思ったことを、そのまま口にしてみた。
「もしかして、塾でしょうか?」
「そう、塾だ! いまは何時だ⁉ 今すぐに向かわないと、全国模試に間に合わない!」
かわいそうなほど取り乱しはじめた彼に、瀬川くんが大きなため息をつく。
「先輩はバカなんですか? こんな体調で向かっても、良い成績が出ないどころか、周りに迷惑をかけるだけですよ」
お、おお。瀬川くんって、言うときはけっこう言うんだなぁ。
「で、も……。模試は、受けなかったらゼロ点だ。そんなの、ゆるされない」
「先輩、目のクマも大分ひどいですよ。もしかして、ここ最近あまり寝ていないんじゃないですか? お家のひとを迎えに呼んで、一刻も早く休んだほうが良さそうです」
「わたしも、瀬川くんの言うとおりだと思います。早く帰りましょう」
「……だめ、だ……。おれはこれ以上、あのひとになんの迷惑もかけたくない……っ」
「聞いてないな……。黒野さん、このままじゃ一向にらちがあかなさそうだよ」
「ですね……。でも、このままは放っておけないですよね?」
ついさっきまで、会長は言葉にするのもはばかられる状態だったのだ。
それに加えて体調不良。やっぱり見過ごすわけにはいかないと思ってしまう。
「僕もそう思う。話し合いができないのなら、実力行使するしかないよね」
そう言って瀬川くんは、ぐったりと座りこんでいる先輩を、再びお姫さま抱っこしはじめた。って、えええ⁉
「な、なんだこの馬鹿力は⁉」
「先輩。あなたが家のひとに連絡を取る気がないのなら、僕はこのまま学校に連れていって、先生に事情を話します。結果的に同じ道をたどるので、早めに降参してほしいのですが」
「わ、わかったわかった、連絡する! めちゃくちゃひとに見られてるからやめろ! 後輩に抱っこされるなんて恥ずかしい、今すぐ降ろしてくれ!」
「ありがとうございます」
瀬川くんの有無を言わさぬ笑みに屈した会長は、スクバの中から携帯を手に取り、家のひと宛てのメッセージを渋々と書きあげた。
「うーん……ダメだっ、やっぱりやめよう! どうにかして自分の足で家に帰る!!」
「またそのやりとりを繰り返すんですか? とりあえず一回送信しちゃえば終わりじゃないですか」
ひょいっと。
会長のスマホをのぞきこんだ瀬川くんが、送信ボタンを押してしまった。
あ……。
「あああーーー!! ちょっ! きみ、なんてことをしてくれたんだっっっ!」
「さっき連絡を取ることを了承してたじゃないですか」
「そう、そうなんだけど……はああぁ。このひとは、一緒に暮らしてはいるけど……、おれは、彼女の実の子じゃないんだ。だからさ……他人のおれが、迷惑なんてかけちゃいけないんだよ。完ぺきでいなきゃ、嫌われるかもしれない」
すすり泣く会長は、迷子の子どものようだった。
そっか……。
詳しい事情はわからないけど、会長は血のつながりのないひとのお世話になって暮らしてきたことに、罪悪感を抱いていたのだ。
他人だから、迷惑をかけちゃいけない。完ぺきでない自分に、価値なんてない。
そうやって自分に言い聞かせた末に、さっきのようなおぞましい変貌をとげてしまったのだろうか。
メッセージの送信取消をすることもできず、途方に暮れている会長の携帯を、瀬川くんはやさしい眼差しで見つめていた。
「先輩。実の子じゃないから迷惑をかけちゃいけない、というのはあなたの思いこみじゃないですか?」
「えっ……」
「返信、もうきたみたいですよ。ちゃんと見てください」
「そん、な……」
携帯の画面を凝視して動かなくなってしまった会長に、返信の内容がとても気になった。
ぽろりと、一筋の涙が会長の瞳からつたる。
わたしも、瀬川くんの隣から返信内容をのぞかせてもらおうっと。
褒められた行為じゃないけど、会長本人は気にしていなさそうだし。
あんな異常事態に巻きこまれたあとなんだから、この結末を見届けるくらいはゆるしてほしい。
『大丈夫⁉ いますぐ車で迎えにいくねっ!! 秀くん、初めて私に甘えてくれたね。うれしい、どんどん頼ってほしいな』
胸があたたまる返信内容に、思わず笑みがこぼれてきた。
いま先輩が流している涙は、きっと、うれし泣きだ。
「先輩。あなたに足りないのは、勉強でも完ぺきでいることでもなくて、一緒に暮らしているその方と本音で話しあってみることじゃないですか?」
「そうか……。ははっ、考えたこともなかったなぁ」
涙ぐみながら微笑む会長のふっきれたような顔に、わたしもうれしくなる。
そういえば。
わたしも、会長に伝えそびれていたことがあったんだった!
「あ、あの! 会長っ。わたしからも一言だけよろしいですか?」
「うん?」
「入学式してすぐの頃、廊下で声をかけてくださってありがとうございました! わたしは、あのとき悩んでいることはないかと声をかけてくれたあなたを尊敬してます! それに……、完ぺきなひとも、迷惑をかけずに生きられるひとも、いないんじゃないでしょうか? あの日の先輩は、とても素敵でしたよ」
会長は、メガネの奥の瞳をきょとんと丸くした。
それから、瞳を細めて、柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。きみの名前を聞いてもいいかな?」
「わたし? わたしは、黒野真白です」
「黒野さんか。おれは三年の佐藤秀。まさか、おれがきみの力になる前に、きみに助けられることになるなんて思わなかったなぁ。……情けない姿を、たくさん見せたね」
「そ、そんな! わたしは全然大したことできていないです」
「ううん。おれは、きみの率直な言葉に救われた気持ちがした。きみも、困ったことがあったら、一人で抱えこまないように。いつでも生徒会室に来てもらって大丈夫だから」
「せんぱーい? 僕を放置して良い雰囲気のところ悪いんですけど、あの車、お家の方じゃないですかねぇ」
「えっ、やけに早くないか? ……って、まだ来てないじゃないか! なんなんだよもう」
「ベツに。ただ、黒野さんと仲良くされるのがちょっと気に食わなかっただけで」
「はあ、なんだって? きみたち、もしかしてカップルなのか?」
「ち、違いますよ! なんなんだろう、このモヤっとする感じ……自分でも、よくわからないんだけど」
? なんだろう。瀬川くんの頬、心なしか赤いような。
その後、家から迎えにきた保護者さんの車に佐藤会長が乗りこんだところを無事に見届けて、ほっと息をついた。
「はあ……。いろいろあったけど、一件落着だね」
「ですね。今日一日だけで、いろんなことがありすぎました」
それも、信じられないような出来事ばかり……。
これまで起きたことの全ての説明を求めて、瀬川くんをじっと見つめる。
「瀬川くん」
「わかってるよ。ここまで巻きこんでおいて、なんの説明もなしに帰る気はないから。ゆっくり話せる場所に移動しよう」
そう言って瀬川くんが連れてきてくれたのは、河川敷だった。
「ここ、僕のお気に入りの場所なんだよね。ひとが少ないし、風と川のせせらぎが気持ちよくて」
「学校からすこし離れたところに、こんな素敵な場所があったんですね」
隣で大きく伸びをしている瀬川くんの真似をして、一緒に背筋を伸ばしてみる。
すっと息を吸いこむと、清涼な空気が、肺にいき渡る気がした。
「一人になりたいときは、ここに来ることが多いかも」
「そうなんですね。そんな大切な場所を、わたしに教えちゃって良かったんですか?」
「ふふっ、今さらそれを言うの? きみはもう、僕のひみつのほとんど全てを知っているよ」
夕陽を浴びた瀬川くんの笑顔がきらきらとして見えて、ドキッとした。
たしかに、成り行きとはいえ、今日一日で推しの素顔をたくさん見てしまった気がする。それこそ、例の推しマル秘情報ノートにメモを取るのが追いつかないくらいに。
前々から、瀬川くんってミステリアスだなぁと思っていたけれど、想像を遥かに超えるひみつをかいま見てしまったような……。
「さて。なにから、聞きたい?」
「それよりも、まずはお礼をさせてください。さっきは、様子のおかしくなっていた会長から守っていただいて、本当にありがとうございました!」
「えっ? あぁ、どういたしまして。聞きたいことしかないはずなのに、まずはお礼からなんてリチギなんだね。大丈夫だよ、あれは僕の使命で、当然のことをしただけだから」
「瀬川くんの、使命……」
それって、様子がおかしくなって、普通ではありえない力をふるってくるひとと対決すること? そういえば彼は、あの戦いの最中に自分のことを『退魔師』だと名乗っていた気がする。
「そうだよ。ひとが心にネガティブな気持ちをためこみすぎた結果、我を失い、超常的な力で他者を襲うようになること。それを、僕たちは『悪魔化現象』と呼んでいる」
つまり、行きすぎたネガティブな気持ちが、ひとを悪魔のように変えてしまう……?
「もしかして、塾でしょうか?」
「そう、塾だ! いまは何時だ⁉ 今すぐに向かわないと、全国模試に間に合わない!」
かわいそうなほど取り乱しはじめた彼に、瀬川くんが大きなため息をつく。
「先輩はバカなんですか? こんな体調で向かっても、良い成績が出ないどころか、周りに迷惑をかけるだけですよ」
お、おお。瀬川くんって、言うときはけっこう言うんだなぁ。
「で、も……。模試は、受けなかったらゼロ点だ。そんなの、ゆるされない」
「先輩、目のクマも大分ひどいですよ。もしかして、ここ最近あまり寝ていないんじゃないですか? お家のひとを迎えに呼んで、一刻も早く休んだほうが良さそうです」
「わたしも、瀬川くんの言うとおりだと思います。早く帰りましょう」
「……だめ、だ……。おれはこれ以上、あのひとになんの迷惑もかけたくない……っ」
「聞いてないな……。黒野さん、このままじゃ一向にらちがあかなさそうだよ」
「ですね……。でも、このままは放っておけないですよね?」
ついさっきまで、会長は言葉にするのもはばかられる状態だったのだ。
それに加えて体調不良。やっぱり見過ごすわけにはいかないと思ってしまう。
「僕もそう思う。話し合いができないのなら、実力行使するしかないよね」
そう言って瀬川くんは、ぐったりと座りこんでいる先輩を、再びお姫さま抱っこしはじめた。って、えええ⁉
「な、なんだこの馬鹿力は⁉」
「先輩。あなたが家のひとに連絡を取る気がないのなら、僕はこのまま学校に連れていって、先生に事情を話します。結果的に同じ道をたどるので、早めに降参してほしいのですが」
「わ、わかったわかった、連絡する! めちゃくちゃひとに見られてるからやめろ! 後輩に抱っこされるなんて恥ずかしい、今すぐ降ろしてくれ!」
「ありがとうございます」
瀬川くんの有無を言わさぬ笑みに屈した会長は、スクバの中から携帯を手に取り、家のひと宛てのメッセージを渋々と書きあげた。
「うーん……ダメだっ、やっぱりやめよう! どうにかして自分の足で家に帰る!!」
「またそのやりとりを繰り返すんですか? とりあえず一回送信しちゃえば終わりじゃないですか」
ひょいっと。
会長のスマホをのぞきこんだ瀬川くんが、送信ボタンを押してしまった。
あ……。
「あああーーー!! ちょっ! きみ、なんてことをしてくれたんだっっっ!」
「さっき連絡を取ることを了承してたじゃないですか」
「そう、そうなんだけど……はああぁ。このひとは、一緒に暮らしてはいるけど……、おれは、彼女の実の子じゃないんだ。だからさ……他人のおれが、迷惑なんてかけちゃいけないんだよ。完ぺきでいなきゃ、嫌われるかもしれない」
すすり泣く会長は、迷子の子どものようだった。
そっか……。
詳しい事情はわからないけど、会長は血のつながりのないひとのお世話になって暮らしてきたことに、罪悪感を抱いていたのだ。
他人だから、迷惑をかけちゃいけない。完ぺきでない自分に、価値なんてない。
そうやって自分に言い聞かせた末に、さっきのようなおぞましい変貌をとげてしまったのだろうか。
メッセージの送信取消をすることもできず、途方に暮れている会長の携帯を、瀬川くんはやさしい眼差しで見つめていた。
「先輩。実の子じゃないから迷惑をかけちゃいけない、というのはあなたの思いこみじゃないですか?」
「えっ……」
「返信、もうきたみたいですよ。ちゃんと見てください」
「そん、な……」
携帯の画面を凝視して動かなくなってしまった会長に、返信の内容がとても気になった。
ぽろりと、一筋の涙が会長の瞳からつたる。
わたしも、瀬川くんの隣から返信内容をのぞかせてもらおうっと。
褒められた行為じゃないけど、会長本人は気にしていなさそうだし。
あんな異常事態に巻きこまれたあとなんだから、この結末を見届けるくらいはゆるしてほしい。
『大丈夫⁉ いますぐ車で迎えにいくねっ!! 秀くん、初めて私に甘えてくれたね。うれしい、どんどん頼ってほしいな』
胸があたたまる返信内容に、思わず笑みがこぼれてきた。
いま先輩が流している涙は、きっと、うれし泣きだ。
「先輩。あなたに足りないのは、勉強でも完ぺきでいることでもなくて、一緒に暮らしているその方と本音で話しあってみることじゃないですか?」
「そうか……。ははっ、考えたこともなかったなぁ」
涙ぐみながら微笑む会長のふっきれたような顔に、わたしもうれしくなる。
そういえば。
わたしも、会長に伝えそびれていたことがあったんだった!
「あ、あの! 会長っ。わたしからも一言だけよろしいですか?」
「うん?」
「入学式してすぐの頃、廊下で声をかけてくださってありがとうございました! わたしは、あのとき悩んでいることはないかと声をかけてくれたあなたを尊敬してます! それに……、完ぺきなひとも、迷惑をかけずに生きられるひとも、いないんじゃないでしょうか? あの日の先輩は、とても素敵でしたよ」
会長は、メガネの奥の瞳をきょとんと丸くした。
それから、瞳を細めて、柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。きみの名前を聞いてもいいかな?」
「わたし? わたしは、黒野真白です」
「黒野さんか。おれは三年の佐藤秀。まさか、おれがきみの力になる前に、きみに助けられることになるなんて思わなかったなぁ。……情けない姿を、たくさん見せたね」
「そ、そんな! わたしは全然大したことできていないです」
「ううん。おれは、きみの率直な言葉に救われた気持ちがした。きみも、困ったことがあったら、一人で抱えこまないように。いつでも生徒会室に来てもらって大丈夫だから」
「せんぱーい? 僕を放置して良い雰囲気のところ悪いんですけど、あの車、お家の方じゃないですかねぇ」
「えっ、やけに早くないか? ……って、まだ来てないじゃないか! なんなんだよもう」
「ベツに。ただ、黒野さんと仲良くされるのがちょっと気に食わなかっただけで」
「はあ、なんだって? きみたち、もしかしてカップルなのか?」
「ち、違いますよ! なんなんだろう、このモヤっとする感じ……自分でも、よくわからないんだけど」
? なんだろう。瀬川くんの頬、心なしか赤いような。
その後、家から迎えにきた保護者さんの車に佐藤会長が乗りこんだところを無事に見届けて、ほっと息をついた。
「はあ……。いろいろあったけど、一件落着だね」
「ですね。今日一日だけで、いろんなことがありすぎました」
それも、信じられないような出来事ばかり……。
これまで起きたことの全ての説明を求めて、瀬川くんをじっと見つめる。
「瀬川くん」
「わかってるよ。ここまで巻きこんでおいて、なんの説明もなしに帰る気はないから。ゆっくり話せる場所に移動しよう」
そう言って瀬川くんが連れてきてくれたのは、河川敷だった。
「ここ、僕のお気に入りの場所なんだよね。ひとが少ないし、風と川のせせらぎが気持ちよくて」
「学校からすこし離れたところに、こんな素敵な場所があったんですね」
隣で大きく伸びをしている瀬川くんの真似をして、一緒に背筋を伸ばしてみる。
すっと息を吸いこむと、清涼な空気が、肺にいき渡る気がした。
「一人になりたいときは、ここに来ることが多いかも」
「そうなんですね。そんな大切な場所を、わたしに教えちゃって良かったんですか?」
「ふふっ、今さらそれを言うの? きみはもう、僕のひみつのほとんど全てを知っているよ」
夕陽を浴びた瀬川くんの笑顔がきらきらとして見えて、ドキッとした。
たしかに、成り行きとはいえ、今日一日で推しの素顔をたくさん見てしまった気がする。それこそ、例の推しマル秘情報ノートにメモを取るのが追いつかないくらいに。
前々から、瀬川くんってミステリアスだなぁと思っていたけれど、想像を遥かに超えるひみつをかいま見てしまったような……。
「さて。なにから、聞きたい?」
「それよりも、まずはお礼をさせてください。さっきは、様子のおかしくなっていた会長から守っていただいて、本当にありがとうございました!」
「えっ? あぁ、どういたしまして。聞きたいことしかないはずなのに、まずはお礼からなんてリチギなんだね。大丈夫だよ、あれは僕の使命で、当然のことをしただけだから」
「瀬川くんの、使命……」
それって、様子がおかしくなって、普通ではありえない力をふるってくるひとと対決すること? そういえば彼は、あの戦いの最中に自分のことを『退魔師』だと名乗っていた気がする。
「そうだよ。ひとが心にネガティブな気持ちをためこみすぎた結果、我を失い、超常的な力で他者を襲うようになること。それを、僕たちは『悪魔化現象』と呼んでいる」
つまり、行きすぎたネガティブな気持ちが、ひとを悪魔のように変えてしまう……?


