ネガティブ悪魔退治! ~疫病神のわたし、実は伝説の浄化姫でした!?~

 霧の発生源がわからないほどの漆黒のオーラに、腰をぬかして尻もちをついてしまう。
「対象はあいつだな。ウサ、一般人を巻きこまないように結界を張って! あとは武器もよろしく」
「承知!」
 瀬川くんの指示を受けたうさぎぬいぐるみが彼のポケットから飛びだしてきて、七色の光を発する。
 ロータリーを囲むようにして、七色に輝く透明な幕があっという間に張られていった。
「って、なんで黒野さんが結界内にいるの⁉」
「知らないぴょん! ありえるとするなら、その子が一般人ジャナイ?」
「なるほど。そうなると、やっぱり黒野さんは……」
 どんな奇跡のマジックショーも驚きの芸当に気を取られていたら、突然、巨大な鉛筆らしきものがわたしをめがけて飛んできた。
 ひっ‼ なにあの鉛筆⁉
 あの尖った先端部分に刺されたら、串刺しになっちゃうよ!
 人間、恐怖が限界に達すると、動けなくなるものらしい。
 腰を抜かしたままで避けることもできず、とっさに目をつむったら――
「させないっ!」
 ――わたしを守るように瀬川くんの振るった銀色の刃が、全て弾き返していた。
「あ、ありがとう……」
「僕の後ろにいて! 黒野さんのことは、絶対に傷つけさせないからっ」
 瀬川くんが再び大きな動作で刃を水平に振るうと、駅のロータリーをいっぺんに覆っていた黒い霧が一部はらわれた。
 視界がクリアになり、霧の発生源となっていた人物の姿が見える。
 福宮中の制服を着た、細いメガネの男の子だ。
 あれ? あのひとの顔、わたし、どこかで見たことがあるような……。
『オマエハ、だれだ?』
「僕は悪魔を退ける者――退魔師(たいまし)だ。きみがひとを傷つけるのを止めにきたんだよ!」
『ああ、アア。あアアああ……っ。おれ、オレは、今すぐに塾、ムカワナキャいけない。おれの邪魔をするなあああああ』
「塾に行く……? いったいどんな思いこみに囚われているんだろう」
 瀬川くんは、メガネの男の子が乱発する鉛筆型の凶器を、器用に斬り伏せていく。
 あっけに取られながら、その非現実的な攻防を見つめてしまった。
 すごい、なぁ。
 瀬川くんはわたしを守りながら戦っているせいでハードルが高いはずなのに。
 驚異的な身体能力で、波のようにうねる銀の刃を駆使して戦う姿は、どこまでも落ちついていて。優雅ですらあった。
 まるで、少年マンガのヒーローみたいだ。
 って、下手したら命がけの危険な戦いに対する感想じゃないけどね!
 圧倒的な強さを目の当たりにして、すこしずつだけど平常心が戻ってくる。
 瀬川くんは、ものすごく強い。
 彼が戦ってくれれば、このやばすぎる状況もどうにかなりそう!
 冷静さを取りもどしてきた頭に、漂ってきた黒い霧から、強い負の思念が伝わってきた。
(学校の成績はオール五。全国模試は一桁台。生徒会委員長の座につくこと。完ぺき。完ぺき。完ぺき。おれは、常に完ぺきじゃないとダメなんだ! 完ぺきじゃないおれに意味なんてないっ‼)
 そっか。どこかで見たことがある顔だと思ったけど、やっぱりそうだ!
「瀬川くん、そのひと生徒会長です! 学校の先輩!」
「えっ、黒野さんの知りあいなの?」
「知りあいというほどじゃないけど、入学してすぐのとき、わたしのことを心配してくれたんです。やさしい先輩なの!」
 廊下で疫病神と罵られていたわたしを遠くから見ていた会長は、わざわざその後に声をかけてくれた。
 なにか困っていることがあるんじゃないかと。
 正直に相談するわけにはいかなかったけど、中学に入学してからの数少ないあたたかい記憶の一つとして残っていた。厄介事は見て見ぬフリをするひとのほうが圧倒的に多いとわたしは知っているから。
「そういうことか。……なにか、もうすこし彼の人となりがわかったら良いんだけど。なんとしても塾に行かなきゃいけないって強迫観念ってなんなんだろう」
 瀬川くんは、会長の抱いている思いこみを、特に気にしてる?
 ということは、わたしが黒い霧から聴いたことはなにかのヒントになるかもしれない!
「瀬川くんっ。会長は全部が完ぺきじゃないと意味がないって思いこんでるみたいです!」
「完ぺき? ああ……なるほど」
 瀬川くんはわたしに、どうやってわかったのかも聞かなかった。
「力を貸してくれてありがとう、黒野さん!」
 それどころか全面的に信頼を寄せているように余裕の笑みを浮かべたのを見たとき、どうしてか泣きそうになった。
 瀬川くんは、わたしの言ったことをなんの理由もなく、信じてくれるんだね。
 彼が、我を見失いかけている会長へと、刃を向ける。
「きみが囚われているのは、完ぺき主義だね! 一定の基準に達しなければ、自分はなんてダメなやつなんだろうと思いこんでしまう。完全無欠であることに、こだわりすぎているんだよ‼」
『カン、ぺキ……主、義?』
 ぴたりと。すこし不気味に思うほど、会長の派手な攻撃が急に止まった。
『カンぺキ、シュギ。カンペキ……主義』
 赤ちゃんのように覚えたての言葉を繰りかえすばかりの会長に向かって、隙あり! とばかりに瀬川くんが会長めがけて走り出す。
「これで終わりだよ‼」
『カンペキじゃないと、愛サレナイ?』
 そのまま、無防備になった会長の胴体を薙ぎはらうように、瀬川くんがあの銀の刃を容赦なく振るって――
『ギャあああアあああアああアアア』
「せ、瀬川くん⁉ どんな理由があっても人殺しはダメ~~~っ!」
 ――大量の血が噴き出るんじゃないかと想像したら怖くなって、ギュっと目を閉じた。
 異次元の戦いの次は、血みどろ殺人事件ですか⁉
 推しが殺人鬼になってしまったかもしれない衝撃に、歯の根まで震えてくる。
「心外だなぁ、黒野さん。僕が人殺しなんてするわけないでしょ」
「……だ、だって。いま、ひとさまに向かって、物騒な凶器を……」
 でも、あれ? たしかに人間一人を華麗にぶった切ったわりに、血が噴き出る音も、からだが倒れる音も、なにも聞こえてこなかったような。
「目をあけて大丈夫だよ」
 違和感の正体を突きとめるため、恐る恐る、視界を開けば。
 目の前には、想像していた惨劇は広がっておらず、代わりに黒い霧から解放された会長が気を失ったように倒れていた。
 駅のロータリーを守るように張られていた七色の結界もいつの間にか解除されていて、人通りが戻っている。さっきまで瀬川くんが持っていた刃もどこにも見当たらない。
「どういうこと……?」
「さっき僕が持っていた刃は、悪魔斬刀なんだよ。対悪魔専用の武器で、悪魔化した原因となるネガティヴな思いこみと、その思考を作るに至った一部の記憶だけを斬ることができるんだ。人体に傷をつけず、悪魔化した人間を正常な状態に戻すことができるんだよ」
「は、はあ……?」
 情報の大洪水にまたしても間抜けな返事しかできないでいたら、彼は苦笑した。
「あはは……そりゃ、なんのことかサッパリわからないよねぇ。あの、結果的に危険なことに巻きこんじゃってごめんね! でも、そろそろこのひとが意識を取り戻しそうだから、説明はあとにするよ。ちなみに、彼はさっきまで自分が悪魔になっていたことを忘れているはずだから、そのことには触れないでね」
「わ、わかりました!」
「ありがとう」
 瀬川くんは微笑むと、今度は気を失ったように倒れている会長をお姫さま抱っこで運びはじめた。
 えっ! 自分よりも背丈のある会長を軽々と持ち上げた⁉
 不意に、数日前にゴミ出しに付き合ってくれたときの発言が頭によみがえる。
『んー。よくカン違いされるけど、僕、そんなにやわじゃないよ? こう見えて、きたえてるんだ。だから、このぐらいは余裕』
 あれ、本当のことだったんだ。
 もちろん、さっきまでのバトルを見ていれば彼の強さは疑いようがないんだけど。さっきの出来事は夢のようでもあって、どうにも現実味がなかったから、男子を持ち上げて難なく運ぶ瀬川くんの姿にあらためてドキッとしてしまう。
「先輩。大丈夫ですか?」
「んん……。ここ、は……一体。おれは、なにをしていたんだ……?」
 ひとの邪魔にならない場所に寝かせた会長は、瀬川くんの呼びかけに、ぼんやりとした表情で返事をした。
「駅……。なん、で……、倒れて……? きみたちは一体誰だ?」
「僕らは学校の帰り道で、たまたまここを通りがかった福宮中の生徒です。道の往来で先輩が倒れていたから心配で、すこしだけ運ばせていただきました」
 流れるように、会長へとウソをつく瀬川くん。
 真実は言えそうにないから誤魔化すしかないとはいえ見事だ。
「そうか……。迷惑をかけたな、すまない」
 会長はからだを起こしたものの、ふらついている。
 顔も青白いし、全然大丈夫じゃなさそうだ。
「会長、大丈夫ですか? 体調が悪いんじゃないですか⁉」
 会長のうつろな瞳が、今度はわたしに向けられる。
「きみは……、おれのことを知っているのか?」
「入学式のときに、先輩が在校生代表としてスピーチされていたのを覚えています。あと、入学してすぐの頃に一度だけ声をかけてくださったのが記憶に残っていて」
「そう、だったか……。すまない。思い、出したいのに……、ここ最近の記憶が、あいまいなんだ。頭の中が、なぜか霞がかったようになって、いて……」
 もしかして記憶を思い出せなくなっているの……?
 会長の様子に違和感を覚えていたら、わたしたちの会話をさえぎるように、瀬川くんが口を出した。
「先輩。もしかして熱があるんじゃないですか?」
「そんな、ことは……」
「失礼します」
 瀬川くんはたしかめるように彼の額へと手を伸ばして、ハッと目を見ひらいた。
「っ。ひどい熱じゃないですか! もしかして、今朝からずっと体調が悪かったけど、無理して学校に出席したんじゃ!」
「学校、には……、行くフリはしたけど、実際には行ってない。でも……、今日は……他に、なんとしても行かなきゃいけない場所が、あった気がして……」
 もしかしてそれは。
 さっき、先輩が異常な状態になっていたときに言ったことに関係があるんじゃ?