ も~~~~、ゆき兄は黙ってて!!」
な、なんか、よくわかんないけど兄弟ゲンカってすごい。
口をはさめずにボーっと見ていたら、幸人さんがベンチからすっと立ち上がった。
「邪魔者の兄さんは、そろそろ退場してあげるよ。がんばれ、ピュアな弟よ」
「ゆき兄嫌い……。一週間は、口きかない」
「まあまあ、そんな悲しいこと言うなって。夕飯はお前の好きなオムライスにしといてやるからさ」
「っ!! …………それは、食べてあげなくもない」
「あはっ、本当にかわいいやつ。んじゃ、そろそろ買い物でもして帰るわー。またね、真白ちゃん。つきあってくれて、ありがとう」
幸人さんが嵐のように去っていくと、公園に取りのこされたのはわたしと瀬川くんだけとなった。
いつの間にか、砂場で遊んでいた親子連れもいなくなっている。
つまり、公園に二人きりだ。
瀬川くんの様子をうかがおうとして、バチッと思いきり視線が交差してしまった。
たったそれだけのことで、胸がキュッと痛くなる。
なんでだろう。
目が合っただけなのに、さっき幸人さんと近くで内緒話をしていたときよりも、ずっとドキドキするよ。やっぱり、推しだからなのかな?
「えと、その……。隣、座っても良い?」
「も、もちろんです」
昨日の別れ際の気まずい空気をまだすこし引きずっているような緊張感の中、瀬川くんは、わたしの隣にすこし間をあけて腰かけた。
そういえば、瀬川くんの私服姿は、初めて見たな。
ライトグレーのシャツに細身の黒いズボン。スクバの代わりに、ショルダーバッグを肩にかけている。本人的には普段着なんだろうけど、めちゃくちゃ似合ってるなぁ。
「じゃあ、お邪魔します。あの……、僕の兄、見てのとおり、だいぶ変わってるひとなんだよ。言ってたこと、真に受けなくて大丈夫だからね! それにしても、どうしてゆき兄と黒野さんが一緒にいたの?」
「それは成り行きといいますか……、わたしたちも、ついさっきまで福宮図書館にいたんです。わたしは、予約していた本の受け取りにきただけだったんですけど、心理学コーナーで見かけた『認知バイアス』の本が気になって。同じ本を手にもろうとしたのが、お兄さんだったんです」
「ええっ⁉ なにその恋愛ドラマの冒頭みたいな状況! ……ずるい」
たしかにシチュエーションだけ思い返せばそうかもしれないけど、相手はわたしだからなぁ……。ドラマの始まりようがないと思いますけど。
「えっと、それで、すこし話しているうちに瀬川くんのお兄さんだってわかって。お兄さんも、わたしが瀬川くんのクラスメイトだってわかったから、すこしここで話すことになったんです」
「ふーん……」
「あの……、やっぱり怒ってますか?」
「怒る? なんで」
「だって、自分の知らないところで、勝手に身内とクラスメイトが話していたら、あまり良い気はしないと思うんです。それに瀬川くん、なんだかいつもよりすこしピリピリしているような気がして……」
瀬川くんは、わたしをじっと見つめた。
かと思えば、ふいっと視線をそらして、はあと大きなため息をついた。
「……怒ってはないよ。ただ、ゆき兄のことは普通に名前で呼んでたのに、そういえば僕のことはずっと苗字呼びだなって思っただけ」
えっ!
「僕のことも、名前で呼んでくれていいんだよ? 僕も黒野さんのことを名前で呼ぶから」
「それだけは断じてダメです!!!!」
推しのことを下の名前で呼ぶだなんて、恐れ多いし、ハードルが高すぎる! 自分のことを下の名前で呼ばれるのも、ドキドキしすぎて絶対に無理っ!!
「えっ……。そんなに思いきり否定することかな? ちょっとショックかも……」
「あ、あのっ。修行でお忙しい瀬川くんのジャマをしてしまって、すみません。あと、勝手にお兄さんと話してしまったことも! わたしは、そろそろ帰りますのでっ」
テンパりすぎて慌てて立ち上がったら、瀬川くんに腕をつかまれた。
なにごと⁉
「あ、その、いきなりつかんだりしてごめんっ。でも、待って! 修行は今日じゃなくてもできるし、黒野さんさえよければ、もうすこし話したいんだけど……ダメかな?」
きゅるんと。
上目遣いで、今にも捨てられそうになっているチワワみたいな顔をするなんてずるい!
推しからこんな顔をされて、断れるはずがないじゃないですか!
「……わ、わかりました」
ドキドキしながらうなずけば、瀬川くんはホッとしたように微笑んだ。
「ありがとう。そういえば、黒野さんはお腹すいてない? もうすぐお昼の時間だと思うけど、家に帰ったりはしなくて大丈夫?」
「連絡をして、夕方までに帰れれば大丈夫です」
「そっか。じゃあ、せっかくだし一緒にお昼ご飯でも食べない?」
「お、お昼ご飯?」
お昼ご飯。
お昼ご飯……? 瀬川くんと一緒にお昼ご飯……⁉
それも、学校ですらご一緒したことないのに、いきなり外で……?
なんかそれってデートっぽいというか……、あ、いやいや、この流れは完全にその場のノリというやつだし、瀬川くんにそういう気はさらさらないってわかってるんですけど!
思わぬ急展開に、わたしが頭から湯気を出している間にも、瀬川くんは楽しそうに話を進めていく。
「この近くに、ショッピングモールがあるでしょ? あそこのフードコート、一度行ってみたいと思っていたんだよね。どうかな?」
「あっ。は、はい」
「よし。じゃあ、決まりで!」
夢見心地のまま流されていたら、推しとお昼ご飯食べることが決まってしまった!
結局、昨日かなり気まずいことになったのもウヤムヤのままだけど、大丈夫なのかな?
「まぁ、オレも後悔したんだよ。……過去のオレは、失敗したから」
「えっ?」
「さっき、オレは退魔師だったと言ったよね。過去形なんだよ。オレは退魔師を辞めた。自分よりも退魔師として優れていた弟の理人に、家業を全て押しつけて逃げたんだ」
思いがけない暴露に、心臓がドキリとした。
退魔師を辞めた……?
瀬川くんは家に託された使命だと言っていたけど、辞めることもできるの?
頭の中がハテナと困惑でいっぱいになるわたしに、彼はそのまま話を続けた。
「単純に、オレはあいつの才能に嫉妬したんだよ。親から常に理人と比べられていることが、いつからか苦しくなった。だから、最後の方は辞めるのを引きとめてきた理人とバチバチに対立して、足を洗った感じだな。……正直、すげえダサかったと思うよ」
そう語る幸人さんは、とても苦しそうな表情をしていて。
わたしまで切なくなって、ギュッと膝の上でこぶしを握ったら、幸人さんは自嘲気味に笑った。
「……毎日の修業も、実戦も、想像以上にキツかった。精神的にも参ってきて、しつこく辞めないでほしいって引きとめてきた理人に、ついカッとなって言ってしまった。『うるさい! オレがいま不幸なのは、瀬川家なんかに生まれたせいだ。退魔師になるなんて重い宿命を押しつけられたりしなければ、幸せに生きられたのに!』って」
それは……。瀬川くんにとって、鋭い言葉の刃だったんじゃないだろうか。
幸人さんは、家業のことを共有できる唯一の身近なひとだったはずなのに。
「……そのときあいつは、『じゃあ、ゆき兄は好きに生きれば良い。家業はぜんぶ僕が負う』って冷めた顔で言った。両親のことも、家業は自分が継ぐから兄は解放してくれと説得してみせた。あいつは、多分、オレに失望したんだろうな」
「そんな……」
「失望されて当然のことをしたと思っているし、いまでも最前線で踏んばってる理人には頭が上がらないよ。オレはね、辞めたこと自体は後悔していないんだ。……理人に八つ当たりしたことは後悔してるけどね」
「瀬川くんには、あやまったんですか?」
「いや? 今さらゆるしてほしいとも思ってないし、どのツラ下げて言うんだって感じだから言ってないよ。散々口ゲンカもしてきたし、あいつはオレのことなんて嫌いで仕方ないと思う。でも……、オレはね、理人には幸せになってほしいよ」
切実そうに願うような声は、震えていて。
それは幸人さんの心からの願いなんだって、悲しくなるほど伝わってきた。
「だからさ、実戦で戦うこと以外になるけど、あいつの役に立てることはなにかないかって今は模索中のところ」
「たとえば、どんなことですか?」
「そうだなぁ……。退魔師向けに、認知バイアスの講座を開いてみるとか? オレ、教えるのは嫌いじゃねえし、案外、向いてるんじゃないかって思ってるんだよ。まぁ、理人には実現するまで言う気ねえけど」
そう締めくくろうとした幸人さんの瞳には、慈愛の情が宿っているように見えた。
フクザツな兄弟関係なんだな。
たしかに、一度は、大きくすれ違ってしまったのかもしれない。
でも、幸人さんの話からは瀬川くんへのたしかな愛が感じられた。
わたしが口を挟むことじゃないけど、不器用というか、もどかしいというか……。
むずがゆいような感情に浸っていた、そのときだった。
「ねえ。どうして二人が一緒にいるの?」
意外な第三者の登場に、それまでの思考を、ぜんぶ持っていかれた。
「ゆき兄さぁ、黒野さんと二人きりで、いったいなにを話しこんでいたのかなぁ? なんだかやけに距離も近くない? 黒野さんから離れてくれないかなぁ」
肩をびくりと跳ね上げながら、幸人さんと二人一緒に振り向けば。
なぜかピリついた雰囲気の瀬川くんが、良い笑顔を浮かべながら立っていた。
どうして瀬川くんがここに?
「おや、理人。使命バカのお前は、今日も認知バイアスの勉強と、筋トレ諸々と、悪魔化発生への備えとでとても忙しいんじゃないのかい? こんな公園で油を売っているヒマはあるのかな?」
ゆ、幸人さん! さっきまでしみじみとあんな想いのこもった話を語っておきながら、本人が出てきたとたんになんで毒舌なの? もしかしてツンデレってやつですか⁉
「ああ、その通りだよバカ兄貴。今日の午前中も福宮図書館の自習室で、きっちり認知バイアスの勉強をしてきたさ。お昼ご飯を食べてから、日課の筋トレを行う予定だったんだけど、ゆき兄が、僕のクラスメイトにご迷惑をおかけしている現場が目に留まってしまったから慌てて駆けつけてきたんだよ。大丈夫だった、黒野さん? ゆき兄になにもされていないよね?」
「お、落ちついてください、瀬川くん! この通り、幸人さんにはなにもされていませんし、むしろ、いろいろと学ばせていただいていた最中といいますか……」
「あっ! 真白ちゃん、オレのこと初めて名前で呼んでくれたねー。うれしいなぁ」
はわわっ! まずいっ、心の中で幸人さんと呼んでいたから、ノリで、現実でも幸人さんって呼んじゃったよ~~!
ニコニコ笑顔の幸人さんにたいして、瀬川くんはといえば……、
「軽薄なゆき兄が黒野さんのことを抜け抜けと名前で呼んでいるのは気にはいらないけどさておき、幸人さん……?」
ひいっ。なぜか瀬川くんの瞳に、暗い焔が揺らめいてみえる⁉ なんで!
「それは特に深い意味はないといいますか、瀬川くんと区別するために心の中でお兄さんのことをお名前で呼ばせていただいていたのが口に出てしまっただけでっ」
って、なんでわたしも言い訳してるの?
「理人、男の嫉妬は醜いよ? もっと余裕をもたないと」
「っ。嫉妬とかじゃない! 単純に、ゆき兄のことが信用ならなかっただけだし!」
「おーおー、お前が一人の女の子のことでこんなに取り乱すなんて珍しいね。学校では誰に告白されても、『ごめんね、恋をする気はないから』とか生意気にも言っちゃってるみたいなのに」
「なんで知ってるの⁉ も~~~~、ゆき兄は黙ってて!!」
な、なんか、よくわかんないけど兄弟ゲンカってすごい。
口をはさめずにボーっと見ていたら、幸人さんがベンチからすっと立ち上がった。
「邪魔者の兄さんは、そろそろ退場してあげるよ。がんばれ、ピュアな弟よ」
「ゆき兄嫌い……。一週間は、口きかない」
「まあまあ、そんな悲しいこと言うなって。夕飯はお前の好きなオムライスにしといてやるからさ」
「っ!! …………それは、食べてあげなくもない」
「あはっ、本当にかわいいやつ。んじゃ、そろそろ買い物でもして帰るわー。またね、真白ちゃん。つきあってくれて、ありがとう」
幸人さんが嵐のように去っていくと、公園に取りのこされたのはわたしと瀬川くんだけとなった。
いつの間にか、砂場で遊んでいた親子連れもいなくなっている。
つまり、公園に二人きりだ。
瀬川くんの様子をうかがおうとして、バチッと思いきり視線が交差してしまった。
たったそれだけのことで、胸がキュッと痛くなる。
なんでだろう。
目が合っただけなのに、さっき幸人さんと近くで内緒話をしていたときよりも、ずっとドキドキするよ。やっぱり、推しだからなのかな?
「えと、その……。隣、座っても良い?」
「も、もちろんです」
昨日の別れ際の気まずい空気をまだすこし引きずっているような緊張感の中、瀬川くんは、わたしの隣にすこし間をあけて腰かけた。
そういえば、瀬川くんの私服姿は、初めて見たな。
ライトグレーのシャツに細身の黒いズボン。スクバの代わりに、ショルダーバッグを肩にかけている。本人的には普段着なんだろうけど、めちゃくちゃ似合ってるなぁ。
「じゃあ、お邪魔します。あの……、僕の兄、見てのとおり、だいぶ変わってるひとなんだよ。言ってたこと、真に受けなくて大丈夫だからね! それにしても、どうしてゆき兄と黒野さんが一緒にいたの?」
「それは成り行きといいますか……、わたしたちも、ついさっきまで福宮図書館にいたんです。わたしは、予約していた本の受け取りにきただけだったんですけど、心理学コーナーで見かけた『認知バイアス』の本が気になって。同じ本を手にもろうとしたのが、お兄さんだったんです」
「ええっ⁉ なにその恋愛ドラマの冒頭みたいな状況! ……ずるい」
たしかにシチュエーションだけ思い返せばそうかもしれないけど、相手はわたしだからなぁ……。ドラマの始まりようがないと思いますけど。
「えっと、それで、すこし話しているうちに瀬川くんのお兄さんだってわかって。お兄さんも、わたしが瀬川くんのクラスメイトだってわかったから、すこしここで話すことになったんです」
「ふーん……」
「あの……、やっぱり怒ってますか?」
「怒る? なんで」
「だって、自分の知らないところで、勝手に身内とクラスメイトが話していたら、あまり良い気はしないと思うんです。それに瀬川くん、なんだかいつもよりすこしピリピリしているような気がして……」
瀬川くんは、わたしをじっと見つめた。
かと思えば、ふいっと視線をそらして、はあと大きなため息をついた。
「……怒ってはないよ。ただ、ゆき兄のことは普通に名前で呼んでたのに、そういえば僕のことはずっと苗字呼びだなって思っただけ」
えっ!
「僕のことも、名前で呼んでくれていいんだよ? 僕も黒野さんのことを名前で呼ぶから」
「それだけは断じてダメです!!!!」
推しのことを下の名前で呼ぶだなんて、恐れ多いし、ハードルが高すぎる! 自分のことを下の名前で呼ばれるのも、ドキドキしすぎて絶対に無理っ!!
「えっ……。そんなに思いきり否定することかな? ちょっとショックかも……」
「あ、あのっ。修行でお忙しい瀬川くんのジャマをしてしまって、すみません。あと、勝手にお兄さんと話してしまったことも! わたしは、そろそろ帰りますのでっ」
テンパりすぎて慌てて立ち上がったら、瀬川くんに腕をつかまれた。
なにごと⁉
「あ、その、いきなりつかんだりしてごめんっ。でも、待って! 修行は今日じゃなくてもできるし、黒野さんさえよければ、もうすこし話したいんだけど……ダメかな?」
きゅるんと。
上目遣いで、今にも捨てられそうになっているチワワみたいな顔をするなんてずるい!
推しからこんな顔をされて、断れるはずがないじゃないですか!
「……わ、わかりました」
ドキドキしながらうなずけば、瀬川くんはホッとしたように微笑んだ。
「ありがとう。そういえば、黒野さんはお腹すいてない? もうすぐお昼の時間だと思うけど、家に帰ったりはしなくて大丈夫?」
「連絡をして、夕方までに帰れれば大丈夫です」
「そっか。じゃあ、せっかくだし一緒にお昼ご飯でも食べない?」
「お、お昼ご飯?」
お昼ご飯。
お昼ご飯……? 瀬川くんと一緒にお昼ご飯……⁉
それも、学校ですらご一緒したことないのに、いきなり外で……?
なんかそれってデートっぽいというか……、あ、いやいや、この流れは完全にその場のノリというやつだし、瀬川くんにそういう気はさらさらないってわかってるんですけど!
思わぬ急展開に、わたしが頭から湯気を出している間にも、瀬川くんは楽しそうに話を進めていく。
「この近くに、ショッピングモールがあるでしょ? あそこのフードコート、一度行ってみたいと思っていたんだよね。どうかな?」
「あっ。は、はい」
「よし。じゃあ、決まりで!」
夢見心地のまま流されていたら、推しとお昼ご飯食べることが決まってしまった!
結局、昨日かなり気まずいことになったのもウヤムヤのままだけど、大丈夫なのかな?


