ヴィルジールの鼓膜を揺らすには、足りないくらい小さな音で。届くかどうか分からない距離だったというのに、彼の耳に届いていたようだ。

 ルーチェ、と唇が動いたのをはっきりと見て取れた。

 ヴィルジールは軽やかに柵を飛び越えると、上着のポケットに手を突っ込みながら、ルーチェがいるテラスの下にやってきた。

「まだ起きていたのか」

 月明かりに照らされながら、彼は口を開いた。

「はい。なんだか眠れなくて」

「それで、泣いていたのか」

 深い青色の瞳が細められる。ルーチェを見上げるヴィルジールの眼差しは、月の光のせいか優しく感じられた。

「……考え事を、していたのです」

「そうか」

 ルーチェは月へと目を逸らした。

 無数の星が散る薄闇に浮かぶ月は、微かな青を帯びながら、淡い光を纏っている。冴え冴えと聳えているが、ほのかな優しさも感じられるそれは、ヴィルジールに似ているように思う。

 冷たいようで、本当は温かいような……そんな気がしているのだ。

「降りてこないか」

 思いもよらない提案に、ルーチェは目を瞬かせた。

「受け止めてくださるのですか?」

「落ちてくると分かっている者を、黙って眺めるような人間に見えるのか?」

 ルーチェは微笑った。袖を捲って柵に手をつけ、大きく半身を捩らせながら登る。そこからヴィルジールを目掛けて、勢いよく飛んだ。