- 怜の過去と現在 -

怜の部屋は、彼の心そのものだった。

整然と並べられた参考書と教科書。寸分の狂いもなく積み重ねられたノート。ペン立ての中の筆記具は、種類ごとに分けられ、磨かれた定規は光を反射している。ベッドの上にはシワ一つなく、床には埃一つ落ちていない。彼の世界は、数字と記号、そして完璧な回答で構成されていた。

怜は、幼い頃から、周囲の期待に応えることだけを考えて生きてきた。両親は、怜が何かを成し遂げるたびに、惜しみない拍手と笑顔をくれた。その笑顔が、怜のすべてだった。
「怜は本当にすごいね。きっと将来、素晴らしい人になるよ」
その言葉が、怜の心を支配していた。両親の期待に応えること。それが、彼の存在意義だった。

しかし、ある日、その世界は一変する。

小学三年生の頃、怜は学校の授業で初めて挫折を経験した。それは、算数の問題だった。何度考えても、答えにたどり着くことができない。周りの生徒たちが次々と正解を導き出す中、怜だけが一人、問題と向き合っていた。
その日の夜、怜は両親にそのことを打ち明けた。
「算数の問題が、解けないんだ」
両親は、いつものように笑顔で「大丈夫だよ」と言ってくれた。しかし、その笑顔の奥には、わずかに失望の色が見えた気がした。

その日から、怜は変わった。
完璧でなければ、愛されない。
そう信じるようになった怜は、誰よりも努力した。休み時間も、放課後も、机に向かい続けた。
彼の努力は実を結び、成績は常にトップを維持するようになった。
しかし、彼の心は、次第に空っぽになっていった。

高校生になった今も、その習慣は変わらない。
怜は、友人たちと一定の距離を保っていた。
彼が話すのは、勉強のことだけ。
それ以外の話題には、興味も示さなかった。
彼にとって、感情は、邪魔なノイズでしかなかった。

完璧な成績。
それが、彼の唯一のアイデンティティだった。
しかし、その完璧な世界に、怜は一人、閉じこもっていた。
彼の心は、まるで埃一つない部屋のように、空っぽだった。