亡国の聖女は氷帝に溺愛される

 ずっと、不思議に思っていた。どうしてヴィルジールが氷帝と呼ばれているのかを。

 冷酷で無慈悲だ、逆らったら氷漬けにされるなどという噂話を耳にしてはいたが、少なくともルーチェの知るヴィルジールは決して無慈悲な人間ではない。

 彼は全てを失ったルーチェに、新しい名前を贈ってくれた。ここに居ていいのだと居場所を与えてくれて、この国の景色も見せてくれて、聞いたことには必ず答えをくれた人だ。

 手は温かく、優しく、大きく。美しい青色の瞳は、真っ直ぐにルーチェを見つめ返してくれた。

 表情や声音のせいで、冷たく見えてしまうけれど──それはきっと、不器用なだけで。

 ルーチェの知るヴィルジールという人間は、不器用であたたかい人なのだ。

 たとえその過去に、凍りつくような出来事があったとしても。ルーチェも彼も、今を生きている。見つめる先は過去ではなく、明日であり未来だ。

 ルーチェは凛と背筋を伸ばし、アゼフを見つめ返した。

「妃となることを望んだことなど、一度もありません。私は手を差し伸べてくださった陛下に、いつか御恩をお返しすることができたら……と、ただ、そう思っています」

「貴女様がそう考えていても、あの男は違うと思いますがね」

 アゼフは意味ありげに笑う。さらに言葉を続けようとしているようだったが、何かに気づいたのか、咳払いをして距離を取った。

 彼の視線の先は、ルーチェの後ろだ。誰が来たのだろうと振り返ると、青い騎士服を着たアスランが向かって来ていた。

「これはこれは、セントローズ公爵。聖女様に何用で?」

「私はただご挨拶をしていただけです。聖女様は我が国の皇帝陛下の御命を救った方ですからな」

「ほう? それにしては距離が近いように見えましたが」

 アゼフはわざとらしく咳払いをすると、何事もなかったかのような顔でルーチェの横を通り過ぎていった。

 思わずその姿を目で追っていたルーチェの右手は、ぎゅっと握りしめているにも関わらず震えていた。