【3】
「あれ?体育館で練習してるの男子バスケ部じゃないね」
体育館を覗いた心音ちゃんは、拍子抜けしたような声を出す。
「男バス(男子バスケ部の略だよ)が練習してるのは、第二体育館だからね」
「なんだ、そうなの?やっぱり、ゆいちゃんが来てくれてよかった!」
私の腕に自分の腕をからませた心音ちゃんは、機嫌よく歩いている。ただしその腕は、絶対に逃がさないとばかりに、がっちり組まれていたけど。
あれから何度も断ったものの、心音ちゃんは一歩も引いてくれなかった。
休み時間ごとに同じ頼みを繰り返された私は、とうとう根負けした。
私が折れない限り、エンドレスで同じ会話が続きそうだったし。
「早く会いたいなぁ~。綾人先輩!」
心音ちゃんは星に願う少女のように、ぱちぱちと目を瞬かせる。
心音ちゃんは、小学五年生の頃から、一学年上の稲葉先輩の大ファンだったらしい。
綾人先輩が中学に進学してしまった一年間は、身を裂かれる思いだったんだとか。
だから、ようやく訪れたビッグチャンスに、乗るっきゃない!らしい。
放課後になるまでに、稲葉先輩がいかにかっこよかったか。いかにモテるのかの話をさんざん聞かされた私は、へとへとだ。
「楽しみだね〜」
「まさか、こんなに早く稲葉先輩に会いに行けるなんてね」
心音ちゃんのあとに続くのは、クラスの女子たちだ。その数、驚異の十人越え。
稲葉先輩をもう一度見たいと、心音ちゃんに便乗して着いて来た。
はしゃぐみんなは、完全に晴れた日のビクニック気分だ。部活の見学に、こんなに大人数で来るなんて、迷惑なんじゃ……。
密かに心配をしていた私だったけど、すぐにいらぬ心配だったと思い知らされる。
「すごい人だかり……」
ミホちゃんの反応に、全面的に同意だ。
第二体育館の前には、私たちの比にならないほど大勢の女子が、ひしめき合っていた。その光景たるや、開演前のコンサート会場みたいだ。
あたりには、香水の甘ったるい匂いが漂っている。
中には、手作りのうちわを持っている人までいた。
会話の中には、稲葉、綾人、黒川、という名前が飛び交っている。
「もしかして、ここにいる女子みんながライバルってこと?」
「うわー……。競争率高いね」
ミホちゃんたちは、気の毒そうに心音ちゃんを見る。
たしかに、これだけ大勢の女子がいれば、埋もれてしまう可能性が高い。
だけど心音ちゃんは、
「モテるのは分かってたけど、こんなに人気なんて。さすが、綾人先輩!」
その状況すらも、稲葉先輩の新たな魅力ととらえてる。
心音ちゃんって、本当にへこたれないな……。
感心していると、ふいに場の空気が変わった。
色めき立つ女子たちの視線の先には、
「きゃ~っ!綾人ー!」
「今日もかっこいい!」
「黒川くーん!」
歓声を浴びる稲葉先輩と、男子バスケ部の人たちがいた。
「おわっ⁉︎」
背が低い私は、満員電車みたいな混みように、危うく押しつぶされそうになる。
し、死ぬ……!
命の危機を感じた私は、もみくちゃになりながら、どうにか群れをぬけ出した。
地面にへたり込むと、女の子たちが壁になって何も見えない。
制服の砂をはらって立ちあがると、距離を取ったことでバスケ部の人たちの全体が見えるようになった。
「稲葉先輩、こっち見て〜!」
「綾人先輩に会うために生まれてきました~!」
わっ、熱烈なファンがいる!
……と思ったら、心音ちゃんだった。
ちゃっかり最前列をキープして、サイリウムを振り回してる。
いつの間に用意してたんだろう……。
稲葉先輩は、自分目当てで集まった女子たちに苦笑いしている。
ジャージ姿の部員の中には、
「げっ……。あの先輩だ」
今朝、私を締め出した仏頂面の部長もいた。
私は、反射的に身を隠そうとしたんだけど……。
この人数に紛れていれば、見つかることはないよね。
さりげなく集団に加わった私は、稲葉先輩のファンですって顔をして、相手の出方をうかがう。
「騒がしい」
地を這うような低い声に、空気がピリついた。
その声は言うまでもなく、あの先輩のものだ。
何人かの部員はトラウマでもあるのか、ぴゃっ!と肩を揺らして飛び上がる。
浮かれていた女子たちも、動物的な本能で危機を察知したらしい。
ただならぬ雰囲気に、一斉に口を閉ざす。
地獄のような空気の中、
「俺は、男子バスケ部の部長を務めている、二年の桐生(きりゅう)大和(やまと)だ」
威厳ある声が、鼓膜を揺らす。
「あんたたちは、マネージャー希望なのか?そうでなければ、去れ。練習の邪魔だ」
冷徹に言い放つ部長に、ブリザードが吹き荒れる。
練習を邪魔する私たちは、絶対零度の瞳に、虫けらのように映っていることだろう。
厳しい口調に、私は今朝言われたことを思い出す。
『あんたのような、男目当てのバカがいると、うるさくて練習にならないんだ』
その言葉の真意がわかり、怒りのボルテージが少しだけ下がる。
思い返せば、バスケ部の人たちの態度が変わったのは、私が稲葉先輩の名前を出した直後だ。
つまり今朝の私は、稲葉先輩目当ての厄介なファンだと思われたのだろう。
日常的に練習を邪魔されていたなら、強い口調で遠ざけようとするのも、分からなくはない。
それにしたって、男目当てのバカは、言い過ぎだとは思うけど……。
やっぱり、相手の迷惑も考えず、大所帯で来るべきじゃなかったな。
自分の軽はずみな行動を反省していると、
「わ、わたしは、入部希望です!」
心音ちゃんが、声をはり上げた。
「男子バスケ部のマネージャーになって、綾人先輩を……じゃなくて、バスケ部のみなさんをサポートしたいです!」
若干、欲望が漏れてる気がする……。
さておき、大勢の前で声を上げるのは、勇気が必要だったはずだ。
しかも、部長の発言の直後でだ。
制服のすそを握る心音ちゃんの手は、震えていた。
勇気を振り絞って、好きな人に近付くためにがんばったんだ……。
そう思ったら、なんだか胸が熱くなる。
その言葉に感化されたのか、
「あ、あたしもです!」
「わたしも……!」
「マネージャーになりたいです!」
みんな次々と挙手しはじめる。
その場にいた、三分の二ほどが手を挙げたところで、
「やる気があるのは、結構だ。しかし、全員を入部させるわけにはいかない」
部長は、厳格な態度を崩さぬまま、
「よって、来週の金曜日。新入部員の体力強化に合わせて、マネージャーの入部テストを行う」
「えーっ⁉︎」
驚きと不満が混ざる声は、男子部員の中から聞こえた。
“新入部員の体力強化“という部分に、反応したらしい。
声を上げた、明るい髪の男子には、残念なことに見覚えがあった。
武知(たけち)(がく)。同じ小学校出身で、ミニバス(ミニバスケットホールクラブの略だよ)でも一緒だった同級生だ。
ガクとは昨日の入学式でも話したけど、バスケ部に入ることにしたらしい。
「不満か?」
ギロッと部長に睨まれたガクは、
「な、なんでもないっす!」
真っ青になって、首をふる。
部員の輪の中に引っ込んだガクは、見るからに元気をなくしている。
犬だったら、ぺしょっと耳が垂れていることだろう。
どんまい、ガク……。
私が合掌していると、視線を感じたのか、ふいにガクがこちらを見る。
「あれ?ゆいじゃん!」
ガクは驚異的な視力で私を見つけると、ぱあっ!と表情を明るくする。
心細くなったところに知り合いを見つけて、うれしくなったんだろう。
ぶんぶん手を振るガクは、遊び相手を見つけた犬と似ている。
「げっ……」
場違いなほど明るい声に、私は顔を引きつらせる。
おかげで、一気に私に注目が集まった。
き、気付かなかったことにしよう。
私は、さっと顔を伏せようとする。
だけど空気が読めないガクは、ずかずかとこちらに歩いて来て、
「やっぱ、ゆいもバスケ部に入るん?兄ちゃんの紡くんが、去年までバスケ部の部長だったもんな!というか、まさかのマネージャー希望⁉︎」
うわぁああっ!なに言ってるの⁉︎
あわててガクを止めようとしたんだけど、時すでに遅し。ガクの声がムダに大きいせいで、私たちの会話は筒抜けになっていた。
おかげで、集まっていた人たちの間に、ざわめきが広がっていく。
「えっ⁉︎あの子、紡くんの妹だったのか⁉︎」
「あの身長で⁉︎」
部員からは、主に驚きの声が。
「元部長の妹とか、ずるくない?」
「それじゃあ、あの子がマネージャーになるって決まったようなものじゃん」
女子からは、棘のある言葉と視線を向けられる。
「が、ガク!余計なこと言わないで!」
「え、なに?おれ、悪いことした?」
一切悪気がないガクは、きょとんとしている。
私が小声で抗議していると、
「俺たちは、相手が誰であろうと、全員を平等に評価する」
部長の声が、再び空気を震わせた。
「判断基準は、男子バスケ部のマネージャーとして、選手と一丸となって全国に行くやる気と覚悟があるかどうかだ」
そこで部長は、じろりと私を睨みつけると、
「部員と知り合いだったり、ましてや元部長の妹だからと、ひいきすることはない」
は、はあ……⁉︎
私、マネージャーになりたいなんて、一言も言ってないんですけど⁉︎
「それを踏まえた上で、覚悟ある者だけが、来週金曜日の十六時に多目的室に集まれ。その際、学校指定のジャージに着替えてから来い。入部テストの内容についての質問は、一切受け付けない。いいな?」
ごくりと唾を飲む音が聞こえる。異様な緊迫感の中。
私は、どこまでも偉そうな部長に、ただただムカついていた。
「入部テストの日までに、一度でも第二体育館を訪れたものは、その時点でマネージャーになる資格をなくすものと思え。分かったら、解散だ。速やかに帰れ」
部長の言葉で、みんな名残惜しそうに稲葉先輩を見て、帰って行く。
「ねえ、ゆいちゃん。なんだか、部長さんに目え付けられてない?」
「やっぱりそうだよね?私、目の敵にされてるよね?」
ミホちゃんの目から見ても、そうだったんだ。
すれ違う女の子たちには、同情の目を向けられるし。
あの子の合格はないね、と笑われる始末だ。
そもそも私、マネージャーになる気なんてないのに!
「勝負は、金曜日……!金曜日までにおしゃれして、稲葉先輩にアピールしないと!」
心音ちゃんは燃えているけど、マネージャーになるのにオシャレは、必要ないんじゃ……。
苦笑いしていると、
「じゃあ、ゆい!また金曜日にな!」
笑顔で言ったガクは、私の肩をぽんと叩いて行ってしまう。
肩に残る手の感触に、私は、ギギッと顔をしかめる。
だから、私はマネージャーになる気なんて一ミリもないんだってば!
多方面からの誤解にげんなりしていると。
パチリ。こちらを見ていた部長と、目が合ってしまう。
私が驚いていると、部長は不快そうに、ぐっと眉間のしわを深める。
げっ。何よ、あの顔!
私も負けじと、顔をしかめる。
私たちは、しばし、バチバチと睨み合っていたんだけど。やがて部長は、お前に用はないと言わんばかりに、私に背を向ける。そして、
バンッ!
体育館の扉を閉める部長に、今朝の出来事がよみがえる。な、何よ、あの態度……!
ふつふつと、お腹の底から怒りがわき上がってくる。
あんな偉そうな部長がいる部なんて、絶対に入るもんか!


それから、心音ちゃんたちとほかの部を見学して、日が暮れる頃に家に帰った。
お風呂上りに髪を乾かしていると、スマホに通知がきてることに気づいた。
お兄ちゃんからのメッセージは、稲葉先輩に本を渡したことへのお礼だった。
返信してから部屋に戻ると、電話がかかってきた。
『一日目、どうだった?友達できたか?』
心配性なお兄ちゃんに笑って、
「うん。今日も誘われて部活見学に行ったよ」
そこまで言って、放課後の出来事を思い出す。
「そういえば、男子バスケ部も観てきたよ」
一連の出来事を話すと、お兄ちゃんは少し困ったように笑って、
『去年は、マネージャーを七人受け入れたんだけど、みんな騒ぐだけで練習にならなかったんだ。大和は真面目だから、去年の二の舞にならないように気を張ってるんだと思う』
ふいに出てきた先輩の名前に、ドキッとする。
「そう、だったんだ……」
お兄ちゃんには、部長との間にあったことは話していない。
妹が自分の後輩と揉めたなんて知ったら、優しいお兄ちゃんは気にやむと思うし。
だけど、真面目ってところは分かるかも……。
朝早く来て、一人で練習してるくらいだし。
シュートを打つ先輩は、窓から差し込む光に照らされて、きらきらして見えた。
体育館で見た先輩の凛々しい横顔を思い出して、きゅっと眉根を寄せる。
黙ってたら、まあ、それなりに……。
そこまで考えて、あわてて首をふる。
……って、だまされちゃダメだ! 
人をバカ呼ばわりする人なんて、最悪だから!
私が一人で百面相していると、
「ゆいは……バスケ部に入らないのか?』
お兄ちゃんの声のトーンには、おさえきれない気遣いが漏れ出していた。
心臓をつかまれるような心地がして、私は言葉を詰まらせる。
お兄ちゃんが心配してくれているのは、分かる。
だけど、
「……入らないよ」
もう、あんな思いをするのは嫌だから。
私はもう二度と、バスケに関わらないって決めている。